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第10回「水泳」

人生で最後の水泳の授業の日、人生ではじめての経験をした。『最後』の日に、『はじめて』の経験をするとはなんて貴重なことだろうか。


高校3年生の夏、水泳の最後の授業の日までさかのぼってみよう。進学しても、教員などにならない限りは水泳の授業はもう存在しない。大切な日のはずだった。とことん運動オンチなわたしなのだが、小学生の頃に水泳教室に通っていたため、水泳は人並みにできて大好きだった。

「もう今日終わったら水泳の授業受けることないんか~~~」

さびしく感じながらも、やっぱり水泳の授業は小さい時から変わらずテンションがどうしても上がってしまう。JKがスクール水着姿でキャッキャしている、どう考えても可愛すぎることは本件とは一切関係がないので、一旦置いておくとして。そんな時に事件が起きた。


順番に間隔をあけて泳いでいくスタイルだったのだが、自分の番が来てプールの中に入った。イタッ。ちょうど着地した足元のタイルが少し欠けていたらしく、右足の裏を切ってしまった。とりあえず25m泳いだが、上がってみると血が出ている。アッチャ~~みんなごめん…と思いながらも、ちょっと切れているくらいで血もすぐに止まるだろうとそのまま授業を続行した。切れている方の右足が当たらないように、次は無傷の左足だけでプール内に着地した。イッテェ!!!まさかの、右足だけでなく左足までもタイルで切ってしまったのだ。嗚呼、どうやってもどんくさい。

さすがに両足の裏から血が出ていてはダメだ。先生に言い、シャワーで洗わせてもらう。あいにく授業もあと少しで終了だったので、もう見学しておけと言われてしまい、泣く泣く見学していた。その間も、血が流れてはシャワーで流してを繰り返していた。


授業も無事に終わり、更衣室へと移動する。着替える際も、足裏が床に付かないように足の側面に重心を置き、制服へと無事に着替えることができた。ゆっくりと歩きながら、更衣室を出た際に、またやっちまった。

「・・・ッ!」

もう声にもならない叫びだったのだが、更衣室のドアで指先を思いっきり挟んでしまった。プールの更衣室は昔ながらの重たいドアだったので、爪の根本が内出血してしまっている。どんくさいは止まらない。連鎖している。


フラフラの状態で、更衣室を出て両隣で友人が体を支えてくれていた。支えてもらわないといけないほどになってしまっていたのだ。大怪我なんてしていない、小さな積み重ねの結果がその状態だった。そこに現れたのが、ノリが軽すぎる50代半ば程の国語教師だった。

「お前なんやねん!顔真っ白やんけ!ガッハッハ!!」

と頭を小突いてきたのだ。いつものノリで。思いっきりよろけてしまったが、陽気なおっさんの国語教師は笑いながら去って行った。そこから、保健室へ向かうために歩いていたのだが、約15mくらい進むと、わたしは保健室までたどり着かずに、靴箱の前で意識を失ってしまった。正確には、目の前が真っ白になってしまい、何も見えなくなり貧血で倒れてしまったのだ。



満身創痍もいいところだ。友人たちが引きずってそのまま保健室へと連れて行ってくれたらしい。その日は授業がお昼までで、2時間目だか3時間目だかの体育の授業が終わってから放課後までずっと眠っていたらしい。パッと目が覚めた時、保健室の先生が心配そうに顔を覗き込んでいた。

この先生は典型的な依怙贔屓をするタイプの意地悪おばさんで、鶏ガラみたいにガリガリのしわしわだ。わたしは運よく好かれていたために、心配してそばについていてくれていたらしい。


うっすらと瞳の中に光が差し込んでくる。天井の電気がまぶしく、目がチカチカする。いや?チカチカするのはそっちか?ん・・・?


一瞬起きて、また眠ってしまっていたようだ。何か嫌なものを見た気がする。次に目を覚ました時には、保健室の先生は自分の席に座っていた。そして、再度見てしまったのだ。彼女の上下ショッキングピンクのスーツを。嘘みたいな話だが、一度目が覚めたにも関わらず、先生のスーツに驚愕したあまり再度気絶していたらしい。

歯槽膿漏特有の芳醇な香りを漂わせながら、心配の言葉をかけてもらった。もちろん、そんな言葉はわたしの耳に届くこともなかったのだが。


わたしは平成生まれだ。大好きな人生最後の水泳の授業を経て、わたしははじめて人の服装にびっくりして気絶してしまった。あの先生は今も元気だろうか。バブルも知らないような若輩者が、まったく情けないことを思い出してしまった。毎年夏が来ると思い出す、それもまた一興だと思いたい。

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