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信用できるものは、何か!?

 今回は、人・物・金について、「信用できるものは、何か!?」をテーマに書き綴りたい。

 世の中を見回すと、次のように、「できすぎた話(物)」、「都合良く歪曲した話(物)」、「饒舌者の話」、「価値のない話(物)」、「宗教めいた話(物)」など、数限りなく存在するのが実態と言える。

 筆者はこのような類については、一切見向きもせず、関心もなく、無視することにしている。しかし、性懲りも無く、次から次へと湧いては消え、消えては湧くのが実情であり、信用できないものが多く蔓延っている。

 率直に申し上げれば、この世の中に、1)楽して儲かる、2)宗教を信ずれば願いが叶う、3)偽物が本物を凌駕する、4)偶然の輸贏(ゆえい)で日々金儲けができる、5)心の持ちようでリセットして金が天から降ってくるなど、地球がひっくり返ったとしても、あり得ない話である。

 以下、その理由なり異見を述べたい。

1)楽して儲かる
 楽して儲かる仕事など一切存在はしない。では、目を瞑っていて、人を動かし、口先だけで、楽して儲かる仕事など見たことも、聞いたこともない。勤労意欲もない人に対して、対価を支払う人は皆無に等しい。よって、詐欺や違法行為を水面下で行わない限り、陽の当たるところで金銭が動くはずがない。

2)宗教を信ずれば願いが叶う
 宗教を信じる信じないは個々人の自由であるが、そこに神が存在し、我々を救ってくれるのであれば、目の前に、ウクライナクライシスやガザなどの戦争が勃発するはずがない。では、神の存在とは何なのかとの疑問も湧いてくるのは当然のことである。但し、これは筆者のような無宗教者の異見だ。

3)偽物が本物を凌駕する
 巷には、ブランド商品の偽物がわんさと存在している。しかし、その偽物に対して、激安でとても似ているからお得感があり、見栄も張れると買う人もいるが、その価値観は如何なものかと首を傾げてしまう。ただ、偽物が本物を凌駕することは、絶対にあり得ない。

4)偶然の輸贏(ゆえい)で金儲けができる
 ギャンブルに一度手を染めると、それは悪癖としてなかなか治ることのない、不治の病のようなものである。一攫千金の夢を叶える、ギャンブル。人の脆弱な心の微妙に刺激をするのだから、古今東西、永遠と続くのであろうかと。

5)心の持ちようでリセットできて金が天から落ちてくる
 スピリチュアルなものには身の毛がよだつのだが、純真無垢なる人は、ころっと騙されて、そんなものに大枚を叩いて、気づけば根こそぎ金銭を盗み取られることがある。芸能人でも、その被害にあった人が多いけれども、心とはそれほど強いものではないところが、怖いのである。


 金や物に執着している心の隙間を狙いすまして、詐欺は訪れる。そして、「できすぎた話(物)」を持ち込まれて、まんまとトラップに嵌り、折角の預貯金を盗み取れることになる訳だ。

 昔から、「安物買いの銭失い」という言葉があるが、まさしく、小銭だからといって湯水の如く使っていると、いつの間にやら底が尽き、上述のようなトラップへの誘惑に負け、更に、人生を棒に振ることになってしまう。

 筆者はギャンブルは一切しない。公営ギャンブルであろうが、パチンコであろうが、全く興味はない。根底にあるのは、しっかりと世のため人のために働くことで、その対価として収益を上げる会社を維持しなければならず、一挙両得のような、都合の良い話にはイヤプラグをすることにしている。

 筆者も含めて、人の心は思ったよりも頑丈には作られていないのは事実。その脆弱なところを突くのが詐欺師であり、病であるギャンブル中毒でもあり、全て金銭がらみのトラップばかりが、足元にゴロゴロと転がっている。

 では、逆に、信用できるものは、何なのか!?

 それは、楽を選ばぬ自分自身である。更に、範囲を広げるとなれば、周囲の知人友人の中でも、厳しく指摘をしてくれる人のみである。

 マネーゲームをしたいのならば、数億、数十億と潤沢に遊び金がある人のみの遊戯であり、それを、我々のような庶民が一攫千金を狙って真似するものではない。賭け事で億万長者になったという確率は、ナノ単位のものであり、それを「夢を叶える」と、嘘を吹聴してはならない。

 デジタルがこの世に浸透して、価値観があまりにも変わりすぎた感がある。更に、即効性、手軽さなどが先行することで、簡単に金銭を稼ぐのが当然であるとの歪んだ価値観が蔓延しているのも否めない。

 良く考えて欲しい。

 昔は一軒家を持つのがステータスでもあり、一家の大黒柱として認められた時代もあったが、現在の耐久性のない木造家屋に数千万円掛けて、その資産価値があるのかと問えば、ノーである。

 昔の家屋は200年、300年も建っている。勿論、シロアリ対策やら防火施設やらも必要であり、メンテナンスも欠かさずしなければならないが、何故、現代の木造住宅が30年も経てば、ボロボロになるのだろうか。余りにも、不動産業や建設業主体のビジネスの仕組みに慣れ親しみ、消費者も価値観を放棄しているように思えてならない。

 アナログを凌駕するデジタルはない。何でもかんでも、楽して儲けようとか、人を騙してでも金銭を盗み取るなど、歪み切った価値観を持つ人間が急増していることに警鐘を鳴らしたい気持ちで一杯となる。

 共存共栄の心もなく、利己主義に走る人が急増すれば、当然の如く、詐欺も増え、価値なきものへ湯水の如く金銭をばら撒き、すっからかんになる人も多いと聞き及んでいる。

 よって、平穏無事なる生活環境下で生きて行くためには、常に、「信用できるものは、何か!?」と自問自答しながら、近寄る見えざる悪しき誘惑に気を取られないことが重要となる。

 人を騙したり、ギャンブルで瞬間的な金銭を手にしたとしても、それは、世のため人とために使えるような金銭でもなく、泡銭は必ず、ドブの中に捨てられる運命にあることも知るべきである。

 ここらで、「人・物・金」の本来の価値とは何なのか。再度、自問自答する時代になったのではなかろうかと思う、今日この頃である。

 蛇足ながら、善意の人の心を悪用するような「クラウド・ファンディング」も、ちらほら見受けることがあるが、とんでもない話である。「クラウド・ファンディング」は言葉の響きは良いが、妙な輩がそれを悪用すると、とんでもない事件が発生する可能性は高い。

 ご用心。

このエッセイは、信頼性や価値観に関する深い洞察があり、社会的な課題に対する著者の懸念が表れています。以下はいくつかのポイントについての評価とコメントです。

  1. 構成と論理性:

    • エッセイは明確な導入、本文、結論の構成を持っています。各段落は特定のテーマに焦点を当てており、論理的に進展しています。

    • 論点はしっかりと提示されており、それに対する理由や具体例が適切に提供されています。

  2. 論拠の強化:

    • 著者は各主張を裏付けるために具体例を使用しており、それによって論理的な説得力があります。例えば、宗教や偽物の話において、具体的な事例を挙げている点が評価されます。

  3. 言葉遣いとスタイル:

    • 言葉遣いは明確で理解しやすく、著者の考えが明確に表現されています。

    • 文章全体には一貫性があり、読み手が興味を持ちやすいスタイルです。

  4. 論点の展開:

    • 著者は信頼できるものについての考えを詳細に掘り下げており、複数の視点から論じています。これは読者に深い考察を促す効果があります。

  5. 提案と考察:

    • エッセイは問題提起だけでなく、信頼できるものとは何かについての著者自身の考察も提供しています。

    • 最後には、常に「信用できるものは何か?」と問いかけ、読者に考えさせる余地を残しています。

総合的には、このエッセイは社会的な価値観や信頼に関する深い洞察を提供しており、具体例を用いて主張が裏付けられています。読者に対して重要な問いかけを促し、深い議論を呼び起こすような力強いエッセイと言えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。