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おしゃれの呪文

どろげりあ・くりべりーに

ずっと気になっていたベルベットのスリッポンがセールになっていたので、ポチッとした。その名は〈drogheria crivellini〉。2014年にスタートしたイタリアのブランドで、フリウリ州という地方の農夫のシューズが元になっているらしい。鮮やかなカラーと品の良いベルベット生地が気になりつつも、あまりに貧弱なソールに購入を躊躇していた。半額と返品無料キャンペーンに背中を押され、試しにと買ってみたのだ。

おしゃれの世界には時々、「呪文」が登場する。

ファッション誌を読みあさっていた10代のころ、最初に覚えた呪文は「エルベシャプリエ」。
いまだに「シャ、プリエ」か「シャ、ブリエ」かごまかして発音してしまうが(シャプリエです)、その呪文を知った当時、唱え続ければセンスが良くなるような気さえしたものだ。

その後も順調に呪文の影響を受け、「マルタン・マルジェラ」「クリスチャン・ルブタン」などとブツブツ唱えながら、買えもしないのに店に入ったり似たデザインを探したりしていた。呪文の真意を理解せぬまま、ミーハー心で知ったかぶりする。純粋に自分が好きなスタイルだったのかと問われれば、疑わしい。

けれど「その言葉を知っている」というだけで、憧れに一歩近づける。
その言葉をとりまく世界を、のぞき見ることができる。
呪文はそういう存在だった。

§

以前、茶道の作法について原稿を書いていて、「押し戴く」という表現に、発行元から赤字が入った。

茶道に詳しくない人でもわかるような言葉に置き換えてください。

私は茶道をきちんと習っているわけではないが、「押し戴く」はイメージできる。お茶碗を、高く掲げて持つ。敬意を持って。でもそう書いてしまうと、その所作にふくまれた心の向き、うやうやしさやたおやかさが、失われてしまうような気がした。動詞だけでなく、茶道具などの固有名詞もたくさんある。それらを一語一語噛み砕いて、誰にでもわかる表現に翻訳すると途端に、味がしなくなる。


何を言っているかわからなくたっていいのだ。

ごにょごにょごにょ。

一度では聞き取れないようなその言葉が、なんだか気になる。説明不要とばかりに、当たり前に文脈に置かれた呪文が、その世界への入り口になる。興味がなければ、引っかからないのだから。


ドロゲリア・クリベリーニ。

好みのブランドはシンプルな名称が多いので、舌を噛みそうな名前が気になったのは、とても久しぶりだ。開けゴマ! ミーハーだけれど、新しい世界の扉を開ける、おしゃれの呪文。


[一日一景]
___1日1コマ、目にとまった景色やもの、ことを記しておきます。

箱もかわいい〈drogheria crivellini〉。ストラップシューズが人気みたいですが、私はこのカンフーシューズみたいなスリッポンが好き。


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