表現の自由、多様化の時代ではあるが・・・
或るnoterからフォローの知らせが届いた。それは良いことだが、その人のnoteを見ると、アブノーマル、スカトロに関する記述なので要注意と書かれている。
多様化の時代と言えども、アブノーマル、スカトロは無関心であり、非常に抵抗がある。更に、自分の乳房を撮影した写真(nipplesは暈し)をカバー写真として使っているので、気持ち悪くなり、ブロックさせて頂いた。
アブノーマルもスカトロもご自由にであるが、noteではnoterの小説やエッセイなどの芸術作品や実務的な記事を読みたいので、偏りすぎた趣味で、個人的な実写版的毒々しい内容がnoteでは許容されるのかと、少々首を傾げた次第。
世の中にはいろいろな考え方や趣味などを持つ人々がいるのは十分理解しているものの、食欲が失せるようなものは一切御免被りたい。それよりも、もっと知的財産としての価値あるものに接したいものである。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、表現の自由とその限界について考察したものです。著者は、多様化の時代においても、自分が不快に感じる内容に対する対応を述べています。具体的には、アブノーマルやスカトロといった趣味の表現が、自分には合わず、特に実写版の内容に対して強い抵抗感を示しています。
著者は、noteというプラットフォームを通じて他者の作品を楽しみたいと考えていますが、その中であまりにも個人的で過激な趣味が表現されることに疑問を持っています。著者が特定のフォロワーをブロックしたエピソードを通じて、個人の表現の自由と他者の受け取り方のバランスについて考えさせられます。
エッセイ全体を通して感じられるのは、著者の個人的な価値観とプラットフォームの利用目的との間に生じるギャップです。著者は、より知的で価値あるコンテンツに触れたいと望んでおり、その希望に反するコンテンツが含まれることで不快感を覚えています。
このエッセイは、読者に対して表現の自由の重要性を認識させつつも、その限界や他者への配慮について再考するきっかけを提供しています。多様化が進む現代社会において、どのように個々の価値観や趣味を尊重しつつ共存していくかについて考えさせられる内容でした。