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ひとつひとつ丁寧にこしらえて


人は優しさを持って生まれてこないから。優しさは個人個人の手造りみたいなモンなんだ。だから誤解されたり偽善だと 思われやすいんだよな。


とある物語の中で素敵なお母さんが言っていた言葉だ。新たな視点を与えられた瞬間だった。

この度のウイルスの一連の出来事は、現在進行形で世界を揺るがせている。

この未曾有の状況を俯瞰できてる人なんて1人もいない。未曾有の危機だから当たり前だろといわれるかもしれないけれど、そういうことではなく、この危機は非常に個人個人のことなのだ。

感染するのが怖い、または感染してしまって苦しかった(いまも)とか、ずっと家にいておかしくなりそうとか、仕事ない明日をどう生きようとか、周りの人がかかって心配、親族が亡くなって悲しみ底にいるとか、そういう1人1人の違う事情が寄り集まったのが『現在(いま)』だ。

そこには、国とか世界とか経済とかを主語にする文では語り尽くせない色々がある。

だから余裕ないなら余裕ないでいい。みんな我慢してるんだからとかは要らない。だからって密集したりとかはできないけれど。何かを我慢してるなら、我慢してる自分を褒めたり労わるのに集中して。

以前は、こんなときにも理性を失わず、笑顔でいて、人に優しいのが大人だと思っていた。正しい在り方だって。でも、それが普通に出来る人はただの天才だ。優しさの天才だよ。でも、言葉を覚え始めたぐらいから繰り返し『いつでも人に優しくあれ』って言われていたから、そんな天才的な優しい気持ちも自分には備わっていて、いつでも発揮できなきゃいけないって思っていた。洗脳に近く。

でもきっと違うんでしょう。優しさが手作りであるから、きっと人間はこんなに知性を、理性を持ったんでしょう。殺し合った歴史から不毛さを学んで、また更に進化して想像力をもっともっと磨いて、それを駆使してやっと人を傷つけない。自分も傷つけない。そうなれる。

途方もない優しさなんてない。だから、ひとから優しくされたことを覚えていられるのでしょう。

ひとつひとつ丁寧に作っていく。そのために今は会いたい人に会える日まで、自分を労って息を整えるんだ。


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