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ひとりカフェも、ドタバタ育児も、当たり前じゃなかった。

週末は、5年前まで夫と住んでいた場所の近くで、仕事がありました。

そのころ私たちにはまだ、子どもがいなくて。
平日は近くのビストロや居酒屋で飲んだり、週末はカフェでお茶してたなぁと思い出し、街を歩くと懐かしい気持ちになります。

仕事の集合時間まで、あと30分ありました。

きょうは夫が2歳と4歳の子どもをみてくれているので、私は完全にひとり。これはチャンスとばかりに、急いで近くで朝食を出している店を調べ、入ってみることにしました。

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チーズとハムが入った、大きなクロックムッシュ。
ぎっしりとチョコが詰まったスコーン。
たっぷり夏野菜のミネストローネ。
それから、アイスカフェラテ!

ひとりなのに、頼みすぎました(笑)

でも朝の時間、こうしてたったひとりで、おしゃれなカフェでゆっくりできるのが嬉しすぎて。ゆっくり、とは言っても30分ですが。

食べものが来るまでのあいだ、ひとりで好きな本を読める。
(いつもは慌ただしく絵本を読んだり、箸袋で遊んだりしている)

大好きなチョコのスコーンを、ひとりでぜーんぶ食べられる。
(いつもはひとくち食べたら、ほとんど取られる)

「食べる」ことだけに、心ゆくまで集中できる。
(いつもは横で食べさせ、口を拭いてやりつつ、合間に素早くかきこむ)


ああ、なんて幸せなんでしょう。

子どもがいなかった頃は、こんなにもひとりカフェ時間が貴重なものだったなんて、知らなかった。

今ごろ頑張って子どもと遊んでいるであろう、夫には感謝するとして。私はめったに来ないこの場所での、ひとりカフェ時間を満喫させてもらいました。


パンを食べながら、私は息子たちのことを考えました。

その前の晩、私は4歳の長男とふたりでドラッグストアに買い出しに行ったんですよね。いつもの昼間とは違う、夜に街を歩ける特別感に、息子はとても嬉しそう。

「ぼく、光るくつをはいていく!」とお気に入りの靴を履き、その足取りにあわせるように、靴の底が暗闇のなかでピカピカと光っていました。

手はしっかりと、私の手を握っています。
まだお母さんと手をつないで歩く自分の姿には、1ミリも違和感を持っていないよう。

お店では「ぼくがもつ!」と率先して、重たい油を両手に抱えるようにして持ってくれました。使命感に駆られたようなその顔が、なんだか頼もしい。
「ほたるのひかり」のメロディが流れたら「ママ、はやくしないとお店が閉まっちゃうよ!」と焦り、何度もレジに行こうと促してくれました。


このさき、息子がもう少し、大きくなったら。

小学生の高学年とかになったら、一緒に手をつないで買い物に来てくれるかな?

重いものを嬉しそうに持ってくれるかな。ほたるのひかりが鳴っていることを、一生懸命ママに知らせてくれるのかな・・・

今の私にとって、小さな4歳と2歳の男の子と暮らす生活は「当たり前なもの」になりすぎてしまっているけど。それは長い人生の中で見たら、かけがえのない、宝物のような瞬間なんだと思ったのです。

夜の街で、息子と手をつなぐその光景。
息子のはずむような足どりと、歩くたびにピカピカ光る道。

きっと10年後の私からしたら、まばゆいほどに美しい、戻りたくても戻れない思い出になるんだろうなぁと思いました。


ひとりカフェできるのがふつうだった5年前が、遠い昔のようであるのと同じように。今の日常だって、未来の私にとってはきっと、当たり前じゃないんですよね。
そんな当然のことも、ドタバタな毎日では感じることが難しくなっていました。

日常のありがたさにふと気づけたのも、ゆっくりと自分に向き合う時間ができ、仕事に没頭することができたから。

帰ってからは、留守番をがんばってくれた夫と子どもたちに、彼らの大好きなシウマイをつくりました。疲れていたけどそれも気にならないほど、心が満たされていました。

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こうして日常をnoteで綴ることは、数年後の自分へのプレゼントである気もします。文章で過去にタイムスリップできたら、きっと素敵だなぁ。

きょうは月曜日。東京は、梅雨の合間の晴天です。
子どもたちはプールに入れるかな〜
よい1週間をおすごしくださいね。

小森谷 友美
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