見出し画像

【タイミングと器の話】小判を持つのにふさわしい猫もいるし、ふさわしくない人間もいる【コラム】

少し前に読んだ田坂広志さんの本の中に、とても印象的なことが書いてありました。
それは、要約すると「占いが当たるかどうかは、占う側の能力ではなく、そのメッセージを受け取る運や器が受け手側にあるかどうかだ」というものでした。

つまり、どんな簡単なおみくじだったとしても、誰の占いだとしても、受け手が「その時にそれに出会ってメッセージを受け取る運があり、それに気付くだけの器があれば、人生を変えるような答えを受け取れる」ということ。
逆に言えば、「まだ受け取れる状態にない人は、どんな最高のメッセージを与えられても受け取れない」ということです。

これに関しては、色んな意味で「そうだなあ」と思います。
自分自身が「これは、昔の自分なら理解できなかったな。今だから受け取れた言葉だ」と思うこともあります。
「たまたま見かけた言葉で、大きな変化や気づきを得られた」と言うこともあります。

また、他人を見ていて「これはきっと、この人にはまだ理解できない話なんだろうな」とか「そもそもこの話を理解する地点に居ないんだろうな」と思うこともあります。
それは、小学一年生に高校生の数学問題の話をしているようなもので、分からないからその人がどうということではなく「まだ分かる段階になってない」「この人にとってわかるべき時が来ればわかるから、今わかる必要はない」ということだと思います。

「その人が”わかるとき”にならないと、いくら言っても分からない」というのは、占い師がしっかり頭に置いておかないといけない事の中でもかなり重要なことだと思います。

「答えが欲しいです」という人に答えを教えること、答えまで導くことはできるけど、我々は”そこまでしか出来ない”のです。
それを「理解するかどうか」はその人に任せないといけない。

占い師さんだけでなく、色んな人と話していて「あんなにしてやったのに、こんなに考えてあげたのに、このアドバイスが理解できないなんて…」という言葉を聞くことは多いのですが、「人に影響を与えること」とか「感謝されること」とか「自分の正しさを証明すること」のために「してあげる」のは、相手からすると押し売りか架空請求みたいな話です。

どんな善意や人助けも、こちらは「精一杯、自分の出来ることをする」ところまでで終わり。
それでお金をもらってるなら、お金をもらったところで取引成立でおしまい。
ましてや、善意とか「良かれと思って」でやってるなら「自分が勝手にやりたくてやっただけ」であって、勝手に渡して見返りを求めるのはおかしな話だし、怒れる立場にもないんですよね。
そこに線引きが出来ていないと、「勝手に期待して、勝手に怒って、勝手に相手を嫌ったり傷つけたりする」と言うことになってしまいます。

自分も、他人も、例えそれがどんな偉い立場の人や年上の人でも、みんながみんな「自分の人生のなかで学びながら成長してる途中」で、成長の度合いも速度もそれぞれ違います。
中年を過ぎても小学生くらいの精神年齢の人もいますし、逆に年齢が幼いのに精神年齢が周りの大人より高くて苦しんでしまう人もいます。
皆がそれぞれの人生の中で悩んだり迷ったりしてる中で、我々はたまたますれ違った者同士です。
人生で出会う人とは、お互いに「この人はこういうことをしてるんだな」と確認して、心の中で応援してサヨナラすることの方が多いのかもしれません。
それ以上執着したり、求めすぎるから悩むのかもしれませんね。


椿寿堂では、カードやインド占星術での鑑定や占い師になりたい方へのサポートもしております。
お気軽にお問い合わせください。

もし気に入っていただけたら、フォローやいいねをしてくださると私とっても喜びます。
また遊びに来てくださいね。おまちしてます。


サポートしていただけると、とってもウレシイです!これからもっとあなたのお役に立てるよう、大切に使わせていただきます。