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水に「触れた」だけで死の危険?Part2〜病気を憎んで、貝を憎まず


パート1はこちら↓

その時代の精一杯の正解

国土交通省が提唱する「多自然川づくり」の視点から言えば、問題が多い昭和の河川のコンクリート護岸。それだけを見て、環境に悪いことをしてきたと評価するのは、一面しか見ていないことになる。洪水から人々を守り、日本住血吸虫症の苦しみから解放してくれた歴史も忘れてはならない。

コンクリート護岸にしろ、合成洗剤の使用にしろ、生活を豊かに安全にするために必要だったこと。その時代の精一杯の正解だったのだ。それを踏まえた上で、これからどうしていくべきなのか、考えたい。

1970年代、流行地の各県で陽性者ゼロが続くようになった。専門家でなければ、ミヤイリガイの発見さえも困難になっていた。

そんな中、1985年に千葉県の君津市・木更津市を流れる小櫃川(長さ88km、千葉県で利根川に続く2位)流域の木更津市の農夫から陽性反応が出たが、症状はなかった。周辺住民を検査してみると、10人余りに陽性反応があった。いずれも感染自体は30~40年も前のことで、体調不良などの症状は出ていなかったという。薬を投与することはなく、殺貝剤をまいて、対策を終えたという。

最大の流行地であった山梨県も、1996年、終息宣言を発表した。こうして日本は、住血吸虫症を克服した世界で唯一の国となった。

時を経て、「掃いて捨てるほど」いたミヤイリガイは絶滅危惧種になった。

現在、ミヤイリガイは、自然界には山梨県の甲府盆地と、千葉県の小櫃川下流域という限定された場所にしかいないとされる。日本で2か所しかない生息地の1つに、地元の小櫃川が含まれていることに驚いた。(注:ただし、いずれも日本住血吸虫症の感染はなく、安全な状態)

千葉県レッドリスト動物編(2019年改訂版)においてミヤイリガイ(別名:カタヤマガイ)は、ランクA「最重要保護生物」に指定されている。駆除の対象から保護の対象へ、人間の都合で180度扱いが変わったのだ。

千葉県レッドリスト動物編(2019年改訂版) | 千葉県生物多様性センター (bdcchiba.jp)

完全な絶滅を免れるため、研究室レベルでは、ミヤイリガイと日本住血吸虫症の本体を飼育しているという。万が一の再流行に備える意味もあるのだとか。

住血吸虫症の薬「プラジカンテル」

プラジカンテルという薬が開発され、早期に飲めば、回復できる病気になった。日本住血吸虫症はもちろん、ビルハルツ住血吸虫症にも使える優れものだ。開発したのはドイツの製薬会社バイエルだが、住血吸虫症の原因を究明した日本の研究者の功績は大きい。

かつて、日本住血吸虫症で多くの人が命を落とした日本は、世界で初めて住血吸虫症を撲滅した国となった。一方、マラウイをはじめ、薬が十分にいきわたっていない発展途上国では今もなお、多くの感染者がある危険な病気であることに変わりはない。

マラウイで飲んだプラジカンテルは、ズドンと重たいものが腹の奥にのしかかるような感覚を覚える薬だった。体の中の寄生虫を殺す、ということはつまり、人間の体にも大きな負担がかかるのだろう。

マラウイゾンバ県の薬局にあったプラジカンテル
(2018年7月)

病気を憎んで、貝を憎まず

『死の貝』あとがきに筆者はこう書いている。

「時間の経過と共に、人は日本住血吸虫症に苦しんだ歴史を忘れてゆく。しかし、大自然は絶対に忘れない。再流行の機を窺っている。」

『死の貝』(小林照幸著、文藝春秋 1998年)

何らかの偶然で海外から、住血吸虫が運ばれてくる可能性はゼロではない。

「とにかくミヤイリガイを駆逐する」

それが地方病をなくす唯一の道とされた過去を経た日本。将来、万が一にでも再流行があった時、生物多様性の視点を得ている日本人は、どのように対処するのだろうか。

ミヤイリガイそのものを悪とせず、あくまで退治すべきは日本住血吸虫症という病気なのだ、という視点を心に留めていられるのだろうか。

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