六月の終わり

梅雨に入ってしばらくたったけど、雨は降ったり降らなかったり中途半端だ。

昨日も、しとしととした雨。気温は寒くも暑くもなく、しっとりと湿気を含む空気。

紫陽花は枯れ始めて、もうすぐ七月が始まる。

そんな六月の末、彼と散歩に出かけた。

東京の下町情緒の残る街、谷中・根津・千駄木、傘をさして散歩した。

傘をささなくてもいいくらいの小雨だけど、ささなければささなかったで顔に当たる雨が鬱陶しい。

谷中銀座商店街を歩き、食べ物や猫を見て、根津神社に向かった。

根津神社は何の御利益があるのだろう、と彼がネットで調べると、根津神社の御利益は「縁結び・厄除け・学業成就」だそう。

縁結びだー、なんて乙女っぽくはしゃいでみたけれど、神社が近づくにつれて思い浮かぶのは、最近婚約破棄をしてしまった知人のこと。

彼にその知人の話をして、私たちは恋愛とか結婚についてを話しながら、歩く。

私もそうだけど、婚約破棄や離婚をしている人が私の周りには本当に多くいる。

自分が婚約破棄をしたときに、その原因を日本の現代社会の問題から解き明かしたい!とか壮大なことを思い、少子高齢化社会についての本を読んで少し勉強をしました。
その内容をふと思い出す。

その本には現代の少子化・晩婚化の原因は「恋愛の自由化」「経済の悪化」によるものだと書いてありました。

親から上の世代は結婚するのが当たり前で、付き合う=結婚を前提という価値観の人が多かった時代。
親同士が決めた相手と結婚したり、結婚できなければお見合いがあったりと、三十代までには結婚することが当たり前だった。

その時代が終わって、次第に社会は男女平等、恋愛が自由なものに変わっていった。社会がインフラやネットの影響で便利になったことで、出会いも豊富になり、恋愛ももっと気軽で多様なものになっていった。

その結果、恋愛が得意な人はどんどん相手を見つけるけれど、不得意な人は取り残されて、その差が広がり、不得意な人はずっと相手がいないまま時間が過ぎていく。

そして経済が悪化していることから、将来に希望が持てなくなり、結婚するお金がないとか、結婚しても自分が育ったような裕福な家庭を築けないと悟り、結婚しない人が増えた、らしい。

つまり、昔より恋愛は自由だからこそ難しいものとなっていて相手が見つからない、そして相手がいたとしても経済の悪化でお金もないから結婚しないよ、と。なるほどね、ダブルパンチ。

二十代の離婚や婚約破棄が多いのも、明らかに恋愛の自由化によるものだと思う。
別れたとしても「まだ他に相手がいる」「別の人生が待っている」という感覚が強くあるから、結婚を止めることができるのだろう。

そんな恋愛が自由な社会で、生涯の相手を見つけるのは本当に大変なことだ。

前回の記事でも書いたけど、全ては自分次第のサバイバルな時代に生まれたもんだ、と思う。

婚約したら、一生一人の人と一緒にいる、家族になるというのが実感として湧いてきて、それは大変な覚悟が必要だし、不安にもなるけれど、そういうときこそ信頼関係を持って、支え合える相手がいいなと思います。

それをどうやって見極めたらいいのかと考えると、楽しいだけじゃなくて、喧嘩したり大変なことがあったときに、逃げ出さずに一緒に成長していきたいと思える相手か、というところなのかな、と思います。人によると思うけど、私の場合は。

結婚相手にはお金を稼いでいるとか、誠実な人だとか、色んな基準があると思うけど、どれだけ条件が良くても、嫌になってしまえば意味がないので、何があっても大切で信頼関係を壊したくないと思える人かが重要かなと。
だから喧嘩をすることも、私生活で色々辛いことがあることも大事で、そういう余裕のなくなるときに自分よりも相手を大切に思えるかを見極める。

そんなことを彼と話しながら根津神社に着いた。

私は喧嘩をするのは必要なことだと言ったけど、彼は喧嘩って言葉は嫌だから違う言葉にしたいと言う。

それじゃ、価値観のすり合わせ?価値観のぶつかり合い?なに?
と言ったら、長いから三文字がいいと言われた。
三文字ってなんだろう。

鳥居をくぐり、お参りをする。

参拝客の書いた絵馬を見ると、さまざまな願いが書かれている。
自分の願いを書いている人が多いけど、「母の病気が治りますように」とか人の幸せを願っている人もいて、そんな人に私もなりたいなぁ、と思った。

雨はまだしとしとと傘を濡らし続けていて、憂鬱な雲の奥に太陽の光を隠している。

梅雨が終われば、もう夏がきますね。
梅雨にぴったりなミュージックビデオを。


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