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頑張る気のない介護

夫は二人兄弟の次男で、長男は数年前に他界しました。
義母は去年亡くなりました。
義父は健在……というか歩きませんが、それ以外はたぶん八〇代後半の高齢者ながらかなり快適な生活環境にあると思います。

いつの頃からか知りませんが、気がつけば義父は、「膝が痛い」(足が痛いとしか言わないため正確な症状は不明)事を理由に、歩くことを放棄していました。
立ち上がって数歩の移動は出来ます。でも歩きません。今更どんなリハビリしても、もう無理でしょうね。義兄が亡くなったときも、義母が亡くなったときも、部屋から出てきませんでした。車椅子も拒否しました。

私は義父が大嫌い。
義母も好きじゃなかったけど、義父はほんと嫌い。嫌なこと全部人にやらせて、自分はか弱い振りして引っ込んでるのは、昔からなのです。
でも、もう先も見えてるし、とりあえず死んだあとの諸諸の費用分だけはめどがついてるし、年金内で生活もやりくりさせているし、理解力も落ちてる人間相手に難しいことを言う気も無いので放置です。

そんな歩けない義父が、どうして在宅で最低限快適な居住環境で暮らせているのか。そして私たちはほぼ関わらずにすんでいるのか。

大前提として。

義父はペースメーカーを入れているため障害一級。要介護は……いくつだったっけ(関心のなさが如実に……)
後期高齢者なので医療費負担は一割で、区の高額長寿医療制度でその実費分も何割か戻ってきます。
そして、公営住宅なので、家賃が格安。これ大事。

義兄が亡くなったあとの、二人の金銭的な管理は、去年の頭くらいまでは叔母(正確には義母の義妹)が担ってくれていました。お金を援助してたわけじゃなく、ヘルパーさんの手配とか、橋渡し役。難しい手続きは私たちがしてましたが、叔母がかってでてくれてたのはほんと助かった。今の義父の介護パターンは、叔母が作ってくれました。

義父の一日のルーチンとしては、
お昼頃にヘルパーさん来て、お昼の面倒を見ながら、洗濯と掃除とお使いをしてくれる。
お茶の時間くらいに、お弁当屋さんが夜ご飯と朝ご飯の分のお弁当を置いていく。前日の空き容器を回収していく。
週に二回くらいかな、歩かなくて血行の悪い足をマッサージに来て、ついでにトイレのまで歩いて行くリハビリ的なものを施す方(歩く方面は全く無駄なお世話ですみません)
週に一度の訪問入浴。
歯医者さんと内科医の往診が、月に何回あるんだろう? 入ってるのは知ってます。

叔母が元気だった一昨年までは、正月と盆の一時期は、お休みになるヘルパーさんの代わりに叔母が行ってくれていましたが、
叔母が亡くなってからは、そういう打診をされることはなくなりました。
私は基本的に、ケアマネさんとは話をしません。夫が窓口になってるので。

義母が施設に入ってほどなく、新型コロナ騒ぎが起き、私たちもあまりまめに行くことは出来なくなりました(隣県なもので)。
おかげさまで、落ち着いた今でも、多くて月一回、だいたい二ヶ月弱に一回の訪問で済んでます。行っても、通帳預かって、必要な現金おろして渡してくるだけです。
お弁当代やらを手渡ししていた頃はこれも大変でしたが、今はほぼ銀行引き落としなので、気楽なものです。

ケアマネさんが義母の時から一貫して同じ方なので、事情をわかっているのも大きいし、私たちが隣県住まいなのも幸いしたのかもしれません。
施設に入居したら、好きにテレビも見られないし、生活も管理されて窮屈だろうし、今の状態が快適なんじゃないですかね?
なにしろ、動かなくてもまわりがみーんなお世話してくれるんだから。

毎日ヘルパーさんが入っているので、死んで何日も経過して発見、というのはなさそうです。
ただ、それでも自宅で死んでは第一発見者に迷惑がかかりそうなので、できれば多少苦し……いや危険な兆候を見せて病院に搬送されてから死んで欲しい。鬼ですかそうですね。

親の介護だ、じゃあ呼び寄せてとか、自宅に通って共倒れどころか心労で先に倒れる、なんてよく聞くけど、
うちは条件的に特別恵まれてたのかなとか考えると、そうでもない気はする。だいたい金ねーんだわ、あの人。
ただ叔母の存在は大きかった。これだけは言えます。

参考になりましたか。ならないですか。そうかもしれません。
でも、相手との関係性によっては、「やらなきゃいけない」じゃなく「できる限りやらない」方法で考えることも、大事なんじゃないのかなぁと。
仲良し親子だって、介護で関係が崩壊することだって多々あるようだし。

ちなみに。
義祖母(義父の母親)は、元気な頃は義実家を支配し、義母の稼ぎ巻き上げて、離れて暮らす長女一家に貢いで、「いつかかはひきとって貰う」と義母をいじめ抜いたそうですが、
実際認知症の症状が出始めると、長女一家は引き取りを拒否し、義祖母は期間を決めて行ったり来たりのキャッチボール状態、
そのうち長女宅で転んで骨折し、当時は制度も整ってなかったのか、他県の老人病院に入院し、歩けないまま亡くなりました。歩けなくても、ものは判らなくても内臓だけは丈夫で、かなり長期入院してたようです。費用も相当高額だったようで、もともと収支管理のザルな義実家の資産を相当削ったようですね。
もちろん、義父は知らん顔。面倒見てたのは、義母でした。

私は義父が大嫌い。
行っても顔も見ないし、口もききません。火災保険とか、葬儀屋の積み立ての分とか把握してるし、もう話すこともないのです。
私が次に頑張るのは、義父が死んでから。葬儀の手配と、部屋を引き払うときが本番です。
お互い、不愉快な思いをせずに、平穏に、永いお別れに持っていきたいものです。いいじゃないですか、距離感、大事です。

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