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水に「触れた」だけで死の危険?Part1〜死の貝と恐れられた『ミヤイリガイ』の最後の生息地は千葉県小櫃川と山梨県甲府盆地


水に「触れた」だけで感染する病気?

ビルハルツ住血吸虫症。

他にもマラリアなど、様々な病気の注意は受けたが、アフリカのマラウイで注意するよう、JICA協力隊として任地に派遣される前に説明を受けた中でも、特に印象に残っている。

日本にいたら関わることがなかったから、「ふぅーん、そんな病気があってアフリカは大変だな」なんて思っていた。

世界自然遺産でもありカラフルな淡水魚が見られるため、ダイビングスポットとしても人気なマラウイ湖。実はそこでも、ビルハルツ住血吸虫症への感染リスクがあった。

マラウイ湖のアフリカン・シクリッド(2018年7月)
マウスブルーダー(口内保育)といって、親が口の中で稚魚を育てる種もいる。

この感染症の怖いところは、水を飲むことによる経口感染ではなく、経皮感染することだった。つまり、マラウイ湖の「水に触れたら」感染のリスクがあるということ。マラリアも「蚊に刺されたら」感染する可能性があるという、100%の防除はなかなか難しい点で、共通している。

そのため、私が青年海外協力隊当時の2017~2019年当時は、JICAはマラウイ湖での遊泳を禁止していた(現在は不明)。

ダイビングを楽しむ欧米の旅行客などは「後で薬を飲めば大丈夫」と楽観視していたようだった。万が一感染してしまい、適切な治療をしないと最悪の場合、死に至る病気だ。

日本にもあった住血吸虫症

同様の住血吸虫症が、実はかつての日本にもあったことを次の本で知った。

『死の貝』(小林照幸著、文藝春秋 1998年)

この本には、1881年の発生認識から、1996年に最後の流行地だった山梨県が終息宣言を出すまで、およそ100年にわたる日本住血吸虫症との奮闘の歴史が記されている。そんなにも長い期間、実際にはもっと前から人々を苦しめてきたにも関わらず、今となっては、この病気を知る人は少ない。

水田で作業している農民から多く発症したことを手掛かりに、牛や犬などの動物で実験したり、研究者自らが足を水につけたりして命がけで調べたところ、水田の用水路などの水から経皮感染することがわかった。

そして1913年、ミヤイリガイというわずか4~5㎜の小さな巻貝が、中間宿主になっていることを突き止めたという。アジア各国で見られていた感染症だが、日本で感染経路が解明されたことから、日本住血吸虫症と命名された。

ミヤイリガイ(Wikipediaより)

ちなみに、最古の感染例としては、中国湖南省長沙市にある馬王堆遺跡の2200年前のミイラにも、日本住血吸虫症の卵が見つかっている。

日本での解明が、今もアフリカや中東で残るビルハルツ住血吸虫の中間宿主の巻貝の発見にもつながったのだから、日本の研究者の功績は大きい。

中間宿主ミヤイリガイの撲滅作戦

とにかくこのミヤイリガイを撲滅すれば、日本住血吸虫症が抑えられることがわかった。そこで考えられた様々なミヤイリガイ撲滅作戦。

最初は原始的な方法で貝を集めるところからのスタートだった。農家は、毎日の農作業に1~2時間家を早く出て、箸と茶碗でつまみとった。関係のないタニシやカワニナなどが混ざっていても構わず、まとめて村の役場で焼却処分した。

1917年には、山梨県の予算で貝一合につき50銭での買い取り政策を実施。住民総出で水田の用水路などで集めたという。駆除した量に応じてお金を受け取れるシステムは、イノシシなどの有害鳥獣のしっぽを役所に持っていくとお金をもらえる今のシステムと通じるものがある。

子どもたちもおこづかい欲しさに採集した。学校の教員はそれを奨励したが、地域の父兄は「学校は子どもを殺すのか」と激怒した、というエピソードも残る。

しかしながら、繁殖能力が高いミヤイリガイは、獲っても獲っても次々とわいてくる。研究者は、天敵を増やすことでミヤイリガイを駆逐するアイディアを思いつく。しかし、これが次のように、なかなかうまくいかなかった。

①ホタルの幼虫のエサとなるカワニナを増やし、天敵であるホタルの幼虫を増やした。
→他の小さな水生生物の方を好んで食べてしまった。

②天敵であるアヒルの飼育小屋を増やす。
→農民の食料にもなっていたドジョウや小魚を主に食べてしまった。

③天敵であるザリガニを放流する。
→稲まで食べてしまった。

実験室でミヤイリガイしかない状況なら、ホタルの幼虫も、アヒルも、ザリガニもそれを食べる。しかし、自然の環境下では、かたい殻を持ち、身の少ないミヤイリガイをわざわざ食べる必要はなく、他の食べやすい物を食べてしまうのだ。

天敵作戦がうまくいかなかったので、次は殺貝剤を導入する。生石灰(酸化カルシウム)が貝に効くことがわかった。規定の濃度を守れば、稲や魚などにはさほどの害はなく、安価で、効果も高かった。一方、雨でぬれると発熱し、火事や火傷の原因となるという弱点があった。また、ホタルの幼虫など、他の生き物までも姿を消してしまった。

火炎放射器で焼く、という方法も実行された。水中だけではなく、日当たりの悪い草にまで上って生息していたミヤイリガイもいたから、陸上では有効だった。

学校現場で行われた感染防止の指導

学校も協力を惜しまなかった。山梨県では教員にパンフレットを配布し、授業での読み聞かせを義務化。水田に行ってミヤイリガイを見せ、感想文などを書かせる指導もあった。「野糞厳禁」という指導も行った。糞便は肥溜めで長期間放置することで、直射日光と発酵により、虫卵は死滅させることにしたのだ。小学生男子は河川での遊泳でよく感染したことから、農村部でも学校プールの建設を急いだ。

図らずも、当時の日本の官僚体制が病気の制圧に役立った。国が「対策をやる!」と決めれば、全国の市町村の隅々にまでこの声が届いたからだ。トップダウンも時には悪くない。

効果的だった河川のコンクリート護岸化と果樹園化

色々試したが、結果的に一番効果的だったのは、河川のコンクリート護岸化と合成洗剤が含まれる生活排水の河川への流入だった。自然環境破壊が、ミヤイリガイ撲滅にはプラスにはたらいた。怪我の功名だが、ホタルも姿を消した。

また、山梨県が取り組んだのが、ミヤイリガイの生息地自体をなくすため、水田を埋め立て、果樹園への転換だった。これが、山梨県がブドウやモモなどの果物狩りやワインなどの名産地になった一因だったのだ。

山梨の果物をいただくときには、ミヤイリガイとの奮闘を思い浮かべながら、先人の努力に感謝したい。

パート2へ続く↓


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