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【エッセイ】夫の背中

この数日、脇腹に痛みを感じることがある。

かがむ、手を上げる、後ろを向く、など体をちょっと動かした時にギューッと痛む。
それで今朝は、ベッドの上で脇腹を押さえてみた。少し痛いが、飛び上がるほどではない。
私は、いつもやっている簡単なストレッチをやってみた。片方の膝を曲げて胸に近づけ、そのまま右へやって上半身を捻じってみる。
痛くない。同じように左もやり、もう一方の足もやってみた、が痛くない。
今度は、足を伸ばしてやってみた。
「イテテ」
両方の脇腹がとても痛かった。病気と言うより、筋肉痛のような感じがする。だけど、何で脇腹を痛めたのかさっぱりわからない。
私は目を閉じて、この数日間の動きを朝から晩まで丁寧に振り返ってみた。ふと、日課のストレッチにヨガの「肩立ちのポーズ」と「鋤のポーズ」を加えていたのを思い出した。
肩立ちのポーズは、あおむけに寝て背中を両手で支え、足を天井に向けて真っすぐ持ち上げる。鍬のポーズは持ち上げた足をそのまま頭の方へ倒していく。
きっと私の足と尻を支えるために、脇腹は無理をしていたのだろう。
私は生まれつきの低血圧で、普段から体のだるさを感じている。
それで足を上げたら、汚れた血が勢いよく心臓に戻って体がシャキッとするんだけど、なんてよく考える。
ある朝、あのヨガのポーズが頭に浮かんだので、やってみたのだ。

そう言えば5,6年前にも似たようなことをやった。
その時は、血の巡りを良くするために逆立ちをしてみよう、と思いたった。
リビングで両手をついて壁めがけて足を振り上げる。
気持ちとは裏腹に、私の足は尻の高さほども上がらなかった。
この時、体が逆さまになることがとても恐ろしい、という事にも気がついた。
だからと言って簡単に諦める気にはならなかった。
下半身に溜まった血液が心臓に戻り、きれいになって頭に上るのを想像するだけで肩こりが和らぐ気がした。
私は、座布団を持ってきてその上に頭を置いてやってみた。やっぱりダメだった。
きっといい方法があるはずだ、ともがく私に妙案が浮かぶ。

私は長男の帰りを待った。
夕方になり、帰ってきた息子をリビングに連れてきて、「私を逆さまに吊り上げほしい」と言ってみた。
「何がしたいん?」と息子が聞いてくれたのですかさず、
「あんたの肩から私をぶら下げてほしいねん!」
「鉄棒のコウモリみたいに‼」
とまくしたてた。
息子は183センチの長身だ。彼ならやれる。
息子の肩を鉄棒に見立て、私の両足を引っ掛けて背中で背負ってもらうのだ。
すぐに、私はあおむけに寝て、両足を垂直に上げた。
息子は、「こうか?」と言いながら私の両足に背中を向けてしゃがみ、自分の両肩に私の膝を折り曲げて引っ掛け、ゆっくり立ち上がってくれた。
思った通り、私の体は吊り下げられた。鉄棒のコウモリみたいだ。
私は両腕をだらりと下げた。瞼、頬、唇も地面に引っ張られるようにだらりと落ちる。
「イテテテ」
息子の細い肩に、私のふくらはぎが食い込んでツボを刺激した。
「肩にタオル掛けてやってみよ」
息子が乗ってきた。
「面白そうな事やってるな」
いつのまにか夫が帰っていた。
「俺にやらせて」
そう言う夫は、もう背を向けてしゃがんでいる。
私は寝転んで、夫の肩に両ひざを折り曲げて引っ掛けた。夫は私の膝に両手を置いてゆっくり立ち上がった。
私は再び、鉄棒のコウモリみたいに吊り下がった。
「どうや?」
夫の声に、私は「痛くない!大丈夫やわ」と答えた。
息子より広い夫の肩は、いい具合にクッションの役割をしてくれる。
私は、夫のどっしりと大きくて少し汗ばんだ背中に、しばらく体を預け目を閉じた。
「いつでもやったるで」
夫はそう言って、ゆっくり私を下ろし洗面所に消えていった。
私は起き上がって、夕飯の準備をするため台所に行った。
冷蔵庫から取り出した豚こま肉が、心なしか瑞々しく見える。

風呂場の方から、鼻歌を歌う夫の声が聞こえてきた。


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