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9.11旅行記① 出発前~2001/9/10(夜、マンハッタン到着)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

アメリカ同時多発テロの犠牲者及びご遺族に、哀悼の意を捧げます。また、負傷された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

・アメリカ旅行に誘われる

2001年夏。スマホはまだない。
私が持っていた携帯電話は、カラーの液晶画面で、Eメールで250文字送れるようになっていた。カメラはついていない。インターネットは、学校や父のパソコンで使っていた。

そんな大学3年生の夏、高校が一緒だったアイちゃんに、夏休みに一緒にアメリカに行こうと誘われた。HISで、成田→ニューヨーク→カンザス→成田の航空券が8万円であって、これはすごいことなんだよ、ということだった。マンハッタンを観光して、同じく高校が一緒で、ニューヨークに留学していたケイちゃんと、カンザスに留学したリエに会いに行く。私は行くことにした。私にとって、初めての海外旅行だった。

・フライトが確定

2001年7月12日(木)
アイちゃんがHISで航空券を手配してくれて、HISから請求書が届いた。ノースウエスト航空、9月10日から19日まで、10日間の旅。

9月10日 15:50成田発、 15:15ニューヨーク(JFK空港)着 NW018
9月13日 11:55ニューヨーク(ニューアーク空港)発、
      16:33カンザスシティ着 NW773
9月18日 12:20カンザスシティ発、 13:44ミネアポリス着 NW220
9月18日 14:40ミネアポリス発、
9月19日 17:15成田着 NW019

航空券 82,000円
出入国税等 5,600円
成田空港旅客サービス料 2,040円
合計(1人あたり) 89,640円


2001年7月22日(日)
『地球の歩き方 ニューヨーク』を購入。


2001年7月31日(火)
J.D.サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』と、『気ちがいのぼく』を読んだ。ニューヨークが舞台の小説。

・資金のため映画館でバイト

2001年8月1日(水)
大学3年の前期はアルバイトをしていなかったので、旅行資金のために、アルバイトを探していた。昼寝をしていたら、履歴書を送っていたワーナー・マイカル・シネマズから電話があったと母に言われた。折り返すと、今日18時から面接するが来られるかとのことだった。すでに17時を過ぎていたので、急いで家を出て、3駅先の映画館に向かった。
もともと映画が好きで、求人を見つけた時、時給は高くなかったが、映画館でバイトができたらいいなと思って応募した。到着後、グループで面接を受けた後、数人が残されて、採用ですと言われた。なんで採用されたのだろうと思ったが、おそらく、夏休み中特に予定がなく、いつでも出勤できると言ったからかなと思った。


2001年8月3日(金)
14時からワーナーでバイトの研修を受けた。映写室を見学した時、大きい車輪のようなリールにフィルムが回っていて、劇場の後ろの壁の高いところにある小さな窓から光がのびて、映像がスクリーンに映し出されているのを見て、感動した。小窓から劇場を覗くと、下に観客の頭がたくさんあって、みんなスクリーンを見ていた。
私はチケット販売やもぎり、売店などの接客ではなく、バックオフィス(事務)に配属された。


2001年8月8日(水)
ワーナーの初出勤。オフィスでの私の業務は、主に電話対応で、この日は1日中電話に出て終わった。当時、「千と千尋の神隠し」やポケモンなどの人気作が公開されており、チケットは電話やネットで販売していなかったので、劇場に行って並んで買うしかなく、朝から大混雑で、電話で待ち時間や残席数などの照会がひっきりなしにかかってきていたのだ。携帯電話が普及し、列で並んでいる最中に電話をかけてくる人も多かった。ほかにも、「バニラ・スカイ」と、「スパイ・ゲーム」はどちらがおすすめか相談されたり、3つの映画を1日で観るにはどの順番で観たらよいか聞かれて、スケジュールを考えたりした。夏休みで、朝の時間帯は子ども向けの映画が放映されていて、朝は子どもの海をかき分けて出勤した。
電話の合間に、ポイントカードの1つ目のスタンプをひたすらきれいに押したり、ポップコーンマシーンの修理で大量にできたキャラメルポップコーンをビニール袋いっぱいもらって食べたり、ワーナー内恋愛を目の当たりにしたりしながら、楽しく過ごした。オフィスにはいつもラジオがかかっていて、JamiroquaiのLittle Lが何度も流れていて好きだった。

・ホテルを予約

2001年8月10日(金)
マンハッタンのホテルを予約した。

Quality Hotel Eastside
161 Lexington Ave New York
9/10~13 @USD129

HISでは航空券のみ購入したので、ホテルは自分で予約する必要があった。航空券はアイちゃんに手続きしてもらったので、ホテルは私が探した。ネットで検索して、もっと安いB&Bなどにいくつかメールで空きがあるか照会したが、どこもいっぱいだった。
カンザスでは、リエの部屋に泊めてもらうことにして、ニューヨークの宿だけ手配した。


2001年8月28日(火)
初めてパスポートを申請した。


2001年9月5日(水)
アイちゃんと、ワーナーで「パール・ハーバー」を観た。ヒロインの心の移り変わりに違和感を感じて、もやもやした。でも、映画がヒットしていたので、そう感じるのは私だけなのかなと思ったが、後でネットでそのようなレビューを読んで納得して、やっぱり違和感は大切にすべきだなと思った。

アイちゃんと、マンハッタンでどこに行くか打ち合わせをした。ガイドブックか雑誌で、スタバのホワイトチョコレートモカを見て、2人ともとりこになって、絶対行こうと決めた以外は、その日はあんまり決まらなくて、それぞれ、どこに行きたいか考えておこうということになった。
私は、地球の歩き方を見ながら、ブロードウェイでミュージカルを観てみたいけど、英語が理解できるだろうか。絵を描くのが好きなので、メトロポリタン美術館やMoMAにも行きたい。高校生の時に『BANANA FISH』を読んではまったので、ニューヨーク市立図書館も行ってみたい。イチローがいるマリナーズと、ヤンキースの試合が観られないだろうか、とあれこれ考えた。

・カード使用可能額

2001年9月7日(金)
ゆうちょVISAセゾンカードで、旅行中に60,000円利用できる手続きをした。出国前にあらかじめ保留した額を、海外で使えるというシステムになっていた。

スーツケースは、父のを借りればよいと思っていたので、直前になって、母に出してもらった。思ったより古く、とても大きかったが、大は小を兼ねるだし、まあ使えればいいかと思った。
10日間の海外旅行に何を持っていけばよいのか分からず、半分は空になった。いつ着るのか分からないけど、とりあえずかわいいスカートも1着入れておいた。小さい英和辞典と、飛行機などで時間があるときに読んだりするかなと思って、『ライ麦畑で捕まえて』も持って行くことにした。

・9/10:出発~マンハッタン到着

2001年9月10日(月)
出発当日。
夏期休暇中の課題の生活指導論のレポートが締め切りだったので、徹夜で書き上げ、郵送で提出するため、封筒を持って出発した。
台風が接近しており、飛行機が飛ぶのか分からなかった。傘は機内に持ち込めるのか、家族に聞いてみたが、誰も分からなかった。家を出るとき、母が心配そうに、寂しい声で「帰っておいで」と言った。
父から借りたスーツケースは、キャスターが壊れていて、歩くとキュルキュル音が鳴り、まっすぐ進まなかった。
歩いて15分の最寄り駅に着き、駅前のポストにレポートを投函して、これで心おきなく夏休みが始まると思った。隣の駅に住んでいるアイちゃんと途中で合流して、一緒に成田空港に向かった。
空港で、母から電話があった。何かと思ったが、私はフライトや宿泊先を残してこなかったのだ。どうせ何も起きないのに、と思いながら口頭で伝えた。私は何も考えていない子だった。
空港では、約5,000円を40ドルに両替した。それから、バナナマフィンと、マロンのパンを食べた。私は、楽しみだけど、おそらくちょっと緊張もしていて、大好きなバナナとマロンを選んで元気づけたのだと思う。

ノースウェスト航空18便は、15時50分発の予定のところ、台風の影響で45分遅れて飛んだ。
私は飛行機に乗るのは、高校2年時に沖縄への修学旅行で初めて乗って以来で、長時間のフライトは初めてだった。座席ごとのモニターはない。私は機内食を楽しみにしていたが、味を楽しむものではなく、旅行の雰囲気を楽しむものだと分かった。
食事が終わると、窓のブラインドが下げられ、照明も落ちて暗くなり、とても静かだった。おしゃべりしたり、本を読んだり何か書いたり、あまり自由に過ごせる雰囲気ではないのだなと思った。飛行機がこんなに寒いとは知らず、毛布をかけてもずっと寒かった。エコノミーなので狭く、12時間のフライトは長く感じた。

ニューヨークでも、雷雨の影響で、30分遅れてジョン・F・ケネディ国際空港に着陸した。空港の公衆電話で、アイちゃんが日本の家族に、無事に到着したと連絡した。公衆電話の使い方が分からなくて、空港のスタッフに教えてもらった。
空港から、マンハッタンの真ん中あたりにあるQuality Hotelまで、シャトルバスを利用した。ドライバーの黒人男性のまつ毛が長くて美しくて、LANCOMEの広告みたいだねとアイちゃんと話した。シャトルバスは無料だと思っていたが、途中で別のスタッフに10ドルくらい集金されたうえ、ホテルの数ブロック手前で降ろされ、スーツケースを引いて歩かなくてはならなかった。

この時たしか、もう21時頃で、その日は、ホテルのそばのデリでサンドイッチを買って、部屋で食べることにした。私はハム、チーズ、レタスを選んで、目の前で大きなバゲットのサンドイッチを作ってもらった。店員さんは男性2人で、どこから来たの?などの簡単な英語が通じて、嬉しかった。日本の学校の机の上で勉強した英語が、本当に通じるんだなあと思った。
サンドイッチを買って、道でクライスラー・ビルを背に写真を撮っていたら、それを見てそばのカフェの店員と思しき男性が笑っていた。なんだか私たちも一緒になって笑ってしまった。

Quality Hotelは、マンハッタンの真ん中あたりに位置している。セントラル・パークの下の、ミッドタウンというエリアで、観光に便利な場所だ。
ホテルは、新しくはないが、ロビーはレンガの壁に、白と深緑のストライプのビンテージ調のソファが置いてあって、奥には、本棚にボルドーやネイビーの本がディスプレイされていて、落ち着いた雰囲気がした。
チェックインの時だったか、フロントでクレジットカードを提示したら、女性のスタッフがカードを見て少し驚いた表情をして、署名欄を指さして、サインするように言った。私は新しく作ったカードに、署名していなかったのだ。女性は、「もし私が勝手にサインして使ったら困るでしょう」と言ってくれた。恥ずかしいのと同時に、見ず知らずの私にこんなことを言ってもらえるなんてありがたいと思った。カードを最初に使った時に言ってもらえてよかった。

私たちの部屋は502号室だった。部屋は広くはないが狭すぎもせず、やはり新しくはないけど、小ぎれいな部屋だった。
サンドイッチを食べて、明日どこへ行くかアイちゃんと相談した。とりあえず、ニューヨークに来たら、自由の女神に行ってみたかった。自由の女神は、マンハッタンの先の、リバティ島という小さな島にある。地球の歩き方によると、自由の女神に行くフェリーはとても混雑するので、朝のうちに行ったほうがよいとのことだった。
私たちは、早起きして朝一番に自由の女神に行って、その後どうするかは、またその場で考えることにして、その日は就寝した。

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