見出し画像

キリスト教について(4)

キリストの使徒(弟子)と言えば12使徒が有名ですが、
一番古い時代にまとめられたマルコ福音書などでは、
言語学的に「使徒」ではなく「伝える者(使者)」であり、
人数も12人ではありません。

ルカ福音書と使徒言行録には構成の共通点が見られ、
使徒言行録を調べると初期キリスト教の布教状況が見られると
思いますので、使徒言行録につて考察してみます。

第一章1項
『テオピロ』よ、わたしは先に第一巻を著わし、

使徒言行録は「テオピロ」と言う人に向けて書かれていて、
「テオピロ」は神を表わす「セオス」と友を表わす「フィロス」を
合わせた名前で、「神の友」、「神に愛された者」、
あるいは「神を愛する者」という意味です。

おもに2人の使徒ペトロとパウロの活躍が
中心に描かれているのですが、内容をよく見ると、
色々、面白いことが書かれています。 

第一章2項~3項
ナザレのイエスの行い、また教えはじめてから、
お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、
天に上げられた日までのことを、ことごとく記した。

と書いていながら、
実際は、ゴルゴダの丘(イスラエルの頭蓋骨の丘)で、
復活してから、たびたび、弟子たちの前に現れるナザレのイエスの
40日にわたる神の国についての話が少しと、その後の話がほとんどです。

第一章4項~5項
そして、食事をしている時に、弟子たちに命じた。
『エルサレムから離れないこと、
わたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。
洗礼者ヨハネによりナザレのイエスが水(湖水)でバプテスマ
(洗礼:死と復活の儀式で正式なユダヤ人として受け入れられた確証)を
受けたが、ナザレのイエスの弟子たちは、
聖霊(当時は三位一体と言う概念は無かったと思われる)から
のバプテスマを受けるだろう』とナザレのイエスが語った。

使徒言行録から、この頃の聖霊は絶対神ヤハウェの分身だったり、
ナザレのイエスの分身だったりしていたと考えられます。

第一章6項~9項
弟子たちが一緒に集まったとき、ナザレのイエスに聞いた、
『主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか?』
ナザレのイエスは弟子たちにこう言った。
『時期や場合は、父(絶対神ヤハウェ)がご自分の権威によって
定めておられるのであって、弟子たちの知る限りではない。
ただ、聖霊が弟子たちにくだる時、弟子たちは力を受けて、
エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、
わたしの証人となるであろう。』こう言い終ると、
ナザレのイエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、
その姿が見えなくなった。

ここまでが第一章9項で、
ナザレのイエスが天に上げられた日になってしまい、
後は弟子たちの布教の物語が中心になります。

しかし、ここまでの文章を見ると、
ナザレのイエスの実像がぼんやりと見えてきます。

エルサレムで待っていれば、弟子たちは聖霊のバプテスマを受け、
弟子たちは力を得て、ナザレのイエスが語ったことが真実であると、
イスラエルだけでなく、ひろく知らしめるだろうという事ですね。

第一章10項~11項
ナザレのイエスが天に上って行かれるとき、
弟子たちが天を見つめていると、
いつの間にか、白い衣を着たふたりの人が、
弟子たちのそばに立っていてこう言った、
『ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。
あなたがたを離れて天に上げられた
このナザレのイエスは、天に上って行かれるのを
あなたがたが見たのと同じ有様で、
またおいでになるであろう。』

結局、弟子たちはナザレのイエスが「エイリアン・アブダクション」
でも出会ってしまったような反応でしかないのが、不思議ですね。
もし、実際にこのようなことが起きるのなら、
ヘリコプターなどによる吊り上げしか考えられませんが、
当時にはヘリコプターなどないですからねぇ。

UFOによる誘拐事件と考えた方が、神の奇跡よりは腑に落ちますが、
皆さんはどのように考えますでしょうか?

Previous:キリスト教について(3)
NEXT:キリスト教について(5)→ Coming Soon

関連記事:
日本における仏教(1)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?