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メランコリーは懲り懲りですよ。


ちょっと長めのお休み期間に入ってから、社会の歯車の一部であるという実感がなくなってきてしまった。

どうせならと思いつつ、今書けることを書いておきたい。

時間の制約がなくなった生活に切り替わったことで、意のままに行動できるようになった。

夜は必ずしも寝るための時間ではなくなった。大体のお店は寝静まっていても、最低限の生活を支えるシステムは眠い目をこすりながら存在してくれる。

場合によってはワンオペのようにも見える。
1人が支えている気がする店を自転車で走り抜き、ハマっている曲を口ずさむ。
真夜中にsumikaを聴いていると、文字には表しづらい矛盾を感じる。

ネオンとは言い難い少しの光を頼りに暗闇を走る。心なしか涼しい風が吹いた気がした。

車通りも少なく、マイペースにペダルを漕いでいる。
ランナーとたまにすれ違う。こんな夜遅くでも変わらずに意識を高く持てる人がキラキラと眩しく見えてきた。こういう人たちが明るい世の中を支えているんだろう。

暗くて悲壮的な話題が大多数を占めている現在が、その人たちにはどんなふうに見えているのか教えてもらいたい。
少しでも明るい部分を自分に分けてほしい。使いまわして薄汚れたスニーカーを眺めるだけの自分とは全然違う景色が見えているのだろうか。一度おしゃべりしてみたい。

メランコリー

自由らしい自由に身を任せるようになってからは、ある意味ではストレスフリーになった反面、ストレスに打たれ弱くなった。

忙しさや慌ただしさは、ストレスの捌け口としては立派な口実になるし、正直そこに全てを押し付けられる。歪みから遠ざかるきっかけにもなって、直面する機会がグッと減らせる。

自由を追い求めすぎると、縋りついて良い場所がなくなっていく。建前では否定している所属欲求が満たされていないことが焦りにつながり、無力な自分に青ざめる。
焦りは焦りでも、行動と構想の原動力になりうる。危機感を持っていたいとは常々思う。

自分が入っていったモラトリアムの中でも、何か始めたい。ちょっとしたチャレンジを積み重ねたくなった。
読書以外のインプットにも身を向けたいし、ネット上の情報収集を積極的に取り組んで、自分が媒介して違う形に変えてみたい。

ハイペースではなく、あくまでマイペースで。
それは少なからず自由が齎したアイデアであるから。

意気込んだところで、拠点としていたマクドナルドを後にして自宅に向かう。辺りは暗いベールに覆われて人工的な灯りに向かって歩いている。
来週にはまた社会の一員に戻るつもりだ。


ここまでお読みいただき有り難うございました。

自分を甘やかしてご褒美に使わせていただきます。