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批判は創造的、否定は破壊的

新型コロナの影響下、芸術文化への風当たりが強いことがあります。芸術文化だけじゃないかもしれないですが。金銭的補償が必要だとか、困っているんですとか、声を上げることに対して、否定的な声が集まることがあると感じています。自分が否定されることは(まぁ嫌ですけれど)よいけれど、誰かが一方的に否定されるところを見るのは、自分以上につらい。

これをよく、○○に対して批判的だ、と言われることもあるのですが、昨今見られるものには、批判というよりも、この、「否定」に近いものが多いように受け止めています。

これはなぜなのでしょうか。

批判と否定の違い

そもそも、批判と否定は何が違うのでしょうか。

批判とは、
1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」
2 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」
3 哲学で、認識・学説の基盤を原理的に研究し、その成立する条件などを明らかにすること。(デジタル大辞泉)

ここでは、批判は、良い・悪いを見分け、それを評価すること。一方で否定は、主観的にそうではない、と打ち消すことです。言い換えるなら、多様な視点でとらえないままに、よくないと判断することなのだと思います。

ちなみに批判的思考(Critical Thinking)という言葉があります。批判的思考を長年研究されている京都大学大学院教育学研究科の楠見孝先生によると、

批判的思考とは、「論理的・合理的思考であり、規準(criteria)に従う思考」であり、「より良い思考をおこなうために、目標や文脈に応じて実行される目標志向的思考」であって、決して他者を攻撃するというようなネガティブな思考ではないのです。そしてもう1つの観点が、「批判的思考とは、自分の推論プロセスを意識的に吟味する内省的(reflective)・熟慮的思考である」というものです。(ベネッセ教育総合研究所

ということだそうです。つまり、論理的な目標志向の思考であり、他者にも自分の内省にも行う、いわば客観的な思考のことだとも言えます。

批判的であることは、大切なこと。建設的に互いに批判的な視点で議論できれば、より良くなる可能性があるから。私も社内の議論で、批判的な意見や質問を、投げかけたりもします。批判とは、悪口でも相手への否定でもない。物事に対しての良し悪しを判断し、それについて正すべき点を指摘すること。本来政治も、例えば二大政党制で批判しあって、建設的に議論が起きるから、国民という多様な視点で見たときに、よい形になるのだと思います。

正しく批判的思考を使えば、AまたはBとなったときに、批判的に互いが議論すれば、Aだ!とかBだ!という結論ではなく、Cという結論に出会える可能性があるはずなのです。

しかし、日常(特にネット上)で行われる議論では、Aだ!Bだ!で炎上したり、とにかく否定的な議論になっています。批判が否定になりがちな理由について、考えます。

批判が否定になりがちな理由①

一つは、言葉の意味が理解されていないから、ということだと思います。日本人の多くが、「批判的に考え、建設的に議論する」ということがよくわからなくなっている気もします。批判と聞くと、「イコール否定」のように、言葉の意味が消えてしまっていることが問題だと思うのです。

みんな批判的になろうと思っても、言葉の意味が欠落しているので、否定的になる。批判は、多様な視点を想像しながら、客観的にとらえて良いか悪いかなどを判断することですが、結局その意味が良く分かっていないので、自分の視点で考える→自分と違う→否定、という形になるのではないのかなと思います。

よって、これに対しては、批判的に話すとはどういうことなのか、批判という言葉の意味をそれぞれが知るということがまず大事だと考えます。

批判が否定になりがちな理由②

もう一つは、ネット社会の一方通行であるという構造に由来すると思います。よく「炎上」と言って、互いに否定的になって一方的に主張を投げつけあっていることも結構多いと思います。そして、急な謝罪。本当は、AまたはBがあったときに、Cを互いに目指せればよいけれど、なんか大変なことになったから、謝っちゃおう、とする。

顔の見えない、ニュアンスの伝わらない、あるいは相手の言っていることを別にちゃんと受け止めなくても、自分の考えを一方的に送ることができる。そういったコミュニケーションスタイルが、リアルよりもネットのほうが圧倒的にとりやすく、また、相手もそう取りやすい。だから、否定的な議論になりがちなのだと思います。

今日たまたま見た、このニュース。WHOのトップという権威が、名指しで台湾のことを責めたことに対し、一人の台湾医学生が、オープンレターでそのような事実はない、と答えた動画が話題になりました。

この動画、彼女の動画という手法、また、話し方が真摯で素晴らしかった。批判的、とも違うのですが、一方通行ではなく、ネット上においても、相互通行でコミュニケーションが取れるような、動画。丁寧な言葉。正しい情報に従うという軸、SDGsの「だれ一人取り残さない」という軸、人々の健康が一番大切だという軸をもって、論理的に話している。そんなこと言っていない!という単なる否定であれば、このように話題になることはなかったと思います。

今求められるコミュニケーション

否定的な意見は破壊にしかならない。Aを信じる人はAのままだし、Bを信じる人はBのまま。でも批判的であることはそうではない、次の世界に行くことができる可能性がある。あるいは、批判からさらに、例えば、Yes, and~ の話法(そうですね、とまず受け止めて、それに続く自分の意見を述べる)、Non-violent communication(非暴力コミュニケーション。お互いのニーズを尊重しあいながら、感情を大切に話していく手法)と呼ばれるものもあり、AまたはBという二元論から、より多様な次元に行くコミュニケーション方法に注目が集まっています。

こんな状況下だからこそ、コミュニケーションを大切にし、否定するのではなく、互いの価値観を尊重した上で、新たな価値創造をしたいと思っています。

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