仕事でも何でも
「任せていただいたこと」に誠実であろうとするひとの姿勢が好きだ。
わたし自身も生きるうえで
「誠実であること」をとても大切にしているし
この先の人生でも
このひとに対しては「誠実でありたい」と思えるひととだけ親交を深めていければそれでいいと思っている。
逆に言うとわたしがそう思えない相手は
おそらくわたしに対して誠意・真心を向けていないとわたしが判断した相手なので
そう感じたら、そっと距離をとろうと思っている。
ただ、時にわたしは
わたし自身の誠実であろうとする姿勢が
自分の首を絞めることがあると気づき始めている。
わたしは未だに
「できない」
「楽しくない」
「やりたくない」
をひとに言うのがとても不得意だ。
これまで長きにわたって
「何とかします」と返答しその通りに実行してきた経験と記憶が
わたしを苦しめている。
これはわたしに任されたことだ
だから相手のために何としてもやり遂げる
それはある国では美徳かもしれないけれど
他の国では自分の意見も都合も自分の言葉で説明できないただのガキに見えるかもしれない。
仕事をしていれば誰しも
相手に100%誠実でいることはおそらく不可能だ。
そこに金銭や利害が介在する以上、誠実・真心なんてものを全員に分け与えるわけにはいかない。
頭では分かっている。
でも
わたしが誠実な対応を受けていないと思う相手からはいずれふんわりと離れることになるだろうし
わたしが誠実に対応できなかったと自分が感じているときに、いたたまれない気持ちになる。
心が、いのちが、削れる音がするときがある。
そういうとき
おそらくわたしは
「できない」
「楽しくない」
「やりたくない」
のどれか(または複数)を、
「大丈夫」
「やれる」
「何とかなる」
に上塗りして前に進もうとしている。
結果を振り返ると意外と何とかなってしまっていることがほとんどだから困るのだけれど
この何とかする技術は、その技術を高めた分だけ
わたしのいのちを削ることになるだろう。
そろそろ自分の本当の気持ちを伝えながら、誠実であることの両方を満たす方法をわたしは知るべきだと思っている。
時は満ちた。
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