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負けを認めなければ、先に進めない。

いつのまにか、旧時代的な価値観を砕き壊そうと躍起になっていた。
多様性を認める自分であろうと思っていた矢先なのに。

非常に恥ずかしいことだけれど、間違いを認めなければ、先に進めない。

わたしは半年ほど前に離婚した。
離婚に至った理由の本当のところは、正直誰にも話していない(一応元夫婦だった仲だし、それを他者に言わないでおくのは最低限の礼儀とマナーだと思っている)。

でも自分の親とこの話題が上がるたび、どうしてもわたしは疲弊する。

親にも事情を詳らかに話していないとは言え

いい人見つけて早く子ども作りな、と
娘、ましてや離婚したばかりの女に対する発言としてはあまりにもデリカシーのなさを感じてしまい、
わたしはここ数週間、親との会話を避けて生活してきた。

また結婚してやろうなんて気持ちに、そんなにすぐに切り替わるとでも思っているのだろうか。

というより、いい年した大人が「親に言われたから〜」といって結婚することなどあると思っているのだろうか。

ただでさえ結婚も離婚も女の側だけ1人手続きに走り回っている時点で不公平感を感じているのに、正直すぐにそんな気持ちになんかなる訳ない。

子どもがいなくたってここまで女の側に不公平要素が積み上がっているのに、
子どもがいる人だったらどれほど強く不公平感を感じるか、想像に難くない。


親の気持ちは痛いほど分かっている。
心配してくれていることも分かっている。

だけどもう、いい大人のわたしの失敗を、先回って防ごうとしないでほしいんだよ。
そして傷癒えぬ状況のわたしに、離婚=失敗という価値観を眼前に突きつけないでほしいんだよ。
頼むから。今は。

そういうことがあってからはむしろ

「わたしは失敗したわけじゃない」
「結婚したことも間違いだったと思ってないし、離婚も受け入れてる」
「そもそも離婚は今どき珍しくもないし、特別でもないし、こんなの別に失敗ではない」

離婚直後から最近まで、そんなスタンスでしばらく過ごしていた。



でも間違っていた。


今思えば、それは単に
意固地になっているだけだった。


それはそれで、自分と違う価値観を認められていなかった。

理解しなくていいし、自分が無理に同意できない他人の価値観に合わせる必要もないんだけれど、

安易なもので
離婚を失敗だと思わないでいることさえできれば、旧時代的な価値観に抗えるとわたしは思い込んでいた。

でも違った。

わたしは、失敗したんだ。

少なくとも、日本社会の中で何かと優遇される結婚という制度において
「誰かと夫婦で居続けること」に、わたしは大きくしくじったのだ。


それを認められなくて
失敗だったと認めたら負けな気がして

ずっと失敗じゃない、失敗じゃないと半年言い続けてきたけれど

違う。

わたしは、やっぱり
失敗したんだ。


心からこの負けを認めたら、なんだか一歩前に進めるような気がした。

人生最大級の失敗を、経験できたこと。
人生におけるストレスランキング2位「離婚」を、身をもって体感できたこと。
(死にたいくらいの虚無感って本当に出てくるんだ、という大きな気づきがありました)

もう全部に感謝だな。
と思う。

生きることにも死ぬことにも
もはや興味はない。

自分が自分らしく過ごすだけ。

時間は有限。
何をやるか、何をやらないか。

話はそれからだ。

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