キリスト教について(5)
使徒言行録の第一章10項で、まるでUFOに連れ去られるような
ナザレのイエスの描写があり、弟子たちがぼーっと空を眺めている。
そして、
第一章12項
それから弟子たちは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。
この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。
キリスト教の安息日とユダヤ教の安息日はかなり異なります。
ここで言う安息日はユダヤ教で言う安息日で、
おそらく金曜日の日没から土曜日の日没までと思われます。
労働してはいけない日で、火も使ってはいけないし、
家事などを含め、日中の労働を一切行ってはいけませんが、
オリブ山からエルサレムまでは徒歩で1時間10分程度なので、
労働ではないと無理やり考えたようです。
第一章13項~14項
弟子たちは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。
その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、
バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンと
ヤコブの子ユダとであった。
弟子たちはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。
ここで初めて弟子たちの名前が明らかにされます。
そして弟子たちの人数も11人とわかります。
しかし、面白いのは、婦人たちは弟子とは見なしていないことです。
弟子たちと一緒に主(絶対神ヤハウェ)に祈っているにも関わらず、
弟子とは言わないのです。
まぁ、ナザレのイエスの母や兄弟たちは親族なので、
弟子と言うのははばかれたのかもしれません。
この時はいまだユダヤ教における家父長制度の
影響が強く出ていると思います。
第一章15項~22項
そのころ、百二十名ばかりの人々が、一団となって集まっていたが、
ペテロはこれらの兄弟たちの中に立って言った。
『兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになった
イスカリオテのユダについては、
聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、
成就しなければならなかった。
そのため彼はわたしたちの仲間に加えられ、
この務(裏切り)を授かっていた者であった。
(彼は不義の報酬で、ある地所を手に入れたが、
そこへまっさかさまに落ちて、腹がまん中から引き裂け、
はらわたがみな流れ出てしまった。
そして、この事はエルサレムの全住民に知れわたり、
そこで、この地所が彼らの国語でアケルダマ(地名)と
呼ばれるようになった。『血の地所』との意である。)
詩篇に、『その屋敷は荒れ果てよ、そこにはひとりも住む者がいなくなれ』と書いてあり、また『その職は、ほかの者に取らせよ』
とあるとおりである。
そういうわけで、主イエスがわたしたちの間にゆききされた期間中、
すなわち、ヨハネのバプテスマの時から始まって、
わたしたちを離れて天に上げられた日に至るまで、
始終わたしたちと行動を共にした人たちのうち、だれかひとりが、
わたしたちに加わって主の復活の証人にならねばならない。』
アケルダマの場所はここ。
何が言いたいのかと言うと、
イスカリオテのユダが死んだので、
新しい弟子を誰にするかと言う話ですね。
他の弟子たちがガリラヤ出身ですが、
イスカリオテのユダはケリヨト村(イスカリオテ)出身の様です。
第一章23項~26項
そこで一同は、バルサバと呼ばれ、
またの名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立て、
祈って言った、『すべての人の心をご存じである主よ。
このふたりのうちのどちらを選んで、
イスカリオテのユダがこの使徒の職務から落ちて、
自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、
お示し下さい。』
それから、ふたりのためにくじを引いたところ、
マッテヤに当ったので、
この人が十一人の使徒たちに加えられることになった。
イスカリオテのユダが死んだので、弟子をくじ引きで決めたと
明記しているのですよねぇ。
いい加減すぎると思いますが、当時はそれが普通だったのでしょうか?
そして、ここで弟子が12人となり、
十二使徒の誕生です。
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