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父の実家(正月編❶)[思い出話]

私の父方の実家は、東京の下町エリアの北区というところにありました。
1960年代まで存在した「都電35系統」という路面電車の、とある電停前で栄えた、やたらと細くて長い商店街の中で和菓子屋を営んで居ました。
和菓子屋と言っても、お茶に使うような雅な練り切りなどではなく、主力商品は冠婚葬祭系(赤飯、紅白饅頭、葬式饅頭など)と、ランチ系(海苔巻き、握り飯、お稲荷さんなど)と、おさんじ系(だんご、どら焼き、すあま、大福、酒饅頭など)という感じの、かなり下町的で庶民的な、地元密着型アド街ックな和菓子屋でした。

正確に言うと、祖父亡き後も伯父が家業を継いでいるので、店はまだ在るのですが、建物がビルに変わり、父の実家というより伯父の家という感じになっています。

毎年、盆、八幡様の例大祭、正月になると親戚がこの祖父の家にあつまり、かなり賑やかな宴が繰り広げられていました。
賑やかな、などと言うと聞こえが良いですが、それはそれは激しく苛烈な鉄火場でした。
チンチロリン、おいちょかぶ、こいこいなど、任天堂が泣いて喜ぶ遊技具達が乱れ飛び、何故かお札も飛び交っていました。幼い私には、それが何故なのか解りませんでしたし、もはや時効だと認識しています。
祖父は、商店街の世話役をしていて自治会やら、老人会やらをしきっていましたので、もはやこの宴会は、親戚だけの催し物ではなく、ご近所さんも出入り自由なスーパーフリーダム私設賭場として界隈では知られていたようです。(これには早くに亡くなった祖母が深く関係していますが、その話はまた別の機会に。この祖母もヤバい人でした)

盆、正月、祭りなどは、和菓子屋(餅屋)にとって掻き入れ時。お店は目の回るような忙しさで、本来ならそんなことしている場合か?という感じですが、お店は伯父夫婦と、職人のやっちゃん(キテレツ大百科の勉三さんみたいな瓶底メガネをかけた、漫画みたいな寡黙系お兄さん)で切り盛りしていて、次男坊の父は、もっぱら鉄火場を仕切る役割を果たしていました。何たる役割分担。なんたる不条理。その時の伯父の気持ちは、今なら解りますね。

そして片隅には「こどもてっかば」なる、プレイスポットがあって、ここでは丸いものが飛び交っていました。(おはじきだったかな!!!???ビー玉だったかな!!!???……時効です)
こちらでは主に「こいこい」が開催されていました。一族の子供たちは、こいこいの役や、点数計算、札のカッコイイ切り方などを幼い頃から身につけていました。英才教育の賜物ですね。
祖父にもらったお年玉を、お店で伯父に(おはじきに)両替してもらい、大変まじめに取り組んでいました。

この宴会は、ケイタリングによるオードブルがずらりと並び、瓶のオレンジジュースやコーラ、スプライトなどがあり、中々の宴でした。伯父のお嫁さん(伯母)は数件隣の食堂の娘で、この宴会は伯母の実家が卓を任されていました。なので食堂にある瓶のジュースが飲み放題になり、本当にサイコーでした。
それに比べて、この家の次男坊の家庭は、何故だかいつも火の車がグルグルしていましたので、ジュース飲み放題は本当に嬉しかったな。

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長くなりそうなので、続きはまた後日書きますね。
ここまでお付き合い頂きありがとうございます😊






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