Sally Carrol【HSS型HSP | まだ何者でもない女 | フリーランス | 独立 】

人生転んでばかりのHSP(多分HSS型)女 - 長らく会社員として大小いろんな会社で多彩な職種を経験。ある出来事をきっかけに自分の好きなことを探して心地よく笑っていられる人生を作っていくと決意。noteでは普段感じたことを雑記的にアウトプットします。

Sally Carrol【HSS型HSP | まだ何者でもない女 | フリーランス | 独立 】

人生転んでばかりのHSP(多分HSS型)女 - 長らく会社員として大小いろんな会社で多彩な職種を経験。ある出来事をきっかけに自分の好きなことを探して心地よく笑っていられる人生を作っていくと決意。noteでは普段感じたことを雑記的にアウトプットします。

最近の記事

人生の正解なんてものは。

問いがあって、答えを考えて。 ◯があって、×があって、△があって。 そういう教育を施されて生きてきたからか 問いがあるときは必ず正解があるものだと思い込んでいた。 でもきっと 人生には正解も間違いも中間回答も たぶんないんだろうなぁ。 正解を選びに行くから苦しくなるし 窮屈になる。 何より、正解探しに躍起になると 生きることが楽しくなくなっちゃう気がする。 わたしの人生はテストじゃない。 誰からも試されてなるものか。 正解じゃなく、much betterを選んで生き

    • 死にゆく人間は、リップを買わない。

      わたしが勝手に信じている真理。 死にゆく人間は、リップを買わない。 昔からリップをあれこれ試すのが好きで、他の化粧品の中でも群を抜いてリップばかりを買い集めてしまう悪い癖がある。 (結局一軍としてポーチに残るのは数本に限られるのだけれど、なんだかんだで季節が巡りまた一軍に戻ってくる子もいたりする) 思えば休みの日でも、誰にも会う予定がなくても、 ほぼ毎日リップを塗って生きている。 それはふと鏡に映った自分の顔色が悪いと単純にテンションが下がるからとか たまたま人と顔を合

      • 負けを認めなければ、先に進めない。

        いつのまにか、旧時代的な価値観を砕き壊そうと躍起になっていた。 多様性を認める自分であろうと思っていた矢先なのに。 非常に恥ずかしいことだけれど、間違いを認めなければ、先に進めない。 わたしは半年ほど前に離婚した。 離婚に至った理由の本当のところは、正直誰にも話していない(一応元夫婦だった仲だし、それを他者に言わないでおくのは最低限の礼儀とマナーだと思っている)。 でも自分の親とこの話題が上がるたび、どうしてもわたしは疲弊する。 親にも事情を詳らかに話していないとは言

        • 体と心の要請に応えながら。

          人生を重ねるにつれ、だんだんと分かってきたことがある。 歳を取れば取るほど、体と心の要請に応えながら生きざるを得なくなるってこと。 わたしの心身は、いよいよ限界を迎えようとしているらしい。 昨日と今日は、原因がはっきりしないけれどとにかく具合が悪く、十分に寝ているのにもかかわらず起きてから寝るまでの間、ずっと眠い。 (※昨晩9時間近くノンストップで寝たのに、今日の夕方にはどうしても起き上がっていられずそのまま1時間半くらい気絶したように寝落ちした) しかもこの症状が

          いのちを削ってまで。

          仕事でも何でも 「任せていただいたこと」に誠実であろうとするひとの姿勢が好きだ。 わたし自身も生きるうえで 「誠実であること」をとても大切にしているし この先の人生でも このひとに対しては「誠実でありたい」と思えるひととだけ親交を深めていければそれでいいと思っている。 逆に言うとわたしがそう思えない相手は おそらくわたしに対して誠意・真心を向けていないとわたしが判断した相手なので そう感じたら、そっと距離をとろうと思っている。 ただ、時にわたしは わたし自身の誠実であ

          いろんな役を降板して、見えてきたもの。

          わたしはずっと 「中途半端な自分」が嫌いだった。 一時は肩書きというものに憧れを持ち 必ずや冠付きで名前を呼ばれる日がくるようにと がむしゃらに努力していた。 でも特に仕事では、行く先々で いまこのひとが1番必要としているものは何だろう このひとはわたしが何をしたら喜ぶだろう いまこのひとは何に困っているんだろう ということに常に脳をフル回転させ、 「その場に最も足りない役割」を埋める存在を、無意識のうちに買って出ていた。 いまから思えば、わたしの人生はずっとその

          理解されることは重要ではない。

          たぶん、一生かかっても 誰かのことを心から理解できる日はこないし わたしのことも 心から理解されることはないだろう。 でも 世の中ってそういうものだよね、と分かっていることが 本当の意味で心に平和をもたらす気がする。 何事も他者に期待しないことが大人の嗜み。 とも言うべきか。 すべての景色は自分が作っているし 他者の存在も 自分が知覚して、認識して 初めて 「そこに在る」ものだから。 自分が相手にとってどんな存在なのか、 相手が自分にとって何者なのか、 それは一旦

          生きているだけなのに醜く汚れていく。

          シャワーを止めながら足元に目をやると、右足の甲に赤黒い点が付いていた。 そうだ、昨日料理していて 足の甲に油がはねたんだった。 すごい熱かったけど、途中で料理の手を止めることもできずに油だけサッと拭った記憶が蘇ってきた。 ただ、ちゃんと生きようとしてるだけ。 だけど毎日を精一杯生きて残るのは 今のところ、こんな具合の「汚れ」だけ。 見えている世界は、自分が作っているという。 だとしたら自分の解釈次第で この火傷も人生の勲章だって みなしてあげることもできるのだろう

          本当は言いたい。素朴でもちゃんと幸せだよと。

          わたしはもうこれ以上は望まないんだよ。 ちゃんとそれなりの幸せを感じられているんだよ。 でもひとりひとりが持っている価値観が違うから 育った環境が同じでも 教えが同じでも 同じ価値観にはならない。 わたしに合わせてくれなんて言ってない。 わたしだけが正解だなんて言ってない。 でも、わたしがわたしであろうとすることを 手放しに認めてくれる場所はこの世にないんだと 悟った。 しばらく静かに生きよう。 誰とも分かり合える気がしないし 静かに、鳴りを潜めて生きよう。

          本当は言いたい。素朴でもちゃんと幸せだよと。

          誰かこの感情に名前をつけて。

          ただ音楽を聴きながら歩いているだけなのに 何度も泣きそうになって 何度も上を向いたり 下を向いたりした。 正直言って 目に見える涙が落ちるのをギリギリ抑えたという事実があるだけで たぶん わたしは実質 「泣きながら」歩いていた。 何がこんなに虚しいんだろう。 何がこんなに悲しいんだろう。 望んで別れた相手の家から物を引き取るだけ。 別れを切り出したのは自分。 別れたことに後悔なんてしてない。 なのに何がこんなに虚しいんだろう。 冷静になって整理してみる。 確かに

          なんかもう一瞬で、何もかも面倒になる。

          どうやら持っている価値観が違うらしいひとから 自分と違う価値観を強烈に押し付けられると なんかもう一瞬で、何もかも面倒になる。 この期に及んで「自分を分かってもらえなかった」なんて不貞腐れるつもりもない。 分かってくれなんて言ってないし、 分かってくれるなんて初めから期待などしてない。 でも相手の背景を知ることなく なぜひとはひとを簡単に否定できるのだろう。 自分と違うことに対して「まぁそういう考え方もあるよねぇ」とまず一言、なぜ肯定できないのだろう。 観ている景色

          叶うならば底抜けに明るいひとになりたかった。

          はい。本日は表題の通りです。 わたしはひとから特別暗いとは言われない。というか見た目はどちらかというと「公私共にマイペースに充実させとります」系女子(※そういうジャンルがあるかは知らんけど)に見えるらしい。 でも、他者からわたしの性格や振る舞いについて「明るい」と評されたことは、記憶にある限り人生で一度もない。 わたしは死ぬほどシャイなので (※でもごくたまに見せる大胆さが自分の魅力だとも実は心のどこかで思っている。笑) おそらく「明るい」と言われたことがないのはシャ

          叶うならば底抜けに明るいひとになりたかった。

          自傷行為に近いと分かっていながらも。

          人間は弱い。 基本的に欲求に抗うことは得意でないし、どうしてもダメなほうに流されてしまうこともある。 仮にそれを頼るのはダメだと分かっていても、他に心の拠り所がない場合はどうすればいいのか。 強くなること以外に、本当に強くなるまでの過程に、他のすべが存在しない場合はどうすればいいのか。 寄りかかることが自分のためにならない、 むしろ自分には悪にしかならないと分かっていても、 どうしても離れがたいものがある。 それを取り上げることは善なのか悪なのか、 それにより生かされて

          くちびるがはれるほど。

          唇が荒れまくっている。 荒れすぎて、なんならちょっと腫れている。 特に激辛料理を食べた訳でもないし、原因はまるで思い当たる節がない。 唇が腫れれば腫れるほど、思い出してしまうこと。 はい、そうですね。 「硝子の少年」 (KinKi Kids/1997年)ですね。 アラフォーがほざいてるわぁと呆れず、まぁ聞いてください。 言わずと知れた名曲ですが 唇が腫れるといえば、2番のAメロのこの歌詞。 改めて歌詞を一読してみると「くちびるがはれるほど」は全部ひらがななんで

          少しだけ自分の過去を認めてあげられるようになった。-働けなくなって数ヶ月後の現在地-

          過去の出来事や経験が、今の自分を作っている。 過去を否定することは、今の自分を否定すること。 そんな簡単なことを、これまでわたしは見落としていたのかもしれない。 退職してから早いもので2ヶ月が経った。 厳密にはその前から休職していたから、もう半年弱はまともに働けないでいる。 躓くたびに自分に必要なものを取捨選択し、 何かを手放し、何か新しいことに挑戦して、ここまでやってきた。 だけど、これ以上手放しも新たな挑戦もできない、と思うほど疲弊した感覚は今回が初めてだった。

          少しだけ自分の過去を認めてあげられるようになった。-働けなくなって数ヶ月後の現在地-

          強い陽射しの元では、影もまた濃くなる。

          いつかケープタウンに行ってみたいとずっと思っていた。 そう思うようになった元々のきっかけは南アフリカ発端ではなく、アフリカの中でも最貧国のひとつと言われるコンゴで実際に存在するサプール(SAPEUR)を取り上げた写真集に出会ってから。 それから緩やかにアフリカのひとたちやその独自の文化に興味を持つようになった。 SAPEURS - Gentlemen of Bacongo https://amzn.asia/d/dbYJdHU サプールに魅せられたのち、アフリカについて