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転ばずとも届かずとも

考えて作り直す時間を抜きにすれば、文章としてのつながりを再考して煮詰める手順を抜かせば、半永久的に文字を並べることはできるのだろうか。付け焼き刃ながらでも、流れと言い回しを瞬時に接続することができるのだろうか。長考するだけで外に出せないまま、パンク寸前の私ならどこまでいけるのか。早打ち将棋の要領で、もしくは高速餅つきのようにいくのだろうか。

これは挑戦である。早速やってみよう。


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皆の生活をそこから支えていると言っても過言ではないファストファッションも、季節の変わり目には冬の装いが格安で売り出され、店の奥に追いやられがちだ。一方で春向けの薄くて軽いものとなれば大々的に前へ前へと押し出される。マネキンは今日だって勝手に写真を撮られてSNSでの声に応えようと仕事を続けているのだ。

価格競争も落ち着いて、一安心したかのように見える店内はまるで5月のようで、実は気温差にやられて頭痛を訴えるマネキンもいる。
五月病がメディアで取り上げられて、対策を拡散して、どうにか手の届かないところにいかないようにと必死に手を伸ばしているようで、目の前のタブレットを指一本で押すだけだ。

文字が人を救い、または傷をつけるというのに、人差し指はそれだけの罪と救いを背負っている自覚がなさそうだ。指紋認証を親指に設定する人が多いと聞いたことがある。親指が抱え込んでいるプライバシーの重大さも単なる力強さもかなわないし、出世しているつもりもないらしい。視力検査で穴の開いている方向をめがけて指を倒すだけの楽な仕事をこなし、最低賃金でどうにかこの町で生きているらしい。

誰もが無責任なのは、そもそも自覚していないからでもある。

楽な仕事は誰にもできることの裏側を掻い潜って反対側を見てみようとするけれど、天地が返った文字を読むのは至難の技だ。だから誤解も起きる。全文を読まずに先入観と決めつけで衝動に走り、口走ってしまう人が今も昔も絶えないのは、真正面から物事を受け入れることに対する恐怖心が勝ってしまうからで、仁王立ちしていても、頭の片隅では受け身のシミュレーションをしてしまう。倒れない自信は、いとも簡単に破られるものだ。私だって、電車に乗りながらつり革を持たずに、どこにも凭れかかることなく足を並べることが怖い。つり革を介した恐怖が叫ばれていたとしても、その場に転倒する恐怖よりはマシに思える。頻繁に手洗ってるから問題はない。

先を見通す力量とスキルがある人が優秀なのか、それとも現在地点は移り変わっていくものだと心得て、瞬時の判断力を磨ける人が優秀なのか。秀でるような存在が羨ましいと思われている要因は、釘を打たれてもへこたれない強靭な精神力に憧れているからだったりする。もっと言えば、憧れてしまうような存在は、理論や説得力云々よりも、何事にも負けずに戦っていける、鋼のメンタルに起因することがある。

メンタルが不安定で勢いに流されやすいほど、頑固さに惚れ惚れする。実は当人も頑固さを抱えていると知らずにだ。人はどこかに譲れないものを隠しておきながら、流動的なフリをして生きている。偉人の真似事、イマジネーションの拡大と模倣、自我。噓も方便。


コミュニケーションで掘り下げていたつもりの人格は、一割も理解できないのだろう。個人を晒して生きることができるようになった令和の時代でも、伝わりきらないものと聞き取れないものがあって、相互理解も自己理解も遠い星のよう。

遠くに見えているのか、はたまた空中のゴミが偶然映り込んだのか、わからない夜空の写真。高い山に登っても、プラネタリウムで人工的に暗くしても、望遠鏡を覗いても、わからないものはわからない。その気になって宇宙に行ってしまえばいい。

自暴自棄の思考とは裏腹に、イヤホンから流れてくるのは楽器をかき鳴らすロックバンド。どうにか愚痴と疑問を吐き、生きづらさを音に上乗せして、無理やりに明日への希望を探し回っている。好きな曲なのに、途端に聴く気力が失せていく。


屋内のただ白いだけの天井を見上げる。誰も天井に落書きしようとか、悪戯しようとかは考えないのだろうか。一歩外に出ると、道路脇には大量のゴミとペインティングがある。

文句と苛立ちは息切れになる。本当は、苛立ちを増幅させる可能性がある思考の残りカスを捨てる予定だったのだ。毎週金曜にはゴミ収集が来るから、それまでにノートの端にでも書き殴って捨てておけばよかった。

一人、心ここにあらず。検討もしていない服飾に近づいて手にとっては元に戻す。体に宛てがっても、「首を傾げる」反応に直結する。

二段に分かれて陳列されている服の棚の下側から、幼児が勢いよく飛び出してきた。想像のはるか外れから飛んできた槍に、避けようと思うまでが遅い。運動神経も体幹もイマイチな私にはスマートに避けることができるはずもなかった。運転免許を取ろうとすれば、「常に最悪の事態を想定する」、「〜かもしれない運転を心がける」と口煩く言われる。常に10km/hで走行してやろうかと思ったが、やめた。

上の空だったこともあり、つり革も手すりもない店の中で、足を滑らせた。

最悪の事態とは、当たり前のように想定外の方角から飛んでくる。何事も対処できると思うな。強いて言うなら体幹ぐらいは鍛えておいたほうがいい。

帰ってから甘口のカレーライスを食べて、長風呂した。このまま、どこも鍛えずに、布団に飛び込む。


「〜しておけばよかった人生の歩み方」という本はないですかね。ありそうですけど、探す気力が今日はありませんでした。

「あ〜あ、明日も想定外なきっかけで転ぶ予感がする。」


今、最悪な事態を想定した。これで転ぶことはもうないのだ。



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自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。