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短編「何も気にならなくなる薬」その9

「あの人は変わってる」
「そんなことはないだろう」
「そういう君は偽善者だ」
「そこまで卑屈になることはないだろう」
「じゃあ、あの人と関わったことはあるか」
「いや、ないけれど」
「経験をしないで知ったような口を聞くな」
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彼には決まった流れがある。
それは誰にも覆せない。
彼はそれをこなせないとパニックになる。
だから私はその彼の行動のログを追う。
なんてことのない犬に吠えられたという出来事が、彼の緻密なスケジュールを真っ黒に塗りつぶしてしまった。
彼が落ち着くのにも決まりがある。
それをどうして奴らは笑うのだろう。
周囲の冷たい視線で、彼の行動はもはや私にも予想がつかない。
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不幸は執筆を加速させる。
とある作家の言葉に感銘を受けた男は、ある日脅迫状を差し出した。
それから彼の著書は飛ぶように売れた。
男は自分が彼の作品に関われた興奮が冷めやらないうちに、彼の家へ包丁を持って訪ねた。
「不幸は執筆を加速させる。この言葉に感銘を受けました。これからどうなるのか、私は楽しみで仕方がない」
「そうか、それなら読者である君には酷くてがっかりしたよ。死は不幸ではない」
彼はそのまま家を後にした。
理解されなかった悲しみがまた一層彼を本の中へ没頭させた。
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絶版と呼ばれた本があった。
少年はその続きを読みたいと駄々を捏ねたが、それは叶うはずもない。
作者は既に床に伏しており、もはや筆を握ることすら叶わない。
「そうだな、じゃあ、少しだけここで話すことにしようか」
老人は物語の続きを拙い口ぶりで語りだした。
「おじいさんとなにを話してたの」
「ううん、何でもない」
あとからその少年が物語の続きを知っているとして、編集者達が彼に頼み込んだが、少年はその話を口にはしなかった。
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美味しいご飯を食べます。