写真は、記憶喪失防止の役割を果たす・・・記憶のガラスに付着しつつある結露を取り去り、鮮明な映像により、当時の記憶を呼び起こす。
ものの本に書かれていたのか、人から聞いた話なのか忘れてしまったが、「写真は少なからず、認知症予防に効果あり!」であると結論づけていた。
筆者は、写真は趣味の一つとして、仕事との両立を図り、時間が許せば、可能な限りお散歩カメラでも良いので、周囲の四季折々の花々や野鳥、そして風景や人物像、料理を切り撮っている。
「認知症予防効果」の情報が正しいのか否か分からないが、昔の写真を取り出してみることにした。それは、筆者が撮影したものもあるが、更に昔の父がLeicaで撮影したものや、海外研修先で撮ってもらったものなどをピックアップしてみることに・・・。
動画は、撮影されたものを、編集された時間の尺で見続ける必要がある。しかし、無音静止の写真一枚は、瞬間的に、脳内であらゆるリレーショナルデータベースの連結が行われていることに気づく。
時が経てば、当時の或る出来事なりの存在さえ忘れることもある。何故、そこに自分がいるのか、誰がその一コマを写してくれたのか、横にいるのは誰なのか、その時食べた料理はどんな味だったのかなど。
写真は動画と異なり、短時間にて何十枚、何百枚もの静止画を見て、想定外に大容量ビジュアル情報が頭の中を駆け巡る。それも、ランダムに見ていると、時系列とは真逆な展開に、脳内はストームを起こしそうな勢いだ。だから、認知症予防に繋がるのかと、素人ながら、根拠なく頷いてしまった。
この祭りの写真は、近所の幼友達と付き添いのお母さんたちの写真である。熊本県山鹿市。温泉祭りの様子だが、そこで写真を撮られたという記憶は、脳内のガラスの結露により、よく覚えてはいない。
ただ、裁判所手前の路地に皆が集合しており、当時の裁判所、検察庁、そして祭りの山車や三味線を手に持つご婦人らのイメージが蘇ってきたのである。現在では、このスタイルの祭りが続いているのか分からないけれども、父自慢のLeicaのシャッター音が聞こえてきそうな、懐かしい写真だ。
撮影するのが好きなので、自分自身を撮ってもらうというのは、かなり苦手である。笑顔も作れず、斜に構えて、レンズを嫌っているのが筆者である。被写体となる方の、微妙な緊張感が分かるような気がしてならない。よって、やや距離をもって、レンズは85mm(俗称、お姉ちゃんレンズ)を使用すれば圧迫感はなかろうと。
何十万枚とある写真データであるが、ストック場所を確保するのが難儀である。一応、iCloudや外付けのハードディスクなどを連動させて管理はしているものの、タグなり保管場所なりのツリー構造を最初にしっかりと組み立てておかないと、筆者のようにざっとした管理となるので、要注意!
何はともあれ、この記事を書きながら、「写真の認知症予防効果」があるように思えてならなくなってきたが、今回、僅か数枚の写真を時系列も考えず、バラバラに見てきた中で、何となく、ニンマリとしている自分がいる。このように、時折、写真の整理をすれば、精神衛生上も良いのかと、思い込み激しく、感じ入ってしまった次第。
いやはや、写真は人生のアルバムなので、できることならば、もっと一枚一枚を愛情込めて撮影し、もっと大切に整理整頓、そし保管しておきたいものだ。
最後に、今日の記事を書いて、記憶のガラスに付着しつつあった結露が一気に取れ、記憶が蘇ったような気がしてならない。