見出し画像

100日後に散る百合 - 67日目


「”名俳優”とかけて、”お祝い”と解きます。その心は―――」

「咲季、違うそこ右」

「ありゃりゃ」

先を行く咲季が、別方向に行こうとするので止める。方向音痴なんだろうか?

今日の咲季は、上は黒シャツ、下は深緑のスカート。硬めの素材のスカートはそこそこ丈が短い上に、よく見るとちょっとスリットが入っていてエロい。って、なんで私は咲季のファッションを見るたびエロいしか感想が出ないのか。

頭には、キャスケットと呼ばれる箱型の帽子。私は、帽子を被れる女の子はもれなくファッションセンスがいいと思っているし、実際咲季は似合っている。

対する私はセーラーワンピ的なやつ。グレー系のクラシカルなデザインで、可愛すぎないのがちょうどいい。でも風薇に「なんとか坂みたい」とか「地雷女みたい」とか言われたのでしばらく着てなかった。それにちょっと丈が短めで恥ずかしいっちゃ恥ずかしい。

けど、今日は一応、記念日デートなんだ。私だって、少しは頑張ったりする。

その証拠に、今日は髪もハーフアップみたいしてきたんだぞ!えっへん!咲季にも「可愛いね」って褒めてもらった。やってきた甲斐があったもんだ。

もちろん、貰ったイヤリングもしてる。


地図アプリ上では、劇場までもうすぐだ。

「人多いね」

咲季が言う。

「そりゃ都心はね」

私らの住んでいるところから、電車で約1時間。都心は人も多ければビルも多い。私の生活は玉根程度の都会で全然事足りるのだが、クラスメートの会話を聞いていると、服買う為にとか、美容院行く為にとか、そういう目的でこっちに来ることも少なくないらしい。

「はぐれちゃうかも」

「あはは、手繋ごうか」

そんな埋もれてしまうほどの人混みではないけれど、こういう言い訳でもないと、私からは誘えない。

もっと素直になりたい。

「それで、さっきの何?」

「さっきの?」

「謎かけみたいなやつ」

「あー、”名俳優”とかけて、”お祝い”と解く」

「その心は?」

「え~?当ててよ」

クイズなのか。んー、何だろう。

と、考えている間に、劇場に着いてしまった。

チケットもぎりで手を離したのが少し名残惜しくて、でも劇場内で改めて繋ぐのもなんか恥ずかしい。結局、座席でおとなしく開演を待っていた。

映画が始まる前みたいな雰囲気だけど、それよりはどことなく緊張感があった。スクリーン越しの完成品を観るのと、生身の人間がリアルタイムで演じるものを観るのとでは、観客の意識が違うのかもしれない。私も、そんな会場の雰囲気に中てられて、少し畏まってしまうというか、背筋をつい伸ばしてしまいたくなった。

「スマホの電源切った?」

「あ、やば。切る」

「さっきもアナウンスされてたけど、マナーモードとか、サイレントモードじゃダメだよ?電源切ってね?」

そこそこの圧で言われた。咲季は嫌な思い出でもあるのかもしれない。まあ確かに、劇とか映画に浸ってる時に、近くでブーブー鳴ってたら萎えるよね。

「大丈夫? 寒くない?」

「うん」

こういう時に気を遣ってくれるのが咲季だ。こういうところが好きだなあ。

「ねえ、さっきの謎かけの答え、分からないんだけど」

「本当? ちゃんと考えた~?」

考えてません。面倒くさくて。

「しょうがないなあ」

咲季は少し勿体ぶって、

「答えは、どちらも―――」

ブーーーーーーーー

開演のブザーが鳴った。



初めての演劇(正確には小学校の行事かなにかで観劇の経験はあった気がする)は、ちょっと不安だったけれど、全然問題なく楽しめた。

内容は、スランプに陥り立ち行かなくなった画家が、ある少女との出会いによって、新たな人生を歩み出す的な話だった。『痣見ぬ陽炎』というタイトルの意味はよく分からなかったが、すごく大雑把な感想を言うと、面白かった。

舞台装置はそれほど大掛かりなものではなかったが、やはり役者の力強く、そして繊細な演技は、つい見入ってしまうものだった。

特に印象的だったのは、メインヒロインとなる少女を演じていた女優さん。見た目は結構若く、さすがに私たちより年上だろうけど、最悪まだ10代かもしれない。

少し硬く、でも女の子らしさのある声。絶妙な表情。足の先まで神経の通った動き。セリフの間。比較的キャリアのあるであろう他の出演者たちと比べても、見劣りしない演技だった。まあ、素人目だけどね。

「面白かったなあ」

そう言って隣を見ると、咲季はぼーっとステージを見ていた。感動して言葉も出ない…………って感じではなさそう。

「咲季?」

反応がない。

「ねえ、咲季ってば」

「……あ、なに?萌花」

「どうしたの?」

「ううん、なんでもないよ。いい舞台だったね」

咲季が笑ったのはその時のほんの一瞬だけだった。

劇場を出た時に「せっかくこっち来たけど、買い物とかしなくていいの?」と聞いても、「別に今日はいいや」と返された。

「体調悪い?」とか「なんかあった?」とか聞いても、「大丈夫」と返した。

電車に乗って上新納に着くまで、咲季は下ばかり向いていた。

私が頑張って手を繋いでも、大した反応もなく事務的に握り返してくるだけだった。

咲季の手は、いつもより冷たかった。

「嘘、降らないって言ってたのに」

上新納を降りたタイミングで、急に雨が降り出した。しかも結構、強い。今日は比較的晴れていたんだけど、お天気雨みたいなものだろうか。

「どうする? どっか寄って、様子見る?」

聞くけれど、咲季は何も答えない。

そういえば、近くに喫茶店があったな。私の誕生日の時に、咲季が連れてきてくれた所。んー、でもこの空気でお店に入っても、余計に咲季と気まずくなるだけのような気がする。

「い、急いで帰ろうか……!」

それは少し冗談半分だったけど、咲季が小さくうなずいたような気がしたので、構わず手を引いて駅を出た。

雨の中、傘もささずに帰るのって少し特別だと思う。それで咲季の気が紛れればいいな、とも考えていた。


バタン


咲季の家に着く。

「…………タオル、持ってくる。ここで待ってて」

咲季は、か細い声でそう告げて、奥の部屋に入っていく。

私は玄関で待たされる。コイラはどうしたんだろう。

ほどなくして、咲季が戻って来た。

濡れた髪に、暗い顔。それだけで絵になってしまう女の子。

「ありがとう」

タオルを受け取ろうとするが、咲季はその手を離さなかった。

ぼふん、と私の頭にそれを被せ、わしわしとやや乱暴に髪を拭かれる。

「あ、えと、咲季? 自分で拭くからいいよ?」

すると、その手がぴたりと止まる。

「…………萌花は」

冷たくて重い声。

「萌花は、私のこと好き?」

この玄関から見える窓の外には、鉛色の雲が広がっている。雨も降っている。

「うん、好きだよ」

聞かれたから返したけど。

なんで、今そんな話をするんだろう。

普段から伝えているのに。

何を確認されているんだろう。

「嬉しいな」

セリフとは甚だ不釣り合いな声色を契機にして、

咲季が唇を押し付けてきた。

「んっ、ぁぁ、、れ、、んぅ、ん」

強引で、優しさの欠片もない舌が、私を乗っ取ろうとしている。

タオルのせいで前が見えなくて、咲季がどんな顔をしているのか分からない。ただ味わっている粘膜が、やたら不愉快に感じた。

私を気持ちよくさせる為じゃなくて、咲季自身が気持ちよくなる為のキスみたい。

嬉しくない。

けれど私の身体は、条件反射のように力が抜けていってしまう。

それを知ってか知らずか、咲季は私の耳を指でなぞり始める。

「ぁぁ、ん、さ、さきぃ、みみ、だめっ、ぇ、んん」

私の抗議に構うわけもなく、ふしだらなキスが続く。

乱暴に私の唾液をすする音が響く。

雨で冷えたはずの私の身体は、あっという間に火照っていた。私はもしかして無理やりされるのが好きなのか、とか、余計なことを考える。

おかしいよ、こんなの。

「れぇー、んっ」

私の口を散々蹂躙したその舌は、そのまま勢いよく私の右耳を食べ始めた。

腰が疼く。

「ぃゃ、あっ、んっ、ぁっ、むりぃ、んんぅっ」

暴力的に耳をなぶられている。

頭に直接水音が届く。

濡れた髪が、頬や鎖骨に当たって鬱陶しい。

タオルが床に落ちる。

「じゅる、れら、んっ、っ、れろれぉ、ぅん」

同時に私は後退させられ、身体がドアに押し付けられる。手首を頭上で掴まれ、脚の間に咲季の脚が入る。

逃げられない。

空いた右手が、乱暴に私の身体を触り始めた。頬を撫でて、首筋をなぞって、肩を包んで、腕を滑って、手を握って、腰を抱いて、太ももをくすぐって、お尻を掴んで、脇腹を押さえて、胸を弄る。

おぼつかない手が前のボタンを外しているのは分かったが、耳では乱暴な舌先が私の気持ちのいい所を的確に攻めていて、とても抵抗できたものではなかった。

するすると服の隙間から咲季の手が侵入してきて、下着の上から胸を揉まれる。いつかもこんなことがあったけど、もっと力任せで、もっと苦しいものだった。

私は、ここにきてやっと痛みを覚えて、底に落ちた意識を無理やり引っ張り上げた。

こんなの、おかしい。

「はぁ、ん、さき、さき!待って!」

何かに取り憑かれたように私を犯そうとする身体を、必死に引き剥がす。

「なんで、れぇ、ん、もえかも、そのつもりで来たんじゃないのっ、ん、ぁ」

やめてくれない。

「ぃ、ゃっ、そういう、ことじゃない!」

やめて。

やめてよ。

「さき!やめて!!」

「ワン!!!!!!」

私の叫びと一緒に、いつの間にか来ていたコイラが吠えた。

咲季は悪い夢から覚めたように、汗だくになって、目を開けていた。

「はぁ、はぁ、っ、ぁ、い、今の咲季、怖いよ…………全然優しくないし、愛されてもない」

耳も口周りもべとべとで、汗と雨で濡れた身体が気持ち悪い。

少しだけ後ずさりした咲季の腕に、私の涙が落ちる。

何か鈍い音が聞こえた。私からなのか、咲季からなのかは分からない。

「ごめんっ、萌花!私、そんなつもりじゃ!」

無理やりされたという行為ではなく、何を考えているか分からない咲季そのものが怖かったんだと思う。

「咲季、なんかさっきからおかしいよ!ずっと思いつめた顔して、ぼーっとして、そしたら急に襲ってきて」

「ごめん」

「だいたいさ、デート中に暗くなんないでよ!私、なんか悪いことしたかなとか、つまんないのかなとか心配になる!」

あれ? 私、思ってもないことまで口走ってる。

「愛されてないのかなって、不安になる……………」

違う、こんなことが言いたいんじゃない。

「ごめんね、萌花、私、」

「ねえ、なんかあったんでしょ!? 劇場で何があったの? あったんだよね?」

咲季の腕を掴んで、縋ってる自分がいた。

「いや、あの、それはちょっと言えなくて」

「なんで、ねえ!? 私のこと嫌い!?」

違うよ、咲季が私のこと好きなのは十分に知ってるのに。

「黙秘だよ、萌花。あなたには、関係ないことだから―――」

「関係ある!!!!」

拭ききれていなかった水しぶきが飛ぶ。

「私、咲季の彼女だよ!? 関係あるの!!咲季のこと、もっと知らなきゃいけないし、もっと愛さなくちゃいけないの!!」

彼女の脈が止まってしまうくらいに、私はその腕を強く握る。

「萌花……………」

「あなたとずっと一緒にいたいの!!深く知っちゃだめ!?将来のこと聞いちゃダメ!?過去のことを追っちゃダメ!?」

吐き出して、どうしたいんだろう。

「咲季しかいないの、私の中……………………」

面倒くさい女だ。

咲季がおかしくなったのは舞台を観てからだ。きっと、演劇部関連のことで何かあったんだ。

でも以前部活について聞いた時には黙秘されてしまったし、そもそも咲季が自分で黙秘制度を作ってまでも、私に言いたくないことがあったということは、大体分かっていたことだった。

そんなところに私はずけずけと踏み込んでいる。

”好きだから”とか、”一緒にいたいから”とか、そんな御託のようなものを並べて、あまつさえ泣いている。

わがままで、泣き虫で、

もう嫌われてもおかしくないだろうに、

「分かった、教えるから。一旦、落ち着こう? ね?」

いつもの優しい咲季が、そこにはいた。



しばらく濡れた身体でいた私はシャワーを頂いた後、リビングで待機させられていた。

今は咲季がシャワーを浴びている。

すたすたとコイラがやって来て、私を慰めるように甘えてくれた。可愛くて、ちょっと心が軽くなった。

「お待たせ」

風呂場から出てきた咲季は、ショートパンツにTシャツというラフな格好だった。デートの時の服をもう少し見ていたかったなという思いもあるが、これはこれで可愛い。

ちなみに私も咲季の部屋着を借りている。それで少しドキドキもしている。

「ありがと、シャワー」

「夏でも油断すると風邪ひくからね、気を付けないと」

少し硬めのソファ。咲季が私の横に座る。

しばらく沈黙していたけど、コイラが私の脚を鼻でつつくので、私から口を開いた。

「えと、さっきはごめんさい」

「ううん、私こそごめんね。襲っちゃった(?)こともそうだし、デートの時の態度も良くなかったよね。反省してるし、萌花が不安になる気持ちも分かった」

あ、通常版の咲季だ。

「怖かった?」

「うん……何考えてるか全然分かんなくて、咲季じゃないみたいで」

「ごめんね」

ちゅっ、と、額にお詫びのキスをされた。

「それで、話だけど」

「あ、うん」

なんとなく、姿勢を正す。

「今日の舞台、水色の髪の女優さんいたでしょ」

「いた。すごく印象に残ってる」

「あの人、代理出演で、今日だけ出てたみたいなの」

そういえば、劇場の入り口にそんな貼り紙がしてあった気がする。体調不良かなんかで、本人欠席により代演だったらしい。

「あの子、演劇部の同期。私が去年いた高校の」

なんと。ていうか、同い年だったのか。

「あの舞台、講師の先生が出てるって言ったでしょ、きっとそのコネクションで出演したと思うけど。あの子、”酉本香乃””は……」

「……うん」

「あの…………」

咲季が、目を逸らす。

「元カノ、なの」

「へえ、そうなんだ」

「あれ!?意外とあっさりしてる」

「してないよ」

「え?」

「全然あっさりしてない。今、ちょっとずつ言葉の意味を理解し始めて、色んな感情が渦巻いてる」

元カノ!?

なんだそれ!?

いや、元カノ自体は知っている。

咲季がかつて付き合っていた恋人ということだ。

そりゃ、咲季にも恋人がいただろう。

だからあの時、女の子同士の恋愛の難しさを説いていたんだ。

でもそれは同時に、かつて咲季にとっての特別が、私ではない誰かだったということだ。

私ではない誰かに愛を伝えて、

私ではない誰かと手を繋いで、

私ではない誰かとキスをして、

私ではない誰かと身体を重ねたかもしれない。

悔しい? 悔しいのかな。

知ってる。知ってるよ。それが昔の話だってことは。

でも、咲季の中にある特別は、私だけのものではないんだ。過去であろうと、その事実は変わらない。

私の中は咲季だけなのに、その不釣り合いな感じが、少し嫌なのかもしれない。

「前の学校で、部活が一緒だったの」

「酉本さんも、演劇部?」

「そう。当時から演技が上手で、文化祭劇もそこそこの役に抜擢されてたよ、1年生なのに」

どれくらいの規模の部活だったのかは知らないが、すごいことなんだろう。

「秋頃に私から告白して、付き合った」

またそこでグサッと来てしまった。

咲季の方から好きになったんだ。

「それで、ちょっとしたことでバレた。皆には秘密にしてたんだけどね」

まあ、それは仕方のないことかもしれない。

「ただ、バレただけじゃなかったんだ」

「……………?」

咲季は、なにか苦いものを飲み込んだような顔で零した。

「いじめられたんだよ、香乃が」

咲季が、私に語りたがらなかった理由が分かってきた。

元カノということもあるだろうが、それに伴う出来事の方が問題だったのだ。

「私がそれに気付けたのは、香乃が本格的にいじめに遭い始めて、2週間経った頃だった。放課後に遊べることが少なくなったり、連絡が滞ったりしてて、それで私が問い詰めたんだ。そしたら……”レズだって言われて、部内でいじめられてる”って」

吐露する咲季が辛そうで「もういいよ」と言ってあげたかったけど、ここまで踏み込んでおいて、それが言える立場でいられる自信がなかった。

「私が悪いのに!香乃は私に告白されて付き合い始めただけなのに……いじめられるのが私じゃなかった。レズは私なのに!」

酉本香乃は優秀な演者だったという。例えば同期からの嫉妬もあっただろう、上級生から憎まれ口を叩かれていたかもしれない。標的としては丁度よかったのだ。

「しかも私はそれに気付けなかった。ずっと香乃に一人で辛い思いをさせてた。むしろ私は皆に仲良くしてもらってた!!」

咲季の好きだった子が自分のせいでいじめに遭ったのだ。それは苦しい。

「それでフラれた頃にはもう春休みだった。もう連絡も付かなくなって、直接謝ることも出来ないまま、私は急にこっちに引っ越すことになった」

「それを思い出してたんだ…………ごめん、変なこと聞いちゃって」

「いや、違うの。それもあるんだけど」

咲季は、本当に困った様子で、

「見たでしょ、今日の演技。私と別れてからいじめが終わったのかどうかは知らなけど、堂々と舞台に立って、ちゃんと自分のやりたいことをやって、すごく自分に自信があるようだった」

確かに、それはそうだ。

「だから、私それでもうよく分かんなくなっちゃって。自分の犯した罪と彼女の受けたダメージのバランスとか、彼女が一人で立ち上がっているのに私は一体何で償えばいいのかとか、あれは私への報復じゃないかとか。どうやって心に整理をつければいいか見失っちゃって、それで…………」

「わかった、わかったよ。もう、いいから」

結局、言うだけ言わせた形になってしまった。

慰めに咲季を抱きしめたけど、それで安心させられるだろうと思っているのが申し訳なくて、とても居心地の悪いハグだった。

それ以上に、私に弱いところを見せてくれたのが嬉しいとさえ思っていた。

最低だ。

「どう? 彼女の元恋人の絡んだ闇エピソード。心傷んだ?」

それは、場を和ませようとした冗談の割には、ひどくつまらないものだった。

咲季は、冗談が下手だ。



一旦、その話は忘れようよと言って、夕飯の買い出しに出た。

雨は止んでいて、やっぱり天気雨だったようだ。風は強かったけど。

帰ってきて、週末分で出された課題を少しやって、その後テレビを見てだらだらした。映画のCMが流れて、そういえばまだ映画館デートとかしたことないねとか、水族館とか遊園地とかも行ってないねとか、でもこうやって家でダラダラするのもいいねとか、他愛のない、だけど恋人じゃないとできないことを話した。

「いただきまーす」

「あ、待って、割るから」

咲季の前に出したオムライス。卵にゆっくりとナイフを入れていく。亀裂から半熟の黄身が顔を覗かせた。裾から崩れないようにオムレツを開く。具合はまあまあといったところだろう。

「すごい、お店みたい」

「慣れればそんなでもないよ」

ただ、普段使わないコンロとフライパンだと少し勝手が違うので、自分の勘を信じてやるしかなかったけど。

「あ、そうだ」

咲季が何か思いついたように、席を立って冷蔵庫に向かう。

「かけないの?」

「あー、チキンライスに結構しっかり味ついてるから」

持ってきたのはケチャップだった。御開帳タイプのオムレツの時は、上にケチャップをかけると見栄えが悪いので私はかける派ではない。

「せっかくだから、ハートとか描いてもらおうと思って」

くいくいと、エプロンの端を摘ままれる。咲季がプレゼントしてくれたものを、今日わざわざ持ってきて着けている。

「ね、描いて」

「え」

「描いてよ」

「なんでよ」

「えー?本当に?嬉しい!!」

「いや、話聞いてた?」

「いやー、まさか本当に描いてくれるなんて思わなかった」

「…………もう」

理不尽にも程があるけど、キャッキャとはしゃぐ咲季が愛しかったので、要求に応じる。

「こ、これでいい?」

不慣れだな。ド下手くそなハートマークになってしまった。まあ、愛というのは得てして歪なものだ。

「だめだよ」

「え………」

理不尽に要求された上に受理されないこの始末。なんだこの絶望感。

「はい、ほら。”萌え萌えキュン♡”って。美味しくなる魔法掛けて?LOVE注入して?」

「やるわけないでしょ!?」

「え!?いいの!?」

「言ってない」

「嬉しなあ」

「…………」

「ごめんごめん、冗談だよ!冗談だから早くナイフ下ろして?」

「咲季を殺して、私も死ぬ…………そしたら、ずっと一緒だね♡」

「こわこわいこわい」

「……冷めちゃうから早く食べよ」

「あ、うん」

今日はポテサラと、それと簡単な冷製スープも作った。

咲季はいつものように美味しそうに平らげてくれて、ああ、一緒に暮らしたらこういう生活になるんだなって思った。

「じゃーん!!」

咲季が冷蔵庫からケーキの箱を取り出してきた。

「あれ、あんまびっくりしてない?」

「気付いてたよ。冷蔵庫何回も開けたもの」

昨日のうちにフィオリトゥーラで買ってきたようだ。

「まあ、せっかくだし。お祝いにね」

「ありがとう」

「チーズケーキと、ブルーベリータルト、どっちがいい?」

どっちがいいかな。

どっちも?

いいや、甘えちゃえ。

「……半分こ、しよ?」

「いいね」



待っている。

洗い物は咲季が申し出たので、ありがたくやってもらった。その間に私はお風呂を頂いて、咲季の部屋で待つ。

緊張してる。

家主がいない状態で部屋で待たされること自体落ち着かないし、ここは彼女の家なわけだからドキドキして当たり前だし、それに何より、これからのことを考えると不安とか期待とか色んな感情でごちゃ混ぜになる。

咲季は、私を襲った時に言ったはずだ。”萌花も、そのつもりで来たんじゃないの”と。

ええ、そのつもりで来ましたよ!!来ましたとも!!

昨日だって、一応、その、女の子同士のやり方とか調べたよ。いや、それは何も知らなかったらびっくりしちゃうからね!?予備知識は多いに越したことはない。

前から言っているけど、決して私がしたいのではない。咲季がきっとしたいだろうから、それに応えてあげるだけだ。

まあ、”萌花も”というフレーズから、必然的に”咲季も”そういうつもりだったということは極めて合理的に導き出せる。結果的に私の判断は間違ってなかったということだ。

…………身体はいつも以上に丹念に洗ってきたつもりだ。

すんすん。

ボディーソープもシャンプーも、あと化粧水も咲季のを借りた。今、私の身体はまるで咲季に包まれていると錯覚するほど良い匂い。

けれど、それは更なる興奮剤になってしまった。せっかくお風呂に入ったのに、もう汗をかきそうだ。

何かで気を紛らわせなきゃ。

えーと、えーと、

おや、あれは。

本棚の最下段、卒業アルバムらしきものが目についた。中学の頃のものだろう。咲季はきっとその時から可愛かったに違いない。きっとモテたんだろうなあ…………。

あ、待てよ。

咲季って、例の”酉本香乃”以外に付き合ってた子とかいるのかな。いる、よね?多分、いると思う。あとそれが女の子だけとも限らないのではないだろうか。咲季がいつレズであることを自覚したのかは知らないが、中学生で咲季に告白する男子なんて大勢いるだろう。可能性がゼロではない。

咲季は、昔の恋人のものとか捨てるタイプかな。

それとも残しておくタイプ?

この部屋に、ある?

えっと……

いやいやいや、さすがにダメだ。いくら彼女の恋愛遍歴が気になるからとはいえ、勝手に部屋を漁るのはよくない。

立ち上がって、カーテンを開ける。

星は出ていないけれど、風が強いので雲はよく動いていて、月が見えたり隠れたりを繰り返していた。

「今日の月は照れ屋さんなのかな」

自分で発したポエムっぽい表現で、不意に恥ずかしくなる。

なんだ照れ屋さんって。大体、照れ屋ならずっと隠れてるだろ。

ああ、恥ずかしい。

いずみさんの職業病が伝染ったのか?

「月が綺麗ですねー」

咲季がお風呂から出たみたいだ。

「いやあ、1日に2回もお風呂行くのってなんか新鮮だったなあ」

「おかえり、咲季―――」

振り返ると、

「え、かわいい…………」

パジャマ姿の咲季は、想像以上に魅力的で、思わず口から洩れてしまった。

紺色の、サテン生地のボタンワンピースみたいな感じ。ボタンが大きめで可愛らしいけど、丈は短いし、胸元が結構ざっくりと開いていて、すごく上品なエロさも感じる。

加えて、風呂上がりのやや火照った顔、洗い立ての瑞々しい肌。こんなの彼女だろうがなんだろうが興奮する。

「これね、ツルツルしてて気持ちいいんだよ」

そう言って、咲季は私の近くに座って、パジャマを触るように促してくる。

いい匂いがする。今の私と同じはずなのに、とことんいい匂いがする。

促されたから触っちゃう。

「あ、ほんとだ……」

裾の部分、ちょうど咲季の太ももを服越しに撫でる形になる。確かに肌触りがいい。

さわさわ。

さわさわ。

さわさわ。

さわさわ。

さわさわ。

「萌花、くすぐったいんだけど」

「あ、ごめん。夢中になってた」

少し恥ずかしそうに、裾を下に引っ張っているのが可愛かった。

「……………」

「……………」

しばしの沈黙。

なぜか私は咲季の方を見れなくて、

そして、多分咲季も私を見ていない。

時計の秒針が響く。

私の心臓の音も響いてるかもしれない。

「あ、そうだ」

「!!」

咲季が急に声を上げたのでびっくりした。

「萌花のお布団持ってこなきゃね!」

部屋を出て行こうとする。

「あっ」

私は、無意識だろうか、

「ん、萌花?」

咲季の腕を掴んで、止めていた。

「…………あ、あの」

咲季は何も言わない。きっと、私が止めた意図は分かってるんだ。それを分かってて何も言ってくれない。

だから、私が言わなきゃいけない。

「一緒に、寝たい…………」

「……………」

「……………」

「…………そうだね」

恥ずかしくて、とても咲季の顔なんて見れたものではなかったが、その声色は多分に熱気を含んでいた。

促されるままにベッドに向かい、座る。

「んぅ」

咲季は特に何も言わず、キスをしてきた。

え、もう始まってるの?

待て待て待て待て、心の準備がまだ出来てないんだけど!!!

上がっていく心拍数と、キスによる脱力感。身体のバランスがおかしいことになっている。

ともかく、本格化すると流されてしまいそうだ!!

「ふぁ、あ、あの、咲季」

「ん?」

「な、なに考えてる?」

なんて言ったらいいか分からなくて、変な質問をしてしまう。

咲季はきょとんとしていたが、

「萌花かわいいなーとか、キス気持ちいなーとか」

と、淡白に答えた。

「萌花は?」

逆に聞き返される。

「あー、 えと、私も、同じこと考えてた」

「じゃー、私を待っている間は?」

「???」

「萌花がお風呂入ってる時は?」

「え、ええ?」

「私とお泊まりが決まった時は?」

「うっ、えと、あの」

ああ、またあの顔だ。意地悪に、私を困らせて愉しんでるんだ。

秒針が響く。

反抗してやれ。

「…………襲われるんじゃないかと思ってた。咲季はえっちだからね!」

「あ、襲われたいの?」

「え、いや、違っ」

屈託のない”襲われたいの?”に身の毛がよだって、思わず後ずさりする。彼女とはいえ、襲われるのは本意ではない。

「咲季ってさ、私と、したい…………の?」

「萌花、自分でなに聞いてるか自覚してる?」

うん、分かってるよ。

分かってるから、今、とてつもなく恥ずかしい。

「ふふ、したいよ?」

また咲季が近寄ってきて、耳元で囁く。

私の後ろは壁。

「私、萌花のこと好きだもん。好きな子とえっちしたいんだよ。ねえ、ダメ?」

咲季の吐息で、耳が火傷しそう。

「今日の萌花、珍しく脚出してて可愛かった。今のパジャマ姿も可愛い」

頬に添えられる右手。

「萌花の柔らかそうなカラダ見て、私、もう、ちょっと興奮してるんだ」

親指が唇をなぞる。くすぐったい。

「めちゃくちゃにしてあげたい」

「……………っ!!」

軽い眩暈がする。

襲われるのは不本意なんて言っておきながら、私の身体は可笑しいほどに従順だった。

「まあ、でも」

うずうずした背中が、咲季が口を開くたびに反応している。

「今日はちょっと怖い思いさせちゃったから、襲うのは、また今度ね」

そう、ですか。

「あれ、今、残念そうな顔した?」

「し、してない」

「そっか」

咲季が一旦離れた。

私の手を握ってくる。

「萌花」

見つめられるので、俯く。

いや、

やっぱり見る。

「優しくするから、いい…………?」

「………………………うん」

怖いけど、

咲季なら、大丈夫だよね。

「ありがと、萌花」

ピッ

咲季が手元のリモコンで電気を消した。

真っ暗で、でも手に残った咲季の温もりは分かる。

「カーテンだけ開けるね」

「えっ」

「少し薄暗いくらいの方が、ムードも出るし、」

また、近づいて、

「それに真っ暗だと、萌花の可愛いところ見れないし」

「…………ばか」

ちゅっ。

許しを請うようなキス。

「………ね、本当に今からするの?」

この期に及んで何を言ってるのか、みたいな目をされて、私もいまいち踏ん切りがついていないことを自覚した。

「あはは」

咲季は優しく笑った。

「ぶーーーーーーーー」

なんか言ってる。

世界でいちばん妖しい ”ぶ” だったと思う。

「開演のブザーだよ。はじまりはじまり~」

咲季は、冗談が下手だ。

でもそんなことで、ちょっと緊張が解けた。



#100日後に散る百合


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?