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思い込み力

フィルターも自動修正もないアイフォンのカメラでとった写真を見て、友達が叫んでいた。

いやだぁぁ、こっちよ、こっちが本物の私!

そう言ってピンクカメラのアイコンを開くと、彼女は自分の方にカメラを回転させた。さっきとは別人なほどに肌が滑らかさをまして、目も大きくなっている。輪郭は少し細くなり、全体的にうるっと上気している美女が現れていた。

そのままカシャっと一枚写した彼女はやっと優しく微笑んだ。よかった、これこれ。ニコニコと笑う生の彼女は可愛かった。

うーん、そういうことか。私は唸る。マジョリティは世界のルールとなるのは世の常だけど、自撮りの写真界にもそれが来ている。最初はフィルターのかかった写真を「別人みたいだ..」とか「こうしないと晒せないので!」みたいに驚いたり言い訳がましく使っていても、毎回それで写真を撮っていると、その自分の方を本当だと思ってくる。

でも、それできっといいんだなぁと思う。周りから見たらちょっとした勘違いであっても、真実が何かなんて自分が決めたら良い。自分を自分で少しでも認められるのなら、思い込み力を高めるのもいい。

中国に住んでいた頃、こんなに距離が近い国なのに日本と中国で全然違うなぁと思うことの一つに【中国では自分の写真を待ち受けにしている人がめちゃくちゃ多い】というのがあった。

日本ではそういう人も居るんだろうがかなり少ないだろうし、自分を含めて周りにはいなかった。その話を中国の友達にすると、サラッとはっきり笑顔で言われた。

「多くの中国人は、どんなブスでも自分が大好きよ。自分がかわいいって信じてるの。勘違いだとかどうでもいいの。でも、それって幸せでしょう!」

日本にも似たような感じで「幸せは自分が見つけるもの」とか「人生は自分がどう思うか次第」という考え方はあるけれど、中国の友人のこの言葉で最も実感した。そして、それを余りにも堂々と美しく言うものだから、スッと自分の中に降りて来た。

そういう幸せって、1番ありだなぁと。

私の友人でも、ちょっと大丈夫かなぁ...と心配になってしまう結婚をして最大限幸せに暮らしている人も居るし、他の人が羨ましいぐらいの収入や家族がいても不幸せそうな人もいる。

でも、どっちにもいい悪いがあるわけでもなくて、ただ納得できれば、自分が良いと思えたらそれで良いのだ。逆に納得できなくて幸せと思えないなら、思えるところを見つけるためにもがけばいい。

他の人がなんと思おうと、自分が好きなものは好きで、美しいと思うものは美しくて、幸せは幸せだ。それが思い込みであっても。例えフィルターが何層も入った写真でも。

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