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100日後に散る百合 - 48日目


学生の本分は学業である。

もっとも、私は部活もやっていないので、学校に行く目的と言えば、勉強することくらいなのだが。

いつもは特別棟から奏でられる吹奏楽部の音色も、グラウンドから響く運動部の熱いかけ声も、これから聞こえなくなると思うと、少し寂しい気もする。

私は帰宅部とはいえ、彼らの存在は学校を学校たらしめるようで嫌いではないのだ。

しかし、今週より部活動は停止となる。

我々には来週、待ち受ける試練があった。

中間考査、という。


「萌花の手、柔らかいね」

繋がっている。

縛られるのでもなく、結びつけられるのでもなく、繋がっている。

咲季の細く少し冷たい指と、私の猛烈に汗ばんだ指が絡んでいる。

これはいわゆる恋人繋ぎというもので、恋人同士が許された特権的な繋ぎ方……とまでは思ってないけど、やはり、その、特別に感じてしまうものではある。

互いの想いが通じ合ってるっていうのが、形になって表れている気がして、手を繋いでいるという事実よりも、私は咲季を好きだし、咲季も私を好きでいてくれていることを実感できて嬉しくなる。

「こうやって二人で帰るの、恋人っぽくていいよね」

「だ、誰かに見られないかな」

「大丈夫じゃない?この辺、そんなにうちの生徒いないんでしょ?」

「そうなんだけど」

「女の子同士で手繋いでても、そんなに詮索する人いないって。私の経験的には」

まあ、咲季が言うなら大丈夫なんだろう。

ん?ということは、咲季は既に誰かとこうして手を繋いだことがあるということ?

いや、あるか。咲季だもんな。

「うわー、ここのお家すごいね」

咲季が感嘆の声を漏らしたのは、私の通学路にある例の庭が凄い家だ。手入れの行き届いた広いお庭は、いくつもの植物に彩られ、小さな植物園みたいになっている。

「萌花は好きな季節ってある?」

「うーん、春は花粉症が嫌だし、夏は暑くて嫌だし、秋はなんか嫌だし、冬は寒くて嫌だ」

「もうちょっといい側面見つけてあげなよ。秋に関しては可哀想すぎる」

「咲季はあるの?好きな季節」

「全部」

「卑怯では?」

「だってー。まあ、どの季節が好きっていうか、流れがあるのがいいと思わない?」

咲季はその純度の高い瞳に、鮮やかな庭を映している。

「こうやって花が咲いたりしてさ、色とか香りとか、そういうので季節の移り変わりを感じられる。別に彼らは人間を楽しませるために咲いてるんじゃないんだろうけどね。でもその生の逞しさが無ければ、私たちは“季節”なんてものを意識しなかったかもしれないし、自然に対して美しいと思うこともなかったかもしれない。季節、あるいは世界は、すごく能動的な営みで動いているんだよ」

「じゃあ、もっと、能動的にお勉強しましょうか」

「えー」

口を尖らす咲季が可愛くて、もう少しいじめたくなってしまった。

こうして二人で帰路を辿るのは、私の家で勉強会をしようという話になったからだ。

先週の金曜日に咲季が提案していたものの、私は集中して聞いてなかったので、結局今日その企画を知ることになった。

「えと、じゃあ、どうぞ」

家に着いたので、案内する。

「お邪魔しまーす」

「…………誰もいない」

唯一家にいるであろういずみさんに友達が来ると連絡はしておいたのだが、未だ既読がついていなかった。

もしかして、仕事で外に出たか?

と、思ったら、テーブルに置手紙があった。出版社の関係者と会食らしく、夕飯も要らないとのことだった。

「いずみさん、居ないわ」

「えー、嘘~!?あー、でも逆によかったかも」

「何で?」

「いやだって、リリ先生に会うのめちゃくちゃ緊張するじゃん。私、実は結構ドキドキしてたんだよ?」

咲季は、私の義母であるいずみさん、もといエッセイスト・一斗リリのそこそこのファンだ。

「一応サイン貰おうと思って、本も持ってきたんだよねー」

「別に預かってもいいよ。早ければ明日渡せるけど」

「直接貰うのがいいんじゃん」

「ああ、そういうものなんだ」

「それに、萌花の保護者でもあるんだし、ご挨拶もしておいた方がいいかなーって」

「え、ええ……?」

「どういう人と付き合ってるのかって、結構親御さんは心配するんだよ。リリ先生には、私のこと話してあるんでしょ?」

「いやまあ、そうだけど」

いずみさんには、咲季のことで相談もしたし、付き合った報告だって済ませてある。

「じゃ、じゃあ、私も咲季の親御さんにご挨拶した方が良い?」

「んー、でも私、お母さんには萌花のこと割と話してるよ。写真も見せたし」

「え、待って、どれ!?どの写真見せたの!?」

「全部可愛いから大丈夫だよ」

「そういうことじゃない!!えー、もう恥ずかしいなあ!!」

咲季は、いつものように「あはは」と笑った。


「どれがいい?」

紅茶でも淹れようと思い、いずみさんが知り合いから頂いたというフレーバーティーの存在を思い出した。勝手に飲んでいいと言っていたので、お言葉に甘える。

「萌花は?」

「んー、ローズティー」

「じゃね、私はこの青い花のやつにする」

「ミルクと砂糖は?ストレートがオススメって書いてあるけど」

「うん、要らない」

先に部屋に入ってもらって、キッチンで淹れた紅茶を持っていった。咲季が手土産で持ってきたフィオリトゥーラのバウムクーヘンも皿にあける。

「すごいね、お花の香りが」

カップを傾けると、ふわっと豊潤で甘い匂いが広がる。対する味はやや渋めになっていて、そのバランスが妙に癖になる紅茶だった。

「萌花のも一口貰っていい?」

「うん」

「ありがと」

咲季は私からカップを受け取り、特にためらいもなく口をつける。

あー、これ間接キスだわ。ラブコメで主人公が悶えるやつだ。

こうして見ると、あんまり興奮しないものだな。

それより私は、カップから離れた瞬間に見える少し濡れた唇だったり、お茶を飲み下す喉の動きがやけに気になってしまう。

「うん、美味しい」

咲季から返ってきたティーカップに私がすぐに口を付けなかったのは、少々熱かったからだ。アイスにしておけばよかった。

「妹さんは?いつ帰ってくるの?」

「今日は病院に行く日だったと思うから、ちょっと遅いかな」

「そっかあ。…………なんか、私じゃあんまり力になれないっていうか、私が首を突っ込むことでもないのかもしれないけど、困ったことがあったら、頼っていいからね」

咲季には、行雲ちゃんのことも軽く話してある。別に助けてほしいとかそういう意図はなかったのだけど、咲季は優しい言葉をかけてくれるので、気持ちはありがたく受け取っておいた。

「さて、やりましょうか」

「えー」

「えー、じゃない。そのために来たんでしょ」

「でもぉ、今日は二人っきりってことでしょ?」

「……………………あ、本当だ」

行雲ちゃんは病院、お父さんは仕事、いずみさんは遅くまで帰ってこない。
今、この空間には、咲季と私の二人。

恋人同士、密室、勉強会。何も起きないはずがなく……

「まあ、でも本当にやばいから、萌花先生よろしく」

起きなかった。

「で、何ができないの?」

「国語以外全部」

「おおぅ」

咲季は顔が良くて、背も高くて、肌も綺麗だし、髪も美しい。おしゃれだし、性格も良くて、スポーツ万能である。

と、まあ、ここまで完璧なのだが、さすが神様は妙なバランス感覚を持っているようで、

「前の学校で赤点取った経験は?」

「数学で2回、物理で1回」

お勉強は、あまりできない。

「よくうちの学校転入できたね。そんなに偏差値低くないけれど?」

「ふっふっふ」

悪い顔をしている。転入試験は簡単ではないと聞くが。

「え、何。不正?」

「仕方ないじゃん!作者が転校のこととか深く調べずに設定決めちゃったんだから」

「ええ、作者……」

「い、一応試験は受けたよ?全然できなかったけど」

「形式的に受けてるだけじゃん」

咲季は転入してくる前、西にある共学の県立高校に通っていたという。都会ではなかったそうなので、うちよりは小さめの学校らしい。

「だからね、今回の試験で躓くと危ないんだよ。不正がばれたらどうしよう。私、退学させられちゃうかもしれない」

作者が決めたことだから、それはないと思うけど。

「国語が出来るっていうのは、現国も古文も?」

「うん。国語は満点近くとってたよ。国語が無かったら私の成績はもっと悪い」

「まあ、赤点取るぐらいだもんね」

「学校で模試受けたことあるけど、あのー五角形のさ、レーダーみたいなグラフあるじゃん。私のやつ、雫みたいになるもん」

咲季が言いたいのは、いわゆるレーダーチャートというものだろう。バランスが良ければ綺麗な五角形になるが、そうではないと言いたいらしい(Figure.1)。


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「萌花はどうなのさ」

「私?普通。中の上くらいじゃない?」

私の友人、風薇と璃玖が勉強できる勢なので、私も必死こいていたからだ。

「頼もしい~!じゃあよろしくね、萌花先生」

ふわりとした笑顔を向けてくる。

いつ見ても、その表情にときめいてしまう。

私が例えば、この子の家庭教師だったりしたら、間違いなく手を出しているんだろうなと思った。


勉強中のことまで書いていると、とても長くなってしまいそうなので割愛。

今日は英語をやっているけど、文法を覚えていないだけで、解き方自体に問題はなさそうだった。

「まあでも、英語はまだ出来る方だから」

「問題は理系科目だね。私も別に得意ってわけじゃないし、教えられるか微妙なんだけど」

「大丈夫だよ。萌花の教え方、結構分かりやすかったよ?」

「そ、そう?」

まあ、風薇の教え方が上手かったからなあ。自分が教えられてるうちに、なんとなく身についたのかもしれない。

風薇か…………。

ふと、唇の感覚が蘇る。

あ、だめだめ。今は咲季といるんだから。

「はりゃ~、疲れた。休憩」

咲季が大の字で床に寝転ぶ。

本当に疲れたんだろう、顔が少し緩んでいて、家ではこんな感じなのかなと思う。

相変わらずその体躯は陶器のように美しく、長くはないスカートからスベスベの太ももが覗く。

咲季は軽くストレッチをするように膝を立て、少し腰を動かす。そのたびに、スカートが少し捲れて、脚の付け根が段々と露わになっていく。

なんか、ドキドキするな。

って、これじゃあ、まるで男の子みたいな反応だ。女の子が女の子の身体で興奮するわけがない。同性なんだもん。うんうん。

とは言いつつも、少し顎を上げた咲季の首筋、捲った袖から見える白い腕に浮き出る青い静脈は、普段も見えているはずなのに、妙に官能的である。

あれ、私、おかしくなっちゃたのかな。

やっぱりレズなのかな!?女の子の身体がエロいと思ってる。

咲季の挙動から目が離せない。

いや、落ち着け、私。

私が咲季に感じている魅力は、もっと別にあるだろう。

ちょっと考えてみた結果を、Figure2に示した。


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はいはい、なるほどね。

なるほどね、じゃねーわ。

だめだ。おかしくなってる。

「……この部屋、なんにもないねえ」

私の考えていることなど露知らず、咲季が寝ながら言う。

確かに私の部屋には、これといった特徴がない。

机とベッドと本棚があるくらいで、

女の子らしいぬいぐるみもないし、アーティストのポスターもない。もちろん洒落たインテリアなどもない。

咲季の部屋にはどれもがあった。

なんでだろう。

「私が空っぽだから、かな」

「…………」

何気なく放った言葉が、やけに部屋に響いた。

咲季はどこを見るでもなく、黙っていた。

ややあって、

のそり、と起き上がる。

「ああ、何にもなくないじゃん」

咲季は何かを見つけた様子で、本棚の一角に向かい、“それ”を手に取った。

咲季から貰ったイヤリングは、もう机の一番下の引き出しではなく、見える場所に置いてあった。

「せっかくだし、つけてよ」

「うん」

慣れない手つきで着ける。手伝いの申し出は断った。これは自分でやることに意味があると思ったから。

「うん、似合ってる」

「ありがとう」

少し照れくさい。

目が合う。

「…………………萌花は、空っぽなんかじゃないよ」

独り言のように呟いて、

ぎゅぅ。

ゆっくりと、抱きしめられる。

付き合うことになった日以来のハグ。

咲季を、感じる。

空っぽの私の中を埋めるように。

咲季を、感じる。

私の中が咲季でいっぱいになる。

もっと咲季を感じたくて、私も彼女の背中に手を回す。

あの日は、一方的にハグされてるだけだったから。

私もあなたが欲しいから。

私には、咲季がいる。

「咲季、大好き」

自然と零れる。

いつもは恥ずかしくて言えないのに、今はそれを伝えたくて仕方ない。

「大好き、大好き……!!」

咲季は言葉で返す代わりに、もっと強く抱きしめてくれる。

満たされていく。

離れたくない。

この幸せを、片時も手放したくない。

全身で、永久に味わっていたい。

咲季が少し力を緩めようとしても、私はハグをやめようとしない。

「もえか、もえか」

「…………」ギュー

「そろそろ痛い」

「やめちゃやだ」

「私このままだと圧死しちゃう」

「それは困る」

仕方なく、解く。

どれくらいの時間していただろう。

「もう、そんな顔しないでよ」

「自分じゃ分からない」

「物足りなさそうな顔してる」

「ほら、私、わがままだから」

「あはは、そうだったね」

咲季は、そんな私が好きだと言ってくれる。

それが嬉しい。

嬉しくて、

「…………もっと、欲しいな」

意図せず甘い声が出てしまい、恥ずかしかった。

けれどもう、なんか、どうでもよかった。

「…………咲季、おねがい」

咲季は一瞬目を見開いて、喉を動かしたかと思うと、

「わがまますぎ」

迫る。

「…………んっ」

キスされた。

いや、されている。

風薇の時は一瞬で終わったものが、今はしっかりと感じられている。

少し薄くて、でも瑞々しくて。

ハグしているときよりも、触れている面積は少ないはずなのに、いや少ないからこそ、より繊細にその感触を確かめている。

びっくりしたけど、徐々に湧いてくる幸せを噛みしめて、私も目を閉じ、咲季に委ねる。

「ん」

頬に添えられた右手が少し震えていて、咲季も緊張してるのかなと思った。

そう思える自分の頭は冷静なのかと言うとそうではなく、逆に何を考えればいいか分からないのだ。身体の方も、どうしていいか分からず固まっていて、それが少し可笑しかった。

「ふはっ」

深い潜水から戻って来たように、咲季は少々息が荒かった。

多分、私もそう。

「もえかのくちびる、良い…………」

「そ、そう?」

「うん」

咲季は焦点の定まらない瞳で、私の方を見続けていた。

私もなんだか、同じようにしていて、

どちらからともなく、2回目のキスをした。



#100日後に散る百合


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