『saṃsāra(サンサーラ)』17

17       始
 
犬の最後は私が思っていた以上にあっさりで。
思っていた以上悲しくもなくて。
それが逆にさみしくて。
私の中の感情達が勢いよく、ぐるぐるめぐっていく。
確かに選ばなかったのは私だし。
きっと犬も何処かで選んでくれるに違いないと思っていただろうし。
そんな思いをぐるぐる思い込んでいると
「やっぱり寂しかったんじゃないの?あなたの決断はそれでよかったの」娘は私の顔を覗き込みながら聞いてくる。決断を迫った君がそれを言うのか。言葉にできなかった。決断したのは私だ。誰のせいでもないし、誰かのせいにしたところで答えは変わらない。
今更それを言ったところで時間は戻らない。
「そんなこともないけれど。先に進むなら、それは振り切らなくてはいいけない。ほどなく八回目の八回の鐘が鳴る。その時、あなたがどこにいて何を決断するかで、全部が変わってしまうもの」
よくわからない。犬がここにいても。犬にどうしたものかなと聞いたとしても。犬はきっと、私は犬ですよ、よく分かりませんと言うばかりだろう。やはりあの時のようににこにこしながら。
それが犬ってものだ。
もうすでに私は、手の感触がなく。匂いも味もわからず、何も聞こえない。真っ暗の闇の中で膝を抱えている。娘の声だけはしっかりと伝わる。これは耳に伝わってくるわけではなく。頭に直接語り掛けられている感じ。
 
八回の鐘が鳴り響く。八回目の鐘。
ドーンとかボーンと
あの声はもう聞こえない。
その代わり何かのあわただしい音が周囲に響いている。
せわしなく動き回る人の気配が周囲を包んでいる。
私の頭の上を、横を、ぐるぐるぐるぐる。
 
「さぁ、行ってらっしゃい」娘の声が遠くに聞こえる。その声は私の中から聞こえているようでもある。
 
私の体は落ちていく。
体中を何かの水に包まれて。
水と一緒に、落ちていく。
どんどんと。下へ下へと。
何かに引っ張られていく。
抵抗するすべは何もない。
まるでなかったはずの五感が感情を取り戻していく。
ゆっくりと少しずつ。
だんだんと、光が見えてくる。
夜が明けるように。伸びていく世界。広がっていく世界。どこまでもどこまでも。
きらびやかな世界。希望の世界。可能性だけの世界。
 
夢のような旅が終わる。
終わりの旅の終わり、始まりの旅の始まり。
始まりの旅の終わり、終わりの旅の始まり。
 
また。
旅が始まる。
 
繰り返されていく。
いつまでも、いつまでも。
間違いや、不安や、喜びや、悲しみや、いろいろなものを繰り返していく。
紡いでいく。
 
あなたたちは、この旅の物語を知っている。
あなたたちも、同じように旅をしているはずだから。
 
今は忘れてしまっている。
旅の物語。
 
いつか思い出してください。
旅の物語。
 
ゆるゆると風景が目に飛び込んでくる。
誰かが私の頭をなでる。
 
何処からか聞こえてくる。
 
わんわん
 
 
 
令和5年2月24日  英
 

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