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旅の記憶 ちひろの行き当たりばったり旅記録①

エストニア関連のNoteですが、時々Not時系列で私の旅の記憶を書き綴っていきたいと思います。

旅の記憶第1弾は、2017/12/14-15 セルビア、ベオグラードの警察にお世話になった話。

警察にお世話になった事はありますか?
私はパリの地下鉄でフランス語と英語を駆使して盛大にバトったくらいで(私の勝利だった)、当たり前ですが、基本ありません。

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まずセルビア、ベオグラードについて。
ユーゴスラビアの首都であり、今でも戦争の名残が色濃く残る町です。
街の中心部には空襲の跡、亡くなった人の顔写真、アメリカに抗議する横断幕…でもそんなものは無いかのように平和に過ごす人々。街はクリスマスのイルミネーションでキラキラしてる。
だけど、駅前にはシリアからの難民が大勢たむろし、バス停は歩けば物乞いに捕まる、そんな街。
ちなみにマックにはドリームパイという、ブルーベリーパイのソフトクリーム添えという大変素晴らしい物があったので日本でも早く販売してください。

夕方6時に着いて、翌日の10時半にはルーマニアに向けて出発というハードスケジュールの中、やられました。
iPhoneが無くなったのです。
その為、朝の9時に開いたと同時に保険を下ろすために事故証明書を取りに行きました。

警察の場所はホステルから歩いて20分。長距離バスターミナルと駅を抜け、大通り沿いだけど、人気は無く、廃墟だらけの中を歩きます。
明かりもほとんどなく、陰気で異質な建物の中に入り、

「iPhoneをすられたので、事故証明書をください」

受付でこう言ったら、連れてかれたのは難民登録所でした。ものすごい人の列。
みんな生きる場所を求めて並んでいました。
でも、私の目的は事故証明書。時間もない。もう一度伝えました。
そしたら奥の違う部屋に連れていかれました。

「ここは違うよ」

携帯をいじりながら話すおっさんに、じゃあどこなんだ?と英語で問い詰めると、

「あー僕は英語喋れないから翻訳機使って」

いやいや、あなた今の私の言った事わかってるし、むしろ英語喋ってるし、そもそも私iPhone無くしたって言ってるのに翻訳機も何もないんですけど!!!!

こういう時は強行突破です。
ものすごい勢いでブチ切れました。
ただすられたから事故証明書がほしいだけって言ってるでしょ?!あなた今英語喋ってたわよね?!本気で困ってるの、仕事しなさいよ!!!

奥から4人くらい出てきました。
この人達は英語話せないようで、ものすごい形相で話していたので、やばいキレすぎた、捕まるかも

って思ってたら、できるか交渉するからここで待ってなさいって部屋から追い出されました。
よかった、捕まらなくて。 (※絶対にまねしないでください!)

部屋の外で待ってる間にも、たくさんの人が出入りをしています。
難民登録に来た人、手錠をして鎖に繋がれた人。手錠をした人たちが普通に一般人の前にいるってどういう事よ。

そうこうしてるうちに10時になりました。
出発まで残り30分。

やっと呼ばれました。ベオグラード警察の1番奥の部屋。途中の階にはきっと囚人が暮らしているであろう部屋も見えました。

「iPhoneをすられたので、事故証明書をください」

そこにいた4人の人はみんなにこにこして、

「保険の為に必要なんだよねーすぐ作るから待っててねー」

なんだこの違い。
仕事をしてるのはある程度英語ができる1人のおじさん。
あとは初めて見る日本人に興味深々な様子。

「ねー日本ってどんな国なの?」

仕事をしてるおじさんを介して聞いてきます。
すられた場所を伝えるのは大変だったけど、それにもいちいち笑いが起きる。
なんだこの人達。

手続きは5分で終わり、無事解放されました。
事故証明書は間違いだらけで住所など、必要事項を確認するために紙に書いた事一つも合ってませんでした。タイピングくらい正確にやろうぜ(保険は無事おりました)。

帰り際にまた別の手錠をしたお兄さんたちにすれ違いました。入り口にはまだまだたくさんの難民がいる一方で、ドアの外では警察が警察犬を連れてにこにこ笑いあっていました。

最初に盛大に口論したのはなんだったんだ。

英語も通じない、まだ発展途上の貧しい国。
とりあえず警察に楯突いても捕まらなくてよかった、と思いながら横目でシリア難民の人たちを見ながら、さらに貧しい国々へと進んで行きました。

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ベオグラード自体は割と大きな街で、中心部の雰囲気はよく、街中でストリートのバンドがコンサートをしていたり、明るい街なのでまたぜひ行ってみたいと思っています。

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