【『ゆるゆると生きる』絵本】1話:『出会いは痛みとともに』
1.【絵本本編】
ここは天界と人間界の間の世界。
空界と呼ばれる、
空島の中のゆるゆる島。
その島に元気な声が響き渡ります。
う~たん:『なぎ、なぎ! 今日はこんなに苺が採れたの。だから、あげる』
渚:『わぁ、すごい! 分けてくれてありがとう、う~たん』
ハリィ:『ちょっと、待ちな! 苺は火で燃やすのが人間界のブームなんだぜ。だから、おいらが火で……』
りりぃ:『は~い、はい。ハリィはあっちでお芋でも焼いていてね』
ハリィ:『ちょっ、りりぃ! おいらを除け者にすんなよ!!』
にぎやかな雰囲気で、
みんなが好きなことを口にしているよう。
渚:『でも、人間界で苺を焼くのが流行ってたっけ?』
おかめさん:『たぶん、ハリィは苺飴のことを言っているのよ。串で刺してあるのを見て、火で燃やすものと勘違いしたんじゃないかしら』
ピヨのすけ:『ピヨのすけも、苺飴、食べたい!』
りりぃ:『いいわね! じゃあ、ハリィ。お鍋をお願いね』
ハリィ:『は? 何で、おいらが? ……へい、へ~い。分かったよ』
ハリィは
ちょっとだけ不満そうにお鍋を取りに行きました。
渚:『……』
おかめさん:『あらあら、なぎちゃん。どうしたの?』
ピヨのすけ:『お腹空いたの? 苺飴できるまで待てない??』
う~たん:『それは大変だ! なぎ、苺は生でも美味しいから、どんどん食べて』
りりぃ:『いきなり苺をなぎの口につっこんだらダメよ!』
う~たんが渚の口に苺を詰め込もうとし、
りりぃがそれを必死で止める中、
渚の目からぽろりと涙がこぼれます。
渚の、その涙の理由を、
う~たんたちは知りません。
だから、誰もが大慌て。
渚:『……ごめん。大丈夫。お腹が空いたわけじゃないの。ただ、ここは温かいなって』
う~たん:『うん、うん。ゆるゆる島はいつでも暖かいからね』
りりぃ:『う~たん、そういうことじゃないのよ』
う~たん:『じゃあ、どういうこと?』
りりぃ:『……もう、しょうがないなぁ』
りりぃがう~たんに事情を説明しようとする中で、
おかめさんとピヨのすけが渚の涙を拭いてくれます。
ピヨのすけ:『なぎ、ピヨのすけで、涙、拭く?』
渚:『え? でも、それじゃあ、ピヨのすけが濡れちゃうよ?』
ピヨのすけ:『大丈夫~。太陽さんがピヨのすけの羽毛をすぐに乾かしてくれるの~』
おかめさん:『ふふふ。優しさはそのまま受け取ってあげて、なぎちゃん』
渚:『おかめさん。……はい、そうします』
渚はピヨのすけの羽毛で涙を拭きながら、
辺りを見回します。
りりぃは
一生懸命にう~たんに説明をし続けています。
遠くからは、
お鍋を背負ってこちらへ帰ってくるハリィの姿も……。
ほんの数ヶ月前は地獄の中を生きていた渚。
まさか、
こんな穏やかな日が来るなんて、
思いもしませんでした。
渚:『本当に、夢みたい』
渚はそうつぶやいた後、
今から数ヶ月前の出来事に思いをはせました。
―☆―
多古田部長:『佐藤! お前、この書類は何なんだ!!』
オフィスに、
多古田部長の怒声が響き渡っています。
その声に渚は身体を縮こまらせながら、
部長のディスクに向かいます。
渚:『……あの、すみません』
この言葉を何度言ってきたのでしょう。
誰に言われたわけでもないのに、
そして、
自分が悪いのか判断する前に、
渚の口からはするりと謝罪の言葉が出てくるのです。
多古田部長:『何で、先月の売り上げより今月の売り上げが上がっていないんだ! この書類、間違ってるだろう、絶対』
渚:『いえ、合っているはずです。これは営業部からもらった書類と実際の入金分なども含めた実績を考慮した上での数字で……』
多古田部長:『そんなはずはない! もう一度、営業部に確認してこい!』
渚:『えっと、営業部とのやり取りは九条さんが担当で……』
九条:『えぇ、それ、遠回しにわたしが悪いって言ってますぅ? 佐藤先輩、わたし、営業部の書類をもらってきて、先輩に渡しただけなんですけどぉ?』
本当は、
営業部の書類が正しいかどうかを確認するのは、
渚の後輩である九条琴音の仕事なのです。
しかし、
琴音はそれを渚に押し付け、
いつもとっとと定時で帰ってしまうのでした。
多古田部長長:『佐藤、後輩に責任を押し付けるな! すべては九条の教育係のお前の責任だろう? それを他人のせいにするんじゃない!!』
渚:『……申し訳ありません。営業部へすぐに確認してきます』
渚が肩を落としてオフィスを出ていく中で、それを見て、琴音がひっそりとぺろりと舌を出しました。
渚:(営業部の書類はちゃんと確認したよね?
でも、
この不景気で営業部の成績自体が落ちてるのは事実。
営業の河野部長にも、そこは確認済みだったし。
……九条さんは河野部長が苦手で、
書類をもらうのを嫌がってた。
だから、
営業部の男性社員に頼んで作ってもらってたけど、
その書類は間違いだらけで、結局わたしが直しただよね。
河野部長は九条さんのやったことにため息をついてたな。
でも、
多古田部長の怒りを収めるには、
……また、いろいろ河野部長にお願いしなきゃいけないし……。
はぁ、気が重いなぁ)』
渚は
とぼとぼと営業部へ続く道を歩き出しました。
そのとき、
渚の携帯電話がぶるりと震えました。
どうやら、メールが来たようです。
差出人は
渚の恋人である宇和木室雄。
彼は渚の大学の先輩。
同じサークルにいて、仲良くなったのがきっかけです。
宇和木:【今日は仕事が忙しくて、そっちに行けなくなった。だから、またな】
渚:『えっ?』
渚はメールの文面に思わず、声を出します。
はっと辺りを見回しましたが、
幸い誰もいませんでした。
渚:『(この前、デミグラスソースのオムライスが食べたいって言っていたから、今日に合わせていっぱい練習したのに……。)』
それどころか、
渚の冷蔵庫には
オムライスの材料がパンパンに詰まっています。
勿論、
最近のご飯は試作しているオムライス。
それが続く毎日が
ようやく今日で終わるはずだったのに、
宗雄は急に来ないと言い出したのです。
渚:『はぁ……』
渚はさらに重い足取りで、営業部へと向かっていくのでした。
―☆―
渚がアパートに帰る頃には、
辺りはすっかり真っ暗になっていました。
今日は新月なので月もなく、
それが余計に渚の暗い気持ちに影を落としていきます。
渚がアパートの鍵を開けた瞬間、
携帯が急に鳴り出します。
画面の表示は『お母さん』。
渚の母にして、渚の頭をさらに悩ませる一人です。
佐藤縄子:『渚、あんた、ちゃんとご飯食べてるの?』
電話に出ると、
母のキンキンとした高い声が鼓膜を刺激します。
それだけで、
渚の頭は痛みを訴えるのです。
渚:『うん、まぁ』
佐藤縄子:『あら、なんだかはっきりしない答えねぇ』
渚:『ちゃ、ちゃんと食べてるって。……で、今日は何?』
内容に心当たりはありますが、
ここはあえて先を促す渚。
電話口の母は、
ふぅっとため息をつきます。
佐藤縄子:『何? その冷たい態度。あたしはあんたのことを心配して電話してあげてるのよ? もう少し、そこに感謝してもらいたいもんだわ』
渚:『感謝してるよ、いつも』
佐藤縄子:『あんたのは心がこもってないのよねぇ。もうちょっと目上の人に対する尊敬を持ちなさい』
渚:『……』
渚の母はいつもそうです。
どんなに渚がその要求に応えようとしても、
いつも決して認めてはくれないのです。
佐藤縄子:『あ、で、そうそう。あんたと話してたら要件を忘れるところだったじゃない。……あんた、いつ結婚するの?』
渚:『えっと、……』
渚の心当たりが的中しました。
そして、
それはあまり触れてほしくない話題でもあります。
結婚をするなら、
今付き合っている室雄なのでしょう。
けれど、
彼はのらりくらりとしていて、
渚には彼の本心が見えないのです。
佐藤縄子:『わたしがあんたくらいの年齢にはもう結婚してたのよ? 純はもうすぐ赤ちゃんが生まれるっていうのに。あんた、彼氏がいるんだから、とっとと結婚して、お母さんを安心させなさいよ』
渚:『……う、う~ん。どうだろう』
純とは渚の4つ年上の姉です。
純は母親の希望通りに25歳で結婚し、
順調に子どもを出産したのです。
母親の希望の星であり、
渚にとっては自慢の姉であり、
かつ、
コンプレックスの一番の種でした。
佐藤縄子:『もう、何なの、その返事は!? もう、まどろっこしいから、今度今の彼氏をうちに連れてきなさいよ? じゃあ、またね!』
電話は一方的に切れました。
『あんたのことを心配してあげてるのよ?』
『もうちょっと目上の人に対する尊敬を持ちなさい』
『お母さんを安心させなさいよ』
母の言葉が渚の心に突き刺さります。
いつも姉と比べられ、
『あんたは全然できてない』と何度言われてきたでしょうか。
『佐藤! 後輩に責任を押し付けるな!』
『えぇ、それ、遠回しにわたしが悪いって言ってますぅ?』
多古田部長や九条琴音の声も、渚の心に重くのしかかってきました。
【今日は仕事が忙しくて、そっちに行けなくなった。だから、またな】
宇和木室雄のそっけないメールの文字が、渚の頭をぐるぐると回り始めたとき、渚の身体の中で、
ぱきり、
という音が響き渡りました。
それが何なのか。
渚には分かりません。
けれど、
その音を聞いた瞬間、
渚は持っていた通勤バックをぽとりと落とし、
その場に崩れ落ちました。
渚:『(わたしは何のために生きているの? どうして、みんなは好き勝手なことをわたしに言うの? いつまで、これは続くの?)』
崩れ落ちた目線の先にあるフローリングに、
ぽたり、と雫が落ちていきます。
ぽたり、ぽたり、ぽたり。
その雫は止まる気配がありません。
身体は疲れ、心は重く、
全身全霊で悲しみを訴えています。
この先、どうすればいいのでしょうか?
渚はこのままの状態で生き抜いていけるのでしょうか?
もし、生き抜いていけたとして、
それは渚にとって、どんな意味をもつのでしょうか?
〇〇〇?:『…………たいの?』
渚:『……???』
涙を流す渚の耳に、誰かの声がふわりと届きます。
けれど、
そんなはずはありません。
ここは渚の一人暮らしのアパートの中。
彼氏である宇和木室雄は今日の約束をドタキャンし、
誰かが来る予定もありません。
勿論、
宅急便屋さんでもなさそうですが……?
〇〇〇?:『あなたはどんな風に生きたいの?』
今度ははっきりとその声が聞き取れました。
鈴が鳴るような、
大人なのか、子どもなのか、分からないような声です。
けれど、
恐ろしい感じはしません。
大混乱する渚でしたが、
何故かそのとき、無意識にこう答えていました。
渚:『……もし、許されるなら、自分らしく、ゆるゆると生きたい』
いつもの渚だったら、そんな怪しい声には絶対に答えません。
しかし、
今日はどうしたことでしょう?
何故か、
この声が救いの声に聞こえたのです。
〇〇〇?:『分かったよ。だったら、楽しみに待ってて!』
渚:『……????』
渚はぽかんと口を開けたまま、しばらくその場で固まっていました。
ですが、
それ以上、その不思議な声は聞こえません。
どうやら、
疲れていたのでしょう。
今日はいろいろと不運が重なり続けたのです。
神経がすり減り過ぎて、
幻聴でも聞いたかもしれません。
渚はため息をつくと、
通勤かばんをそのまま床に放置し、ベッドへと倒れこみます。
メイクもそのままです。
ですが、
もうここまできたら、
何もかもがどうでもいいではありませんか。
仕事では、
自分の責任じゃないことで責められ、
嫌な仕事を押し付けられ、
彼氏にはそっけない態度を取られ、
親には結婚を迫られ……。
渚の人生は
いったい誰のものなのでしょうか……?
渚:『もう、どうだっていいや』
そうつぶやいた瞬間、渚は夢の世界へと誘われていきました。
―☆―
〇〇〇?:『…ぎさ、渚! 起きて~』
渚:『……んぅ?』
渚が重たい目を開くと、
一瞬だけ何かが
自分をのぞき込んでいる姿が見えました。
けれど、
それはほんの一瞬。
記憶に残る前に、
その姿は跡形もなく消え去っていきました。
渚:『……??』
渚が首をひねったとき、辺りの異常に気がつきます。
辺りは真っ暗で、
渚がいるところだけ、わずかに光っているのみ。
渚はアパートの一室にいたはずですが、
ここはどこなのでしょうか。
風も吹いていなければ、
何の音も聞こえません。
ただ、何となく、
こころの奥底から震え上がってくるような恐怖を感じます。
渚:『ここ、どこ?』
渚は心細くなって、立ち上がりました。
誰かを求めて視線を送りますが、
誰の返事もありません。
辺りは暗闇が広がっているだけ。
どうして
自分はここにいるのか。
その訳は分かりません。
ですが、
自分がピンチにおちいっていることだけは確かなようです。
渚の目に不安から涙が滲んできた、
ちょうど、そのときです。
〇〇〇〇:『うわぁ~~~~』
上の方から、叫び声が聞こえます。
渚:『……えっ?』
渚が声のする方へ顔を上げた瞬間、
頭に今まで受けたことのない衝撃が走りました。
渚:『……っいった~い』
涙が出るほどの痛みに、
渚は頭を抱えてうずくまります。
〇〇〇〇:『うぅ、痛いなぁ。……もう、約束はしたけど、もうちょっとゆっくり下ろしてくれてもいいのに』
痛みを訴えているわりには、
のんきなゆったりとした声。
渚の頭にあたった、その何かは、
……相当な石頭なのかもしれません。
〇〇〇〇:『ん? あれ? もしかして、僕にあたっちゃったのは君かな? 大丈夫??』
渚はその声の方へと顔を上げました。
目の前には
きょとんとした目をしたうさぎさんが、
渚をのぞき込んでいました。
〇〇〇〇:『あ、めちゃくちゃ痛かったんだ! ごめんね! 僕、石頭みたいで、りりぃにもよく怒られるんだぁ。りりぃにもたれかかった拍子に頭突きをしちゃってさ。……“あなたの頭が固すぎて、めちゃくちゃ痛くて嫌なの!” って』
目の前でのんきにしゃべり続けるうさぎさんを見て、
渚は言葉を失います。
なんというか、
どこから突っ込んでいいのでしょう。
いえ、
そもそも、
うさぎは
人間の言葉をしゃべることができる生き物だったでしょうか?
その上、
二足歩行をして渚に近寄ってきています。
人への警戒心がない様子を見ると、
もしかして、
誰かに飼われているペットなのかもしれません。
けれど、
ここまで人間の言葉を流ちょうにしゃべって二足歩行するうさぎなら、
一躍有名になって、
ネットニュースに取り上げられていそうですが……??
渚:『……っ』
大混乱する渚の頭の、
一番を占めているのは痛みです。
言葉を発する前に、
渚の目から大粒の涙が零れ落ちました。
それを見た、
人の言葉をしゃべる不思議なうさぎさんは大慌てです。
〇〇〇〇:『あぁ、そうだよね、そうだよね! すっごく痛かったよねぇ。本当にごめんねぇ。……えぇっと、…………そうだ! 僕のとっておきの苺をあげるよ。だから、許して?』
うさぎさんはどこから取り出したのか、
両手でようやく抱えられそうな大きな苺を3つ、
渚の目の前に置きました。
うさぎ界では
このサイズが普通なのでしょうか?
とても食べきれないサイズの苺の出現に渚は言葉を失います。
けれど、
生理現象としての涙は止まりません。
〇〇〇〇:『うぅ~、本当にごめんねぇ。……あぁ、こういうときにりりぃがいてくれたら、君の手当てをしてくれるんだけど……』
うさぎさんはそういいながら、
あたふたと渚の周りをせわしなく動き回ります。
不思議なうさぎさんですが、
見ず知らずの渚をここまで心配してくれるなら、
怪しい人…うさぎではなさそうです。
それに、
ここ最近、周りに冷たくされてきた渚にとっては、
人ではないうさぎさんからの優しさが
より一層心に染みます。
〇〇〇〇:『も~う~、約束はちゃんと果たすから、りりぃもこっちにつれてきてよ! ねぇ、かみさま~~!!!!』
どうやら、うさぎさん。
今度は神頼みに走ったようです。
これも、
どこから取り出したか分からない、小さな水晶に向かって
しきりに話しかけています。
……その水晶はご神体なのでしょうか?
いえ、
そもそも、うさぎにも神様を拝む習慣があるのでしょうか?
その生態は不明です。
そうやってあたふたするうさぎさんを見て、
渚の口元がふっと弧を描きました。
〇〇〇〇:『あ、……良かった。笑ってくれた……。あの、本当にごめんね。大丈夫? 近くに川があるかは分からないけど、頭を冷やすものを一緒に探しに行こうか?』
うさぎさんはそういいながら、
茶色の毛でおおわれた手を渚へ差し出します。
渚は
無言でその手を見つめ、
そして、
その手を取りました。
しっかりと血の通った、あたたかい手。
人と違うのは、毛並みのせいでしょうか。
触れた部分がちょっとごわごわしています。
けれど、
その手のぬくもりが、渚の冷えきった心を癒してくれます。
〇〇〇〇:『じゃあ、行こう』
渚:『……うん』
この暗闇の中で、
川が発見できるのか。
この先のできごとはまったくわかりませんが、
渚のこころは妙に落ち着いてきました。
突然出会ったこのうさぎさんが
妙に愛嬌があったからでしょうか?
〇〇〇〇:『ねぇ、君の名前は?』
渚:『佐藤渚』
〇〇〇〇:『さとうなぎさ? 長い名前だね』
うさぎ界では
6文字の名前は長いと感じるようです。
いいえ。
そもそも名字というのが存在しないのでしょう。
渚:『あ、名前だけなら“なぎさ”だよ』
〇〇〇〇:『名前だけなら……? まぁ、いいや。僕はう~たんっていうんだよ』
渚:『う~たん?』
う~たん:『そう、う~たん。なぎさかぁ。じゃあ、なぎでいい?』
渚:『うん、いいよ』
う~たんにとっては、
“なぎさ”という3文字も長かったよう。
なぎ、なぎ……とつぶやくう~たんを見て、
渚の口元がほころんできました。
それから、
渚とう~たんは他愛もない話をしながら、
暗闇の中を歩き出しました。
けれど、
川や頭を冷やすモノは
なかなか見つかりません。
う~たん:『う~ん。何もないねぇ』
渚:『うん、そうだね』
一人と一匹はその場にぺたりと座り込みました。
ちょっと歩きすぎたようです。
けれど、
暗闇の中なので、
自分たちがどれほど歩いたのか。
そこがよく分からなかったのです。
渚:『運動不足かなぁ。毎日机に向かって座るだけの生活してるから、体力落ちたかも』
大学時代の渚はテニスサークルに入っていました。
だから、体力には自信があったのです。
ですが、
社会人3年目の今はオフィスワークにより、
体力が弱ってしまったようです。
渚の言葉を聞いて、
う~たんは驚いたように目を見開きます。
う~たん:『えぇ! 人の世界って、そんな辛いことをさせられるの?! なぎはそんな罰を受けなきゃいけないくらい、悪いことしちゃったの??』
渚:『……辛い? 罰?』
う~たんのうろたえ具合を見て、渚は首を傾げます。
ただ、よくよく考えてみれば、
うさぎ界に机に向かって座る文化はないでしょう。
一日中、机に縛り付けられるのは、
苦行以外の何ものでもないようです。
渚:『えっと、人の世界では大人になったら普通のことなの』
う~たん:『人って大人になったら、罰を受けるのが普通? それだったら、僕、一生大人にならなくていい!』
渚:『……うぅ~ん、とぉ』
文化の違いを感じるとき、
人はそれをカルチャーショックと言います。
しかし、
そこには種族の違いも含まれるのでしょうか?
人間界のアレコレがまったくわからない うさぎのう~たんに、
渚は丁寧に説明しました。
人は生まれてから少し成長すると“学校”というところで学び、
大人になったら“会社”というところで、
基本的には机の上でできる仕事をするのだと。
渚:『まぁ、机に向かって座り続けるって言っても、別の場所にいる人に会いに行ったり、“出張”って言って、少し遠い場所に仕事をしに行ったりすることもあるから』
う~たん:『ふ~ん。でもさ。やっぱりじっとしているのは僕は嫌だよ。それより、苺を採ったり、りりぃとおしゃべりしたり、ハリィにお芋を焼いてもらったりする方が絶対いいもん』
う~たんの言葉を聞いて、
渚のこころがチクリと傷みました。
何故だかは分かりませんが、
どろどろとした感情も同時にわいてきます。
渚:『う~たんにはそれでよくても、わたしはそこで生きるしかないの』
思いのほか硬く冷たい響きを持った声に、渚自身が驚きます。
ただ、
何故か、声がとがってしまうのを止められません。
渚:『わたしだって、もっとのびのびと仕事したいし、言いたいこと言いたいし、やりたいことやりたいのに……』
う~たん:『……のに?』
う~たんは
渚の顔を覗き込みます。
そこには
何かを必死に我慢している彼女の顔が浮かび上がってきます。
その顔が
う~たんの黒い瞳ごしに渚自身にも見えました。
渚:『……なのに、何でみんな、自分勝手なの?! 多古田部長は人の話聞かないし、九条さんは自分の仕事を私に押しつけてくるし、河野部長は怖いし。室雄はわがまま放題で……。お母さんはいつもわたしにプレッシャーをかけてくるし。わたしって、一体何のために生きてるの…………?』
渚がうつむいた拍子に、
地面に雫が落ちました。
その雫はどんどん増えていき、
やがて雨のように後から後からと地面へ降り注ぎます。
その様子を、
う~たんは黙って見ていました。
しばらくすると、
彼はそっと渚の震える手をぎゅっと握りしめました。
渚:『……?』
う~たん:『ねぇ、なぎ』
渚:『……何?』
う~たん:『そのタコさんやクジャクさん、それから、コウノトリさんとモロ? さんだっけ? その人たちの言うことをなぎはどうしてきくの?』
渚:『それは、仕事だったり、恋人だったり……するから』
う~たん:『仕事や恋人はなぎにとっては大切なものなの?』
渚:『…………そうだね、大切……だと思う』
う~たんの聞きたいことが分からず、
渚は少し困った顔になります。
う~たんはしばらくあごに手をやると、
一拍置いて、こう言いました。
う~たん:『でもね。なぎより大切なものは、なぎの人生にはないんじゃないかなと僕は思うの』
渚:『えっ?』
う~たん:『だからね。その、タコさんやクジャクさんや、……えぇっと誰だっけ? まぁ、いいや。ともかく、その仕事や恋人が大切なのは素敵なことだけどさ。なぎの人生はなぎだけのものでしょう? なぎだけが歩める道のはずなのに、どうしてその人たちはなぎの道を邪魔することができるの?』
渚:『えぇっと、……う~ん』
う~たんの純粋なまなざしが、
今の渚にはまぶしすぎました。
人の世界の当たり前を
彼にどう説明したらいいのでしょうか?
う~たん:『もっと言ったらさ。その人たちの言うことを聞かないと、なぎは明日にでも死んじゃうの?』
渚:『死ぬ?! それは、ないんじゃないかな?』
う~たん:『じゃあ、その人たちの言うことを聞かなかったら、人の世界はすぐにでも終わっちゃうのかな?』
渚:『…………。……終わらない』
渚は、
う~たんの言いたいことが徐々に分かってきました。
分かってはきましたが、
渚の中にはない考えで、上手く言葉で表現できません。
う~たん:『りりぃが言ってたの。自分を大切にしていないと、涙が出てくるんだって。自分をいじめないでって、自分に教えてくれるって。なぎがさっき泣いてたのは、そういう涙なんじゃない?』
渚:『……』
その言葉が
渚の胸にすっと刻まれました。
それを
拒みたい気持ちと受け入れたい気持ち。
それがせめぎ合って、
こころの中で暴れています。
そのとき、
すっと暗闇に光が射してきました。
その光はまるで、
う~たんの言葉を後押ししているようでした。
う~たん:『頭はもう痛くない?』
渚:『……うん』
う~たん:『こころは?』
渚:『…………すごく、……いた……い』
渚の瞳から
涙がさらにあふれてくるのを、
う~たんは
手で優しく拭いてあげました。
う~たん:『じゃあ、もっと自分を大切にしないとね。りりぃはおしゃれしたり、美味しいモノ食べたり、……あとは我慢せずに言いたいことを僕に言って、しょっちゅう怒ってるよ? 小さい火山の噴火みたいで、すっごくおもしろいの!』
あはは、とう~たんは笑います。
渚:『(そのりりぃって子がちょっとかわいそう)』
渚は
会ったこともない『りりぃ』という子に同情しました。
彼女の怒りの理由が
う~たんにはほとんど伝わっていないことでしょうから。
渚:『……わたし、もうちょっとがんばってみる』
う~たん:『ううん、違うよ』
渚:『?』
う~たん:『なぎはもう充分がんばってきたよ。だから、今度からは自分を大切にして、ゆるゆると生きていけばいいよ。なぎの好きなようにね。だから、もう大丈夫。大丈夫だよ?』
渚:『……もし、許されるなら、自分らしく、ゆるゆると生きたい』
不思議な声に応えた渚自身の声とう~たんの声が
重なります。
う~たんは
そう言い終わると、渚の頭をぽんぽんと撫でました。
その感触が妙に温かくて、
渚は
そのままう~たんに抱きついてしばらく泣き続けました。
う~たんが
『大丈夫、大丈夫』と繰り返す中、
遠くで、ちりりん、と小さく鈴の音が鳴っていたのを、
渚は意識が遠くなる中で記憶に刻みます。
-☆-
ジリリリリッ。
目覚ましの音がします。
チュンチュン。
スズメの声もしてきました。
渚は目を覚ますと、
いつものアパートの部屋が視界に入ってきます。
昨日の夢は
ずいぶんとファンタジーにあふれていました。
けれど、
それでいて、妙に現実帯びた夢。
天真爛漫で、
けれど、妙に悟ったうさぎさんにも会いましたしね。
渚は深く息を吐くと、目覚ましを止めます。
そして、
時計の時刻を見ました。
渚:『……た、大変! 遅刻しちゃう!!』
バタバタと準備をする渚を、
窓から誰かがじっと見ていました。
それに
彼女が気づくことはありません。
―☆―
河野部長:『大丈夫か?』
渚:『え? 何がでしょうか?』
河野部長:『君が遅刻するなんて、めずらしいからな。体調が悪いなら、無理せず帰るといい』
渚:『……はぁ、すみません』
結局、
渚は会社に遅刻しました。
遅刻した部分を後から有休休暇扱いにし、
ひやひやしながら仕事を開始したのです。
多古田部長や琴音からは
冷たい視線をもらいましたが、
周囲の人からは
随分と心配されました。
『そのまま出社拒否すれば、
あの人たちも佐藤さんの大切さに気付くよ』
と言ってきた人もいました。
……嘘か本気かは分かりませんが。
…入社以来、はじめての遅刻。
それなのに、
頭はどこかすっきりしています。
そんな、
表現しがたい不思議な気持ちの渚なので、
河野部長の心配のまなざしに
どう答えていいのか分かりません。
河野部長:『それで、この書類の直しなんだが。そもそも、これは九条さんの仕事だろう? 何故、佐藤さんがやる必要があるんだ?』
渚:『そうですよね。……そう、なんですよね』
渚は
河野部長の言葉に思わずうなずきました。
うなずいてから、
自分の失態に気づきました。
確かに、
これは琴音の仕事です。
けれど、
多古田部長はこれを渚に『やれ』と言ったのです。
河野部長のこの話がこのまま進むと、
琴音にこの仕事を返さないといけなくなります。
そうすると、
多古田部長には怒られ、
琴音には嫌味をさらに言われるでしょう。
それは避けなくてはならない未来です。
う~たん:『じゃあ、もっと自分を大切にしないとね。りりぃはおしゃれしたり、美味しいモノ食べたり、……あとは我慢せずに言いたいことを僕に言って、しょっちゅう怒ってるよ』
頭がこの先のトラブルを弾き出して、
ぐぐっと早回りした瞬間、
夢で
あのうさぎさんが言っていた言葉がよみがえります。
う~たん:『その人たちの言うことを聞かないと、なぎは明日にでも死んじゃうの?』
う~たん:『その人たちの言うことを聞かなかったら、人の世界は終わっちゃうのかな?』
う~たんの澄んだ瞳が
渚をまっすぐに見つめています。
う~たん:『頭はもう痛くない?』
う~たん:『こころは?』
渚:『……こころが……痛い』
河野部長:『ん? 何か言ったか?』
渚:『えっ? あ、いいえ』
う~たん:『なぎはもう充分がんばってきたよ。だから、今度からは自分を大切にして、ゆるゆると生きていけばいいよ。なぎの好きなようにね』
このまま、
いつものように琴音の尻拭いをし、
多古田部長の言うとおりにするのは
簡単です。
けれど、
それでは
今までと同じことを繰り返すだけです。
う~たんと交わした会話の意味が
じわりと渚のこころに浸透していきます。
自分の思いを言葉に出すのが
苦手な渚。
いつも人に言いくるめられてしまう、
情けない自分。
それでも、
それが嫌なら何かを変えなければならない。
いえ、
変わっていきたいのです。
渚:『……河野部長!』
河野部長:『っ、あ、あぁ。何だ?』
渚の勢いに
ちょっと蹴落とされ気味の河野部長。
けれど、
彼は渚の方に身体を向けます。
渚:『この仕事、やっぱり九条さんにやってもらおうと思うんです。彼女も、もうすぐ入社して1年になりますし、わたしはもうすぐ経理部3年目が終わります。となれば、来年度は異動の可能性が高くなるでしょう。その中で、彼女に自分の仕事を最後までさせないのはよくない気がするんです……けど、どう思われますか?』
渚ののどがごくりと鳴ります。
勢いでしゃべり始めたのですが、
最後の最後で
ちょっとしりすぼみになってしまいました。
渚が河野部長の顔を見ると、
彼は真剣に渚の方を見ています。
どうやら
渚の話に腹を立ててはいないようです。
いろんな人に恐れられている彼は、
よくよく考えると、
人の話はちゃんと聞いてくれる人でした。
多古田部長は人の話を遮るのに、
河野部長は
どんなに渚がたどたどとした喋りでも、
決して怒らず、
最後まで意見を聞いてくれるのです。
渚:『(河野部長って、冷たく感じるだけで、案外優しいの……かも?)』
ふと渚の口元がゆるんだとき、
河野部長が口を開きました。
河野部長:『私も大賛成だ。というか、ようやく君の口からその言葉がきけて嬉しいよ。君は自分で責任を負い過ぎて、危なかしく見えていたからな』
渚:『……すみません』
河野部長:『ほら、それもだ。私は君を責めていないのだから、謝罪は不要。君の仕事は丁寧で優秀な社員だと私は評価しているんだ。だから、もっと自分に自信を持ちなさい』
渚は
目を丸く見開きます。
そんなことを
初めて言われました。
いいえ。
そういえば、
事あるごとに河野部長は渚の仕事の丁寧さを褒めてくれていたような気がします。
そう考えると、
渚の記憶に残っていないだけで、
河野部長から褒められていたことが他にもあったかもしれません。
今日も
周囲の人たちが優しかったのですが、
それも
渚が普段、
自分のことで精いっぱいで
周囲の人をよく見ていなかった証拠かもしれません。
河野部長:『じゃあ、後で九条さんに私のところに来るように伝えてくれ。……それに、ここだけの話だが、君に朗報がある』
渚:『……?』
そのときの河野部長は、
いたずらを思いついた少年のような顔をしていました。
本当に
渚は人のことを見ているようで見ていなかったようです。
河野部長は
冷たいだけの人ではない。
それを知ることができて、
良かったと思った渚でした。
―☆―
営業部から帰ってきた渚は、
まっすぐに琴音の机に向かいます。
渚:『……九条さん』
九条琴音:『……ん? はい、何ですかぁ?』
琴音は
自分の爪に美容液を塗っているところでした。
……いやいや、仕事してください。
琴音は渚を見ると、
眉間に皺を寄せます。
渚:『九条さん。営業部の書類は九条さんが営業部の河野部長とやりとりをして完成させる書類なの。だから、ここの部分の直しは九条さんがしてね』
九条琴音:『……は? だから、それは昨日多古田部長も言ったように、先輩が直すことになったじゃないですか。……もしかして、昨日のこと、忘れちゃいました?』
琴音が歪んだ笑みを浮かべるのを、
渚は冷静な目を見ていました。
その表情を見ると、
彼女が
内心は焦っているのがよく分かりました。
おそらく、
何をどうして直したらいいのか。
それ自体が分からない
のでしょう。
人に
事あるごとに仕事を押し付けてきたのです。
今更、
何から始めていいのか分からないのは
当然でしょう。
渚:『覚えてるよ。……でも、このままだと九条さんのためにならないし、何より、わたしにはわたしの仕事がこれの他にたくさんあるの』
九条琴音:『わ、わたしだって、ちゃんと仕事が……』
渚:『……職場で爪の手入れをすることが仕事なの?』
九条琴音:『……』
渚は
ちらりと多古田部長の席を見ます。
彼は
どうやらお出かけ中のよう。
今が一番のチャンスです。
渚:『よく考えてみて? わたしは今年経理部3年目で、あと数か月後には異動する可能性が高いんだよ? 九条さんはもうすぐ経理部1年目が終わる。わたしが異動した後、この仕事をするのは九条さんかわたしの後任の人でしょう?』
九条琴音:『じゃあ、その後任の人がこの仕事をすればいい話じゃないですか! わたしがする必要なんてどこにもない……』
渚:『その場合、わたしの仕事を引き継ぐのは九条さんになるでしょ? うちの経理部は小さいの。うちのグループの仕事はわたしと九条さんの2人で分担してる。後任の人と九条さんとで仕事をするなら、今から覚えておかないと、どちらにしても困るのは九条さんだよ?』
九条琴音:『……で、………でもぉ』
琴音は涙目になりながらも、
唇をかみしめて何かを言おうとしています。
そこに、
多古田部長が帰ってきました。
多古田部長:『佐藤! 佐藤! ちょっと、来い』
渚:『……はい』
渚は
悔しそうな琴音をその場に残し、
多古田部長が
先に入っていった経理部の会議室に向かいます。
多古田部長:『……お前、今度の4月で異動だそうだ。それも、本部にな』
多古田部長は
吐き捨てるようにそう言いました。
渚:『……はい』
多古田部長:『だから、九条の教育係として、異動まで九条に全部ノウハウを叩きこんでおけよ?』
渚:『はい』
河野部長は
渚の異動が決定していることを
こっそり教えてくれました。
だから、
渚は
驚かずに冷静な受け答えをすることができた
のです。
渚は落ち着いた気持ちで、
多古田部長を見ました。
彼の顔色は優れません。
その理由を
渚は知っています。
これも、
河野部長が教えてくれたのですが、
自分の感情を抑えきれずに周りに当たり散らす彼のことを、
人事部へ『誰かが』訴えたのだそうです。
その調査が近々入り、
その追及がこれから行われる予定。
良くて厳重注意。
悪くいけば降格でしょう。
渚は
訴えた、その『誰かが』分かる気がします。
その人はいたずらを思いついたように笑っていたのですから。
会議室に消えた渚の方を
睨んでいた琴音を遠巻きにし、
経営部の別グループの社員たちが
ぽつりぽつりと話し出します。
社員A:『佐藤さん、4月から本部に異動になるらしいよ? 本部とうちらの支社じゃ、忙しさも勤務時間も違うだろうし。大抜擢だよねぇ。もうすぐ会えなくなるのかぁ。寂しいなぁ』
社員B:『じゃあ、今のうちに送別会の準備しない?』
社員C:『はぁ、佐藤さんがいなくなると、困るよねぇ。すごく仕事ができる人だからさ。今までは気軽に何でも聞けてたけど、これからは……』
ため息をもらす社員たちを
琴音はきっと睨みつけます。
九条琴音:『何が言いたいんですか?』
社員C:『えっ? わたしたちは何も? ただ、頼りになる佐藤さんがいないと困るよね、寂しいよねって話だよ?』
社員D:『あ、わたしたち、そっちのグループの仕事は全然分からないから、そのつもりでね』
九条琴音:『……えっ、そ……んな』
会議室から出てきた渚に、
琴音は視線を送ります。
渚はそれを受けて、
琴音の机の傍に向かいます。
九条琴音:『……先輩、わたし』
渚:『……何?』
九条琴音:『……』
渚:『……とりあえずは河野部長のところに行ってきて? 昨日の書類のことで話があるっておっしゃってたから。ある程度の話はつけておいたし、後は九条さんで頑張ってみて?』
九条琴音:『その、……先輩もついてきてくれませんか?』
琴音は
心細そうに渚を見ます。
渚は
この表情に同情して、
いつも彼女の仕事をしていました。
けれど、
これでは彼女のためにはならない。
それを
思い知った約1年間でした。
渚:『これからは1人で行くことになるの。だから、ともかく1人で言ってきてごらん? 分からなかったら、後から教えるから』
九条琴音:『で、でも……』
その不安な瞳から
彼女の焦りを痛いほどに伝えてきます。
そういえば、
入社当初の渚にもこういう心細い思いをしたことが
ありました。
渚:『一番最初は不安なのはみんな同じだよ。河野部長はちゃんと話を聞いてくれる人だから、大丈夫。わたしはまだ経理部にいるから、その間に出来得る限りのことは教えるから。だから、自分でとりあえずやってみて?』
そう言い切って、
渚は自分の机に戻りました。
その机の側に
他の社員たちがわいわいと集まってきます。
九条琴音:『……』
琴音がとぼとぼど経理部を出たのを見て、
渚は胸を撫でおろしました。
本当は
身体が震えて震えて
しかたがありませんでした。
けれど、
何か物凄い達成感が渚のこころを満たします。
琴音の心細さはよく分かります。
渚も通った道ですから。
けれど、
その同情をずっと持ち続けて、
相手の思い通りに動くことは
けっして相手のためにも、
まして自分のためにはならないことも
よく学んだ経験でした。
本部への異動が
今後、渚をどう変えていくのかは分かりません。
けれど、
今日は頑張った自分にご褒美を上げようと思った渚でした。
渚:『(う~たんにも報告したいなぁ)』
夢の続きは
いつ見ることができるのでしょうか?
もし見ることができたなら、
もう一度う~たんに会いたいと思った渚。
けれど、
不思議とそれが叶いそうな、
そんな気分なのでした。
―☆―
天界にいる かみさまは
水晶を通して、
その様子を密かにみていました。
かみさま:『我ながら、いい仕事をしたものです』
天使1:『全部う~たんのおかげだと思うのですが……』
かみさま:『何か言いましたか?』
天使1:『いいえっ! 何でもないですぅ!』
あいかわらず、
一番のマイペースさを発揮するかみさまですが、
その側で
天使たちは渚の様子をそっと見守り続けていました。
―☆―
一方、
空島のう~たんですが。
りりぃ:『もう、また食べ散らかして! ちゃんと片付けてっていつも言ってるでしょう?』
う~たん:『昨日、なぎと話してたら、突然苺ジャムが食べたくなったの』
りりぃ:『なぎ? 誰のこと?』
う~たん:『なぎはなぎだよ』
りりぃ:『……もう、だ~か~ら~』
う~たん:『とっても頑張り屋さんで、これからはゆるゆると生きる、僕たちの大切な仲間のなぎなの!』
う~たんは
嬉しそうに万歳をします。
その様子を見て、
りりぃは肩をすくめました。
う~たんがこの状態になったとき、
まともな会話は成り立たないからです。
りりぃ:『……もう、しょうがないなぁ』
そう言いながらも、
う~たんに指示を出しながら、
食器類を洗い出すりりぃなのでした。
2.あとがき
1話完結型で、
こころが軽くなるような物語を作ってみた
のですが、
いかがだったでしょうか?
一般的に見て、
絵本にしては長すぎ、
小説にしては短い。
これを
どう呼べばいいのか。
ただ、
物語も書きたい。
絵も描きたい。
……で、
できあがったのが
この作品です。
最後は
『作者のわたしが絵本って言っているんだから、
絵本でいいよね』
という開き直りで
タイトルに
『絵本』とつけました 笑。
あと、
ほどよく
note創作大賞が開かれていたので、
せっかくだし応募しよう!
という流れになりました^ ^
この作品を通して、
少しでも誰かのこころが軽くなりますように……。
なお、
4月に
『0話』として
この絵本のスピンオフ的なものを
投稿
しました。
もともと、
この絵本の連載を考え、
導入として、
また、実験台として、
創ったモノなので
0話を読まなくても
話は通じます。
(かみさま視点の物語となっています)
ただ、
気になる方はリンクを貼っておくので、
よろしければ
お読みください^ ^
それでは。
【日本語朗読版】(R5.5.21追記)
【英語版】
【フランス語版】
3.キャラクター紹介(R5.5.23追記)
そういえば、
この絵本内で、
キャラクター紹介をしていなかったな、
と思ったので、
主要なキャラクターだけの、
簡単な紹介用イラストを
載せておきます。
4.続きの話(R5.6.19追記、R5.6.27追記)
【2話】(R5.6.19追記)
【番外編】(R5.6.27追記)
5.更新履歴(R5.5.23追記)
(R5.5.21追記) 2.あとがきの【日本語朗読版】の記事を追加
(R5.5.23追記) 3・4の目次内容を追記
(R5.6.19追記) 4の続きの話を追記
4.更新履歴→5.更新履歴へ変更
(R5.6.27追記) 4の続きの話に番外編を追記
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