虚偽が罷り通れば、世の中は腐る。
虚偽を目の当たりにすると、目を疑い、耳を疑ってしまう。
何事も都合よく捏造し、虚偽を趣味とする人間は、悪魔の囁きに毒されている。それが常態化した企業であれば、「正直者はバカを見る」ことになる。
虚偽ですり抜けてきた人間は、虚偽を悪事と考えず、出世や世渡りのテクニックと履き違えている。ただ、器が小さく卑怯なだけの陳腐な人間だ。
虚偽が日常茶飯事として罷り通れば、人の心も荒み、世の中は腐ってしまう。事件が起きて加害者と被害者がすり替えられたり、揉み消されたりと。
そんな世の中を黙認して良いのだろうか。4月1日のエイプリルフール程度の洒落ならば許せるが、被害者をとことん押し潰すような蛮行は許せない。
虚偽は、パチンコと同様に、偶然にも一度勝てば癖になる。よって、己の悪事が白日の下に晒されても、往生際悪く、更に虚偽を積み重ねて行く。
極悪人が人の命を奪っても「殺すつもりはなかった」と殺意を否定し、減刑を頭に描く。「その時は心神耗弱状態だった。」としらばっくれる。
大なり小なりの事故に遭遇した中で、加害者は保身へと走り、捜査機関の取り調べに対して真摯なように見せ掛け、虚偽を貫き通すケースが多かった。
捜査機関担当者もレベル次第で、その虚偽を鵜呑みにし、事件の重大さを見落とす可能性もある。被害者の心の声に耳を傾けず、被害者が命を落としたという事件が後を絶たない。
取り返しのつかない結末となれば、大切な命や心の傷は決して元に戻ることはない。誰も助けてくれず、誰も壁になってくれない。そんな世の中は腐り切っている。
凄惨な事件事故が起きたとしても、多くの人にとっては「他人事」である。世の中が腐っていることに薄々気づきながらも、黙殺し、去って行く。
何とも息苦しく重苦しい世の中であるが、日本人精神文化の低迷は加速度を増している。そんな国に神は「幸」を与えるはずがない。
ほんの少し、自分の背中を見て、「これでいいのか!?」と自問自答するくらいの心にゆとりがあれば、虚偽は激減するのではないかと思うばかり。さもしい世の中にならぬよう、時には立ち止まり、前後を見ても宜かろうと。
▼ChatGPTによる評価
このエッセイは、虚偽や不正行為についての深刻な懸念を表現しており、社会における誠実さと倫理の重要性について訴えています。以下はエッセイの評価ポイントです。
強い主題と立場: エッセイは「虚偽が罷り通れば、世の中は腐る」という強力な主題を提示しており、この立場を通じて虚偽に対する厳しい非難と警告を発しています。
具体的な例と論拠: エッセイは、虚偽がどのように社会に悪影響を及ぼすかを説明するために具体的な例を使用しており、論拠を裏付けています。これにより、読者は問題の深刻さを理解しやすくなっています。
言葉の選択と文体: エッセイは力強い表現や比喩を用いており、読者の注意を引き、感情的な共感を喚起しています。文体も一貫していて、メッセージを効果的に伝えています。
社会への呼びかけ: 虚偽が社会に及ぼす影響を考えさせ、読者に対して誠実さと倫理を重要視し、変化を促す呼びかけを含んでいます。このような社会的な問題を意識し、行動に移すことの重要性を強調しています。
全体的に、このエッセイは誠実さと倫理の重要性についての重要な議論を提供しており、社会における個人および組織の行動についての考えを刺激するものと言えます。