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カフカは桑の葉を思う④

朝が、来たようだ。辺りの明るくなる様が夜明けを告げていた。飢えも乾きも満たされた。何日かを生き延びる不安はなくなった。奥さんはあれから毎日新鮮な桑の葉をたくさん届けてくれている。きっと家の周りの桑の葉を集めてくれているのだろう。葉の新鮮な緑が摘み立ての香りを放っていた。

少し前に、僕は一度意識をなくして深い眠りについた。きっと僕は幼虫の5齢になっている。もう数日でマユを作って成虫になるんだ…飛ぶことも、飲むことも食べることも、何もできないだけの成虫。本来なら交尾を済ませたら、後は数日で寿命を終えてしまう成虫の姿になる… その後で僕はもとの姿に変えれたりするのだろうか?考えたところで答えもないのだが、そんな考えが数日僕の脳裏でぐるぐると思いを巡らしていた。

でも良いのかもしれない。子どもの頃に何度となく目にしたカイコの成虫は、白く優雅で、愛らしい姿をしていた。成虫の目は複眼だから今度こそ世界を自分の目でしっかりと見ることができる。朝の陽射しも、この部屋の様子も、奥さんの姿も、この目に留めておくことができる。きっとそれが僕の精一杯なのだろう。できたら僕の最後の姿を見て欲しい、いつしか僕はそう考えるようになった。カイコの幼虫は肌触りも良くて、決して忌み嫌うような姿ではないのだが、所詮しょせんは毛虫のたぐいだから。愛情は感じにくい。僕は笑顔にもなれないが、無理にでも笑おうとした。そして来たるべき日に向けて、そっと桑の葉を口に運んだ。

突然、眠気が僕を襲った。きっと今日が幼虫最後の日になるんだろう。いよいよ僕はマユになって変身するんだ。僕は悲しみも、気分の高揚も、絶望も希望も、嘆きも何も感じなかった。きっと昔のお侍さんや軍人さんもそうだったのだろう。あらがうこともできない現実を前にして、できることと言えば残り少ない生をどうまっとうするか、考えるのはそれだけだ。恥じることのないように、家族が悲しむことのないように、自分にできるだけの精一杯なことを考えて静かに生きる。覚悟さえできてしまえば、後は何の迷いも躊躇ためらいいもない。

そうだ。今の世の中にはこの覚悟がなくなったんだ。戦争だったり、時代の変化だったり、世の中が色々と変わる中で僕たちにはこの感覚をなくしている。いつの間にか、生きてりゃそれだけで意味があるって勘違いして生きているんだ。生に誇りを感じる者こそ、甘んじて死を受け入れることができるのだ。そう気付いた僕は、この不条理な世界を受け入れて生きていく覚悟ができた。

眠りに誘うように、意識が遠くなっていく。僕は静かに運命を受け入れた。




↓参考資料です。

(タイトル画は伊丹市昆虫館HPより)


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