再チャレンジへの歩み 〜なんで俺アカペラしてるんだろう(2)〜【宿題】

前回にひきつづき、こちらの「宿題」に答えていきたいと思います。

ち まさんにとってアカペラはどういう存在ですか?

大学4年間を通して結局アカペラを好きになれず、卒業とともに、失意のうちにサークルを去った僕。
そんな僕が、なぜか社会人になってから、とある学生サークルに入会し、そこで4年間を全うすることになります。
その経緯について、今回は1本記事を費やして振り返ってまいります。

そして次回、ようやく「僕にとってアカペラとは」というテーマで記事を書いていきます……ほんと長々してしまってごめんなさい。

念のため前回の記事のリンクを貼っておきます。よろしければどうぞ。

それでは、振り返りの後編です。物好きな方々、ひきつづきよろしくお願いいたします。


空白期間

通例どおり、大学4年生の終わりに僕は所属していたサークルを卒業しました。
ただ、前の年に就活でずっこけていた僕は、就活留年という形で在学期間を延長したため、大学生活そのものはあと1年続く状況でした。
しかも、理由が理由の留年なので、単位は足りていないわけではなく、卒論も前の年に書き終えてしまっていたため、
就活さえ終わってしまえばおおよそ1年間、フリーに過ごせる見通しもありました(後述する理由で叶いませんでしたが)。

そんな状況ですが、当然「まだあと1年アカペラができる!」などとはつゆほども思うことはありませんでした
4年かけて嫌いになったものからようやく解放されたのに、どうしてわざわざそこに舞い戻る人間がいるでしょうか。

5月頃、とある会社から内定を得て、僕は就活をやめました。
そのあとは、今のように文章を書いたり、旅行に行ったり、イキって地元のバーに通い始めてマスターとやけに仲良くなったり、アカペラとは完全に無縁の生活を半年ほど謳歌しました。

   *

そんな自由のさなか、大学最後の秋が終わろうとする頃、僕は内定先から請われて3ヶ月ほど前倒しで、実質的に「入社」することとなりました。
年度いっぱいはアルバイトという形で就業し、次年度からは正社員として働いてほしい、という要請にしぶしぶ応え、僕は平日を内定先でのアルバイトに費やす生活を始めることになります。
口実でっち上げてでも断ればよかったのに。

案の定アルバイトの身分とはいえ、ずいぶんこき使われました。
フルタイムの上、ときどきは残業までする始末で(時給制のためサービス残業が発生しなかったぶん、正直言って正社員待遇よりだいぶマシでしたが)、およそじぶんがまだ学生を持っている身分であることが信じられないような生活でした。

しかもこのタイミングで僕は一人暮らしを始めていました。
給料はそれなりだったので生活に不自由はなかったですが、フルタイムで根詰めて黙々と働いたあと家に帰って一人、というストレスはなかなかのものでした。

結局、溜まったストレスをどこで消化することになったか。
行き着いた先の一つがヒトカラでした。


再開前夜

アカペラに未練があったわけではありません。
むしろ、アカペラで散々味わってきたつまらない思いから解放されて、下手くそであれなんであれ自分が好きなように歌える楽しさを取り戻せたことが、当時の僕にはたまらない快感だったのです。

しかも、ヒトカラですから歌うペースは完全に思いのままです。
飽きたらやめてもいいし、その気になれば疲れ果てるまで歌い続けてもいい。
自由って最高! 僕は形ばかりの学生証を駆使しつつ、しばらくカラオケに通い詰めました。

けれどもそんな生活も、淡々と続くだけならば次第に陳腐化します。
なんかもう初めほど楽しくない、ていうか歌っててもすぐ疲れるし高い音出ないし、ちょっとおもんないな……。
やっぱりヒトカラであっても、歌うからにはもうちょっと気持ちよく歌いたいな……。

このモードに入ったときの僕の執念はなかなかのものだと思います。
歌っていて疲れるのも高い声が出せないのも、問題は発声にあると見て、再び僕は独力で熱心な模索を始めました。
地道にネットや書籍で情報収集を進め、そうこうするうちに、僕の固定観念を大きく覆すことになったフースラーメソッドや、現在師事しているボイストレーナーである伊藤俊輔さんという先生にもたどり着くこととなりました。

僕が初めて発声に悩み始めてからわずか3〜4年の間に、情報環境は大きく変化したという印象はかなり強いです。
「声はお腹から出せ!」
「高音を張って出すのは悪だ!」
「平井堅みたいなミックスボイスが理想であり正解!ミスチルの桜井は喉締めだからダメ!」
みたいな、今の常識からすると到底ありえないような言説がまかり通っていた2010年代初頭と、それから5年後とでは、ネットで漁ることのできるレベルのものであっても、情報の質と量がまるっきり違っていたように思います。

独学で発声を研究しつつ、自分の歌と向き合う作業は、苦労もあれど楽しいものとなっていきました。
大学時代と決定的に違ったのは、自分の声に少しずつながらはっきりとした変化を感じることができた点です。
もちろん、革命的に何かが変わったとか改善されたということはなかったですが、そうだとしても、小さな一歩を着実に積み重ねられる喜びは、何物にも代えがたいものでした。

こうして歌う喜びを取り戻し始めた僕は、当時何をするにも一人だった生活に飽きつつあったこともあって、次第に考えるようになります。
「昔は全然楽しめなかったアカペラにもう一度挑戦してみたい。あのときはまるでわからなかった、みんなで歌う楽しさを、今度こそ知ってみたい。」

およそ1年以上にわたる独力での模索期間をへて、僕は名古屋アカペラサークルJP-actの門戸を叩くことになります。


再開、そして

その後、僕がどんなサークル生活を送ったかについて、贅言を費やす必要はないでしょう。
社会人の身でありながら、学生主体のサークルに身を置かせてもらい、ひとまず4年間を全うさせてもらいました。ぬけぬけとサークルライブにも出ました。

一つ言えるのは、アカペラという軸で評価すれば、確実にJP-actで過ごした時間のほうが圧倒的に楽しかったということです。悩んだ時期もありましたが、それさえ充実につながりました。
ああ、LaVoceの同期や先輩たちがやっていたのはこういうことだったんだなぁと、数年越しに理解することができた。まとめればそんな4年間だったと思います。
(大学時代のサークル生活にも、アカペラそのものを抜きにすれば楽しいことはたくさんありました、念のため。)

現在こそ新型コロナウイルスの影響で、サークル活動は中断を余儀なくされていますが、状況が打開されれば、僕の現サークルでのアカペラ生活は5年目に突入します。
いつまでやるつもりなんだという問題はさておき(ちなみに区切りをどこに置くかはもう決めています)、4年を超えて5年目に突入していくということ自体が、我ながら信じがたいです。
アカペラが、歌が、僕の生活に占める比重がこれほど大きくなると、10年前の僕はつゆほども予想していませんでした。

今後も形はどうあれ、僕はのんびりと自分のペースで、ド下手からちょい下手くらいにはなった歌を、歌い続けていくのだろうなと思います。
そのときそのとき、歌を楽しめることや、それを許してくれる周りの人たちに感謝しながら、やっていければと思っている次第です。

   *

ということで、僕の遍歴の後半部分を書かせていただきました。
これでようやく「アカペラとは〜」を語る身構えと覚悟ができた……かな。笑
「宿題」を寄せてくださったどこぞの誰かさん、あなたが「あなたにとってアカペラとは?」と訊いた相手はこういう人間なんだということをふまえたうえで、ぜひ次回の記事を読んでください。笑

次回でようやく完結です! 物好きな人には乞うご期待!

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