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「ママ嫌い」という3歳息子と、義母の告白で、わたしが変わった。

「ママきらい!あっちいって」

3歳の息子ヨウはお風呂から出るなり、タオルを横に広げて待ちかまえる私にむかって、そう言いました。

私はそれでも急いで、濡れたからだのヨウをふこうとしました。ヨウは泣きながら「ママきらい」を繰り返すばかり。

いつも3歳のヨウをお風呂に入れるのは、夫の役割。ヨウは私がお風呂にいれようとすると、この世の終わりかと思うほどに泣きわめきます。

まさかタオルで拭くことも拒否されるとは・・
でも着替えないわけにはいきません。

あわてて下着だけでも着させようとする私。するとヨウは手足をバタバタと動かし、絶対に着させまいとしながらこう言います。

「ママやだ、おばあちゃんがいい!」


その日はちょうど、家に義母もいました。義母はすぐに飛んできて、「どうしたの?」と言いながら、タオルでヨウの涙と、濡れた髪の毛を同時に拭きます。
私はしぶしぶ、持っていた下着やおむつを義母に渡しました。

義母にバトンタッチするとヨウはすぐに落ち着き、すんなり着替えが終わりました。さっきの大暴れが嘘のようです。

しかし、私の気持ちはヨウの落ち着いた様子とは裏腹。

息子に私の存在を拒否されたことのショック。
ママより義母を選ばれてしまったことのみじめさ。
そんな様子を義母に見られてしまった恥ずかしさ。

家族の中で、「次男はパパっ子」だということは、みんな気がついていました。何をするにも「パパがいい」し、夫が出張のときなどは「パパと会いたい」といいます。

私はすこし寂しい気持ちもあるけれど、それは良いことだから、パパが好きな気持ちを前向きにとらえようと思っていました。

でもこんなにハッキリと「ママが嫌い」と言われるとは。それも何度も。

その日の晩ご飯は、なんだか味がしなくて。できればこのまま誰とも話さず、ひとりになりたいと思いました。

夜は近くに住む義母の家に、ヨウが泊まりに行くことに。私はみんなが寝てから布団にもぐり、

「子ども 嫌い ママ」とか
「息子 嫌われる いつまで」とか

検索の海にどっぷり溺れました。
暗闇のなかでスマホ片手に悶々としていたら、義母からLINEで、

「ヨウちゃんが謝りたいと言ってたよ」

と、今さっき撮影したヨウの動画が送られてきました。

ヨウは「ごめん」ではなく、「あやまったほうがいいよ〜」と、義母にアドバイスされたと思われるセリフを口にしていました。おもちゃで遊びながら。
義母の心遣いはありがたかったのですが、私は今回のことでヨウの本心が見えた気がしたので、ひどく落ち込みました。

「ヨウはママのこと、好きなのかな?」
「パパとどっちが好きかなぁ」

翌朝もなんとなく気分が晴れず、思わず長男にそう聞いてみました。大人気ない質問だということはわかっていたのですが。

「うーん、パパじゃない?」

長男のモリは5歳らしく、至極まっとうに返答します。そうだね、ママもそう思う・・・。

義母の思わぬ告白

そうして、数日経った日のこと。
子どもたちが早く寝てしまい、夫と義母と私の妹と、ゆっくり家でご飯を食べることができました。すこしお酒を飲んだところで、義母が口をひらきます。

「そういえば友美ちゃん、わたしが帰る前に、ひとつ言おうと思ったことがあったんだけど・・」

義母はふだんは中国に住んでいて、来月には中国へ帰国する予定です。その前に、どうしても言いたいことがあるそうなのです。

「このあいだうちに来たときね、ヨウちゃんが言ってたの。『ピアノやりたい』って。もしかしたら、ママがモリくんと一緒にいる時間が多くて、うらやましいのかもしれないよ」

えっ、そうなの?私はすこし驚きました。

たしかに長男のモリが半年前に習いごとを始めてから、私はつきっきりでモリの隣にいることが多かったのです。私が隣にいたほうが真面目にピアノの練習に取り組んでくれるので、そうせざるを得ない状態でした。

するとヨウがお兄ちゃんにちょっかいを出してくることも多く、私はそのたびに「あっちへ行って、パパと遊んでおいで!」とあしらってしまうことがありました。そうしないとモリがすぐにふざけて、集中できなくなってしまうからです。

冒頭のヨウの発言、覚えているでしょうか。

「ママきらい!ママあっちいって」

これは私がもともとヨウに、態度として、そして言葉として、投げかけてしまったことなのかもしれない。私はハッとしました。

義母は続けます。

「私は中国の武漢で生まれたんだけどね、じつは・・小学校5年生までは遠い西安に住んでいたの」

私はこの話をなんとなく知っていたけれど、義母本人の口から聞くのは、これがはじめてでした。

「私のお父さんとお母さんは武漢で仕事して忙しかったから、私は西安の親戚の家で、弟は南京の親戚の家で、みんなバラバラで生活していたの。妹だけだったの、両親とずっと暮らしていたのは」

日本では、生みの親が育てることが普通です。でも中国の当時の経済状況では、子どもが多い場合は、親戚に預けられることもあったそう。

「それでね、私のお母さんはもう亡くなったけど。じつは私のこと好きじゃなかったんだ。妹のほうが好きだったの。勉強ができたし、要領もいい妹をえらんで、一緒に住んでいたのよ」

そんな・・・まさか、と私は思いました。

義母は、日本でほぼ女手ひとつで夫を育て、バリバリ働き、家事もかんぺきにこなす、私にとってのスーパーウーマンです。(それに嫁の私や、私の家族、さらには私の友達、もちろん孫にも超絶優しいんです)

勉強を重視する親の気持ちはわからなくはないですが、比べる必要もないほど、義母は素晴らしい人だと私は思っています。そしてこんなに愛に溢れる義母から「お母さんから嫌われていた」という言葉が出てきたことに、私は驚きました。
でもそれは何度確かめても、事実だそう。

「もしかしたら友美ちゃんがモリくんとばっかり遊んでいるから、ヨウちゃんが嫉妬してるかもしれない。でもまだ3歳だから、今ならまだ間に合うの。私みたいに小学校5年生になってからだと遅くなっちゃうから・・」

義母は私に、ヨウとふたりで遊ぶことをすすめました。
そうか、そうか。その言葉がとても重く感じられました。そばにいた夫も付け加えます。

「たしかにヨウは、ママがモリに取られちゃってるから、仕方なく俺のところに来ている風なときも多いかも」

へえ・・そうなんだ。
私はてっきり、ママよりパパのほうが好きだから、そっちへ行っているのだとばかり思っていました。

でも確かに思い返すと、モリから「ママ〜来て〜」とリクエストがあると、私はすぐそちらへ行こうとしました。そう言わないヨウは、きっと私を求めていないのだとばかり思い、ヨウをかまうことは自然と少なくなっていった気がします。

「声が大きい者が勝つ」構造を、私は家の中でつくりだしてしまっていたかもしれないと思い、ハッとしました。

「そうしたら、私はこんどの週末、ヨウとふたりで出かけてこようと思う。ヨウのためだけにたっぷり時間をつかって、楽しんでくる」

私は義母や夫の前で、それを宣言しました。ふたりはうんうんと頷き、「モリは見てるからゆっくりしてきて」と応援してくれました。

次男とふたりだけで遊びに行く

週末の朝、私はヨウにこう声をかけました。

「ねえヨウ、今日はママとふたりで遊ぶ?いっしょにお出かけしちゃう?」

モリとは習い事で毎週のようにふたりで出かけるのに、ヨウと出かけるのは、たぶん2ヶ月ぶりくらい。

また嫌だと言われるかもしれないと、少しドキドキ。でもヨウはすぐに「いく!」と言いました。3歳の息子相手なのに、なぜか内心とてもほっとします。

よし、じゃあ行こう。まずはヨウが行きたいという大きな公園へ行き、ふだんなかなか乗せてあげられないストライダーに乗ることに。いつもお兄ちゃんが道路で自転車を乗っているのを、ヨウはずっと羨ましそうに見ていたからです。

今日は思う存分、ヨウと一緒に遊ぶことができます。子どもが2人いると難しいストライダーの練習も、この日は一緒にハンドルを持って中腰になって走り、クタクタになるまで付き合うことができました。

次に別の公園へとハシゴすると、偶然、小さなお祭りが開かれていました。そこにはヨウの大好きな消防車が真ん中で出迎えてくれています。これはラッキー。もしかして私たちのために、来てくれたの!?笑

ヨウは消防士の方に風船をもらって、キャッキャと大喜び。ふだんはなかなか見れない消防車を、じっと近くで見つめます。
ミニ新幹線もあって、少し並んで一緒に乗ることができました。

係のおじさんにスマホを渡して、すかさず撮ってもらう

公園をたった1周するだけなのに、ヨウは「また乗りたい」と喜び、けっきょく2回並んで乗りました。

縁日もいくつか出ていて、「チョコバナナを食べたい」というヨウ。大きくて食べ切れるかわからないけど、それに虫歯も心配だけど、今日はヨウの喜ぶことをすると決めていました。

顔くらい大きなチョコバナナ

口をチョコまみれにしながら、なんとか1本食べ切ることができました。「ママにもひとくちちょうだい」と言ったら、ふたくち分もくれました。笑

帰り道は、私がよりたかった本屋さんに付き合ってもらうことに。そこで見つけた組み立て式のパズルおもちゃ「LaQ」を、今日の記念に、買ってあげようと思いました。

たくさん種類がある中から、ヨウが選んだのは、赤の飛行機のLaQ。
「おにいちゃんにはかわないの?」と聞かれたけれど、「今日はヨウとお出かけしたから、ヨウの好きなのを買ってあげるね。お兄ちゃんにはお兄ちゃんの好きなものをまた別の日に買おうね」と言いました。

その飛行機をとても気に入り、お布団にまで大事そうに持って一緒に寝ました。

そうして最近はパパと寝ることが多かったのに、私の隣にぴったりくっついてきたヨウ。私はその姿に驚きました。

「今日は消防車もみて、新幹線にも乗って、ストライダーにも乗って。楽しい一日だったね」

疲れてすぐにコテッと眠ったヨウの顔を見ると、私まで満たされたような気持ちがしました。

私は、私が変わることで、こんなにもヨウが変わるなんて思わなくて。たった1日のこの変化が、信じられない気持ちでした。

「ママきらい」というヨウは、私自身の態度そのものだったのでしょう。私があのとき悲しくてショックな気持ちを抱えたように、ヨウはずっと寂しい思いをしてきたのかもしれない。

まだまだお兄ちゃんより言葉にする力がないからこそ、意識的に時間をとって、たっぷりと関わる時間をもちたいなと思いました。

それにしても、ふたりで出かけるのはとっても楽しかった。次はいつ出かけようかな?
ツーショットの写真は私の宝物です。

小森谷 友美
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