2時間の片道切符

詳しくはわからないけれど、応援したいとは思っているよ。

これが本心であり、裏も表もない率直な気持ち。
一度は同じ時間の中で顔を見合わせていた仲だから、敢えて嘘をつく必要もない、やさしい嘘もいらない。
くじ引きで決まった隣の席に盛り上がって、ただ笑っていた時間の記憶だけを残して帰り道を一緒に並んでいたあの人との記憶。
今となっては、状況も過ごす時間の軸も趣味も変わった。

会わなかったうちに何をしてきたのか、と上澄みだけを良い感じに掬い上げて、根底に流れる濃ゆい物は見なかったことにする。同じことを同じだけ知るほどの労力はかけられるわけもなく、「頑張れ、応援してる」の一言を前提に現状を尋ねている。実は自分に納得いかなくて停滞が続いていても、変な心配はかけたくないから、「割と順調だよ」などと口から出てしまう。限りなく嘘に近い本当のことを言って、深掘りされることを避けながら、核の部分は避けて雰囲気で包みながら手渡す。

苦い思い出をつまみにすると食事が不味くなる。たまにはそういう会もあって良いけれど、今は誰もそれを望んでいないのに繰り出してしまえば、決起集会の名に恥じる暗雲が立ち込めてしまう。
アルコールのせいにして判断が鈍るのを正当化したがるのは、半ば諦めの姿勢で受け身を取らずに倒れようとしているからで、判断力の低下をありきたりな手段になすりつけて「しょうがないね」と言わせたりはしない。人の本音が垣間見える空間に介入しながらも、普段の三倍ぐらいは気を遣う。予防線を張り巡らせて、大失敗のゴールの前に分岐を作って回避率を向上させる。

失敗することで次の失敗を繰り返さないと言われるが、失敗が見えるところにあるのに突き進むのは意味がない。失敗がしたいわけじゃないから。

しばらくぶりの再会でも、あっという間にあの日の距離感に戻ることができて、懐かしくなることがあるらしいが、どこかであの日にはもう戻れないと分かっているせいで、心の壁を念のために用意してある。数年の歳月は、人を変えてしまうのだから、あの日と同じ感覚で接してきたコミュニケーションが肌に合わなかった。年齢とともに必要な美容成分と化粧品が変わっていくように、若気の至りにプチプラの組み合わせは、若さこそが許せる強い結びつきで、ブランドものが怖かったはずだったのに、今では詳しくなくてもある程度ブランドへの知識がついてしまっている。

距離感を元の位置もしくはさらに近づけるのに必要なのはどうしても同じだけの時間なのかもしれない。

2時間飲み放題のPOPを見るのをやめて、ソフトドリンクのメニューに視線を移した。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。