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“無駄な時間“に誇りを持って生きよう

私は自分で社会不適合者だと自覚をしている。
それは社会に出ることができない、のではなく、社会に出て、正社員として、派遣社員として毎日同じ時間に出社をし、仕事をする事が苦手なのだ。
そして、人と約束をする事が苦手である。なぜなら体調を崩して当日急に行けなくなってしまう事が多くあるからだ。

私はPMDD(月経前不快気分障害)とパニック障害と診断されている。
特にPMDDは重く、生理前の鬱の症状は自分では制御する事ができない。全てを悪い方向に勝手に解釈して涙が出てくる、周りにいる全員が敵だと思う、歩いていてもすれ違った人全員に悪口を言われてると思う、そんな状況になる。
その為、仕事をしていて、全く問題がなくてもそう思ってしまうのだ。
そして、それがきっかけでパニック障害を発症した。どうしても混んでる電車に乗る事ができなくなった。
大好きなフィギュアスケートの試合中に酷い発作を起こした時にパニック障害だと気づく事ができた。割と早い時期に気づけた為、重症化はせずに済んだ。

そして、その後すぐに派遣先を辞めた。このままいても回復しないと思ったからだ。まだ春先のことだった。
派遣先の人がどうしても苦手だった。いい人達だったけど、打ち解ける事が1年経ってもできずにいた。
だから、後先考えずに辞めることにした。

とりあえず、全英に行くこととエストニアに行くことに重きを置いた。いや、それを目標に生きる事にした。

いうて、目標を立てたからといって何ができるわけでもない。動けるわけでもない。毎日起きて、家事をして、寝るという生活が続いた。時々接骨院に行った。とてもいい先生で身体の不調は治っていった。
自分が滑る事だけは辞めなかった。金銭面は多少苦労はしたけれど、スケートのチームのメンバーだけが当時の私にとって居場所だったのだ。
スケートがなかったら、きっと今の私は引きこもりになっていたであろうから、ここの居場所があることは救いだった。

1ヶ月半くらいして、やっと動けるようになり、貯金も尽きそうになった時に失業保険をもらいに行った。残り3ヶ月の金銭的猶予ができた。

6月、友達の結婚式ラッシュが続いた。当時の私は1日そういうところに出ると、体調が悪化し、1週間は動けなくなった。
体調の悪い時の趣味はポイントサイトでポイントを貯め、マイルを貯める事だった。この半年でおそらく40000マイルくらい貯めたのではないだろうか。

3ヶ月の猶予、といっても終わりは来る。
夏も終わりかけ、暑さが落ち着いてきた頃、ようやく先について考える事ができた。
2度とも体調不良がきっかけで会社を辞めている私にとって、普通に働くということはすでに考える事ができなかった。
正社員や派遣社員は無理だけど、お金が欲しい。そこまで考えられるようになった。酷い時はお金が欲しいとすら思えなかった。
そしてクラウドワークスに登録し、記事を書く事にした。最初は記事を書くだけでいろいろ思い出して発作が起きた。過呼吸や胸の痛みが抑えられなくなった。でも何度も繰り返す事によって、今ではちゃんと書けるようになった。

トンネルやバス、車などの閉鎖空間も苦手な私にとって、きっと飛行機は鬼門だろうと思っていたが、福岡での自分の試合にはどうしても出たく、頑張って乗る事にした。そして無事に帰ってくる事ができた。
そこで飛行機は大丈夫だという自信が着いた。
その後、飛行機内で一度発作を起こしたが、誰にも迷惑をかけずに済む事ができた。もう飛行機は大丈夫だ。

そこまでできるようになったところで、人がいないところでバイトをする事はできるだろうと考え、求人を探した。
そしたら家から1番近い、いつも暇そうな靴屋さんが募集をかけていた。すぐに応募し、そしてその場でバイトが決まった。
今でも土日勤務は混雑具合で発作を起こすことがあるから平日のみで働いているが、平日はフルタイムで大丈夫になった。

今でも渋谷と田園都市線は苦手だ。パニックを起こした記憶、苦手な記憶が多く残るからだ。
だけど、それもきっと大丈夫になっていくだろう。

そして、今こうして無事にエストニアに来ることができている。
半年間の趣味のおかげで飛行機代はマイルで、友達と一緒に暮らす事になったので宿代もとても安く済んでいる。

エストニアは開放感があって、静かでとても居心地がいい。音も苦手なので、人が少なくとても快適に過ごしている。もちろん会話も全くわからない、目線も合わない、でも優しい人が多い。いい国である。
PMDDやパニックの発作が治るかなとも期待していたが、そうはいかなかった。やはり生理前は鬱になるし、一回とても酷い発作が起きた。だがそれも自分の身体を考える上で一つ勉強になった。

私にとって、辞めてからバイトを始めるまでの時間は圧倒的に無駄な時間だ。いや、将来を考えたらもしかしたら前回ミラノから日本に帰ってきてからバイトを始めるまでの1年半かもしれない。
何もしていない時間。元々2月で派遣を辞めようと思っていたので、それまでの間続けていれば、金銭面では苦労することなく、しっかり稼ぐことができていたと思う。 だが、その先の未来は?と聞かれたら難しかったであろう。

この時間があったから今の私は変わりました、必要な時間だったんです、なんて思ってない。何にも変わってない。
でも無駄な時間があったから、今の私がある。無駄な時間は無駄でいい。

全ての時間を生産に使うといつかインプットもアウトプットも限界が来る。それができる人ももちろんいるが。

今、エストニアの私は意図的な無駄な時間を作っている。好きな音楽を聴きながら、ただ自然の中を、海沿いを歩く。それだけだ。それが何かにつながるわけでもない。けど好きな時間なのだ。

今でも体調が悪く起きられない日もある。
薬は毎日飲まないといけない。
1日中何もできない日もある。
でもそんな無駄な日があるから、明日からまた少しずつ頑張っていけるんだと思う。

もっと無駄な日々に誇りを持って生きよう。
無駄な日々があるから、普通の日が楽しくて、素晴らしい日がもっと輝かしくなるのだから。

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