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精一杯の伸びをしたのなら

結果として伸びてしまった髪は、天然と人工のパーマでぐるぐると耳の下まで落ちている。視界は依然として暗いままだった。

只者ではなさそうな雰囲気に自分が甘えていて、振るわなかった結果すらも、「最優秀をまっすぐに獲得するよりも、味わい次第だからそれで良ければそれでいい」と肯定し続けた。否定しうる存在を否定し続けた。歪んだ自己肯定が始まっていた。正しい伸びしろは案内せず、心の擦り減りが最小限になるように調整する生き方だった。


凍結して整備されたメインストリートを歩く身の丈ではないと察したあのとき、私はパーマを施した。様子見で縮毛矯正をかけた一ヶ月半後のことだった。

背筋をピンと伸ばしても、見せかけはどの形になったとしても暴かれてしまって恥ずかしい姿をお見せすることになる。
手の届かないエリートを見送ることしかできない自身のレベルの低さに憎悪が蓄積されていた。まるでカウンターを狙うかのように、アウトサイダーへの羨望が強くなる。どこに顔を出しても通用する「個」はまるでなかったけれど、表でされるがままに削られるよりはマシだと思った。

何も持ち合わせていない事実から目を背けて、核心に迫りづらい防備に自己満足していた。



ハッと目を覚ました。
長すぎて退屈するほどに夢を見ていたみたいで、痛みも激しい感情もない閉鎖的空間で孤独を嘆いたり謳歌したり。
ひとりよがりは悪夢かもしれなかったけれど、自然と後悔の念が流れ込むことはなかった。

2年越しに耳の下から髪がなくなった。AirPodsは外向けにコンディションを整えるようになった。

誰にも予告なしで髪を切った。やはり驚きの声が上がった。なんかあったの?とも聞かれた。失恋した?とも聞かれた。真っ向から否定した。

表面上では気分転換程度で流し、実際は大きな転換点を自身で生み出したつもりだ。

歪んだ自己愛と怠惰に一度別れを告げ、見覚えのないシルエットに初対面として自己紹介をする。

新春はここにも風が吹いては消えていく。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。