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【『ゆるゆると生きる』絵本】2話:『思い込みは優しさとともに』

1.【絵本本編】


ガラスで仕切られた部屋の中で、
キーボードを叩く音が響いています。
 
カタカタカタ、カタカタカタ。
 
熊田リーダー:『……ハロー、ジェシカ。そっちはどう?』

本郷紫音:『……ここがこうなって、……ここを書き換えると……』
 
渚:『……』
 
渚が本部で配属されたのは、
海外部門2の経理グループ。
 
海外との取引を地域ごとに分けて、
何部門かで担当している、
その一部署。
 
主に
イギリスとヨーロッパの一部を
担当しています。
 
そもそも、
なぜ海外部門に渚が配属されたのかも不明。
 
熊田リーダーと本郷君は
もくもくと仕事をしていて、
 
話しかけづらい雰囲気が漂っています。
 
それが
正直息が詰まるのです。
 
たまに、
本郷君に恐る恐る質問するも、
 
『……はぁ、何ですか?』
と返されるときに同時に出る
ため息。
 
実は
それがかなり渚の心にくる原因の1つ
でもあります。
 
『そんなことも分からないんですか?』
と言われているようで、
 
分からない自分を責めたくなる
のでしょう。
 
しかも、
働き方改革のもとに、
残業が基本的にはできません。
 
けれども、
仕事はたまる一方。
 
セキュリティ面でも、
仕事を持ち帰ることはできません。
 
そのために、
 
家では
残して帰ってきた仕事のことが気になって、
落ち着かず……。
 
渚:『…………』
 
渚は
痛んできたお腹を片手でぎゅっと抱き込みます。
 
『キャリアウーマン』という言葉が似あう熊田リーダー、
メガネで表情が見づらい本郷君がいる、
この緊迫した空間。
 
 
渚は
 
その冷戦が
繰り広げられている本部の経理部門で、
 
精神をすり減らしながら
日々を過ごしているのでした。
 


 
―☆―
 
りりぃ:『ねぇ、その“なぎ”って子はどういう子なの?』

う~たん:『……うん? どうって、“なぎ”は“なぎ”だよ?』
 
大きな苺をほおばる う~たんは、
りりぃにのんきな返事をします。
 
りりぃ:『だ~か~ら~、あたしが聞きたいのはその“なぎ”って子がどういう性格なのかってことよ』

う~たん:『性格? う~ん、そうだなぁ。…………』
 
う~たんはちょっと考え込んだ後に、
にこっと笑いました。
 
う~たん:『がんばり屋さん、かな? でも、最近、“なぎ”ってば、僕の呼びかけに答えてくれなくてさ……』

りりぃ:『……はぁ。それ、何度も聞いたから』
 
りりぃは
まだ見ぬ“なぎ”に思いを馳せます。
 
う~たんは
基本的にマイペースです。
 
人の話を聞いているようで、
聞いていません。
 
彼から
何度“なぎ”のことを聞いても
りりぃが納得できる答えは返ってこず。
 
ただ、
う~たんは自分に正直者なので、
好きなものの話しかしません。
 
だからこそ、
“なぎ”の話題が頻繁に出るということは
 
彼は
その“なぎ”を
相当気に入っていることが伝わってきます。
 
う~たんと
一緒に過ごすことの多いりりぃは、
 
知らない人の話をするう~たんが
自分から離れていくようで、
 
少し不安でもありました。
 
りりぃ:『…………ふぅ』

う~たん:『…………?』
 
りりぃがため息をついたのを
う~たんは不思議そうに眺めていたのでした。
 
 
-☆-
 
規則正しい寝息が
部屋を充満している時刻。
 
う~たんの部屋に
誰か入ってきました。
 
ベッドの上のう~たんは
枕元に水晶を置いています。
 
その水晶が
淡く光り輝いていました。
 
 
部屋に入ってきた りりぃは
その水晶をじっと見つめます。
 
りりぃ:『………』
 
りりぃは深呼吸すると、
その水晶に話しかけます。
 
りりぃ:『……かみさま、聞こえていますか?』

水晶:『……』
 
水晶は何の反応も示しません。
 
りりぃ:『う~たんが今日もその“なぎ”って子の夢に出かけているなら、あたしもそこに連れて行ってください! その“なぎ”って子に、あたしも会ってみたいんです!!』
 
りりぃがそういうと、
水晶はぷかり、と空間に浮かび上がりました。
 
水晶:『……』
 
りりぃが水晶を見上げると、
水晶はそのまま りりぃにめがけて落っこちてきました!
 
りりぃ:『あ、あぶないっ!!』
 
ガラスでできているであろう水晶が
床に落ちたら大変です。
 
りりぃが
とっさに水晶に手を差し出した
その瞬間。
 
りりぃは
光に包まれまれていきます。
 
そして、
 
そのまま
その場にぱたりと
倒れ込みました。
 
後には
床にゆっくり転がった水晶が
淡い光を放っていたのでした。
 


―☆―
 
熊田リーダー:『……佐藤さん、ちょっといいかしら』

渚:『っ、は、はい!』
 
渚が
沈んだ気持ちで経理グループの部屋に入ってくると、
 
熊田リーダーが
静かに彼女を呼びました。
 
いつも
PC画面とにらめっこしている本郷君も
 
今日はめずらしく
渚の方を見つめています。
 
渚:『……?』
 
自分の席に
通勤かばんを大急ぎで置いた渚は
 
熊田リーダーの机へと
向かいます。
 
熊田リーダーの顔は
いつも以上に鋭く、
 
眉間に
いくつもの皺が刻まれています。
 
どうやら、
何かよろしくないことが起きた、
そんな予感がしました。
 
熊田リーダー:『佐藤さん、昨日、FTBカンパニーに請求書を送付したわよね?』

渚:『……はい。昨日、メール送付しました』
 
FTBカンパニーは
イギリスにある会社で、
 
渚の勤めている会社の
お得意様です。
 
 
昨日、
開発グループから
 
FTBカンパニーへの
サービス提供の完了報告を受け、
 
そのサービスの対価を求める
請求書を送付したのでした。
 
 
開発グループが
忙しかったらしく、
 
こちらの経理グループに
対価請求の依頼するのが
大幅に遅れたのです。
 
しかも、
それを渚が知ったのが
 
定時ぎりぎり。
 
そのため、
急いで請求処理したのを
 
渚は
思い出しました。
 
熊田リーダー:『……相手方から、これで本当に合っているのか? そういう問い合わせが今朝来たの』

渚:『えっ』
 
渚は
熊田リーダーが差し出した書類を受け取り、
まじまじと見ました。
 
契約書の金額を確認し、
それに基づいて正確に請求書を作成した
つもりでした。
 
急いでいたとはいえ、
支店でも、ずっとやってきた手慣れた作業です。
 
唯一
支店と違うのは
 
請求書が“英語”で作られているだけ
のはず。
 
渚:『…………?』
 
英語を目で追うも、
内容は昨日見た契約書の内容と
違いはないように思います。
 
困惑している渚に
背後から声がかかりました。
 
本郷君:『……通貨単位です』

渚:『……通貨? あっ』
 
基本的に
請求書にはひな形といって、
 
ある程度のテンプレートが
あるのです。
 
だから、
渚が請求書を作る際も
 
以前のものを
少し手直しすれば
 
一から作るより
簡単です。
 
 
しかし、
渚が作った請求書の通貨単位は
『円(JPY)』。
 
渚が作ったのは
『28,000JPY』の請求書。
 
 
けれども、
 
本来は
『28,000GBP』のはず
でした。
 
1ポンド(GBP)が
約180円として、
 
本来504万円の契約金額が
約3万円の大赤字請求になっていたのです。
 
渚は
それに気がつき、
青ざめました。
 
渚:『も、申し訳ありません! すぐに先方に訂正の請求書と謝罪を……』

熊田リーダー:『それは本郷君がしてくれたから、大丈夫』
 
熊田リーダーは
何か言いたげに目を細めます。
 
渚:『あの、本郷君、ありがとうございました』
 
渚は
振り返って
 
本郷君に
頭を下げました。
 
本郷君は
その謝罪に
だんまりです。
 
熊田リーダー:『急ぎで作った請求書だったのは分かるけれど、ミスを防ぐためにダブルチェックは重要よ? 昨日、誰のダブルチェックも受けずに請求書を送付したでしょう?』

渚:『……はい』
 
昨日、
すでに帰り支度をしていた熊田リーダーと本郷君を目にし、
 
ダブルチェックをお願いすることを
ためらったのは渚の落ち度です。
 
何度も何度も確認したつもりが、
こんな簡単なミスを見逃してしまうとは……。
 
渚の心の中で
嵐がどどどっと吹き荒れています。
 
熊田リーダー:『ここに配属されてきたばかりだから、遠慮もあるとは思うけれど、それは相手方には関係ないことよ。あなたの仕事は正確なお金の出し入れをすることなの。相手方に迷惑をかけることが会社の損失に直結することを忘れてはダメよ?』

渚:『……はい。本当に申し訳ありませんでした!』
 
渚は
深々と熊田リーダーへ頭を下げました。
 
くくるのを忘れた渚の長い髪が
渚の視界を暗く覆い隠します。
 
その背後で
本郷君が今までで一番大きいため息を
つくのを、
 
渚は
心が切り刻まれる思いで聞いていたのでした。
 


 
頭を冷やそうと
休憩室のフリードリンクコーナーに向かった渚の携帯が
ぶるりと震え出しました。
 
携帯の画面には
『河野部長』と表示されています。
 
渚は
何も考えずに
電話に出ます。
 
河野部長:『……佐藤さん、久しぶりだな。本社には慣れただろうか?』
 
支店から本社へ異動しても、
河野部長は渚を心配してか、
 
定期的に
連絡をくれるようになったのです。
 
おそらくですが、
 
多古田部長の件があって
同じ目に合わないように
気を配ってくれているのでしょう。
 
河野部長:『……佐藤さん? 聞こえているか?』

渚:『はい。すみません。ちゃんと聞こえています』
 
支店から離れてみて、
河野部長が渚に心遣いをしてくれていることが
よく伝わってきます。
 
それと同時に
 
その期待に応えられていない自分に
情けなさが募ります。
 
河野部長:『九条さんは相変わらず君に頼り切りだろう? いいところで区切りをつけて、本人に独り立ちさせるのも一つの優しさだぞ?』

渚:『……そうですね。気をつけます』
 
河野部長は
多古田部長が異動(左遷?)された後、
一時的に支店の経理部門の部長を兼任しています。
 
だから、
 
九条琴音が
仕事のことで渚によく相談をしていることを
知っているようです。
 
河野部長:『それにしても、そちらはどうだ? 言っていなかったが、君の今のリーダーの熊田はわたしと同期なんだ。ちょっととっつきにくいところがあるかもしれないが、根は良い奴だから、あんまり身構えなくても大丈夫だ』

渚:『…………あ、そうなんですね』
 
とっつきにくいどころか、
怖すぎて話しかけることに躊躇している現状です。
 
けれど、
 
そんなことを
河野部長に言っても仕方がありません。
 
そんな中、
渚の携帯がさらに震え、
誰かからの電話を伝えてきます。
 
渚:『(たぶん、九条さんからだろうなぁ。午前中にわたしにいろいろ聞いて、午後からそれに取り掛かるのが彼女のルーティーンだもの)』

河野部長:『……佐藤さん?』

渚:『いえ、いろいろお気遣いいただき、ありがとうございます。周りのみなさんにとてもよくしていただいて、わたしにはもったいない配属先です』
 
よくもまぁ、
すらすらと嘘が出てくるな、と
渚は自分に呆れました。
 
そして、
 
同時に
泣きたくなりました。
 
多古田部長と九条さんの件で
渚は強くなれたと思っていたのです。
 
けれど、
どうでしょう?
 
本社に異動になったらなったで、
別の問題にぶつかって、
 
今まさに
泣きそうな状況に
追い込まれています。
 
自分が
情けなくて愚かで、
どうしようもない事実に
 
足元から
崩れ落ちそうです。
 
既に、
渚の視界は曇ってきて、
頬に何本かの暖かい筋が流れていきます。
 
河野部長:『……佐藤さん。もし、何かあるなら、わた……』

渚:『河野部長、すみません。急ぎの仕事があるので、これで失礼します』

河野部長:『……さ、佐藤さん?!』
 
河野部長が
何かを言いつのろうとするのを
 
渚は
電話の電源を切るのと同時に封印しました。
 
何か、
これ以上話していると、
河野部長に
すがってしまいそうだったのです。
 
携帯の着信履歴を見ると、
 
案の定で、
九条琴音の名前が
表示されています。
 
彼女には悪いですが、
今は対応できる元気がありません。
 
きちんとしたマニュアルも残してきています。
 
それに、
上司は一時的にですが、
河野部長です。
 
最悪、
彼に聞いてもらえば
問題はすぐに解決するでしょう。
 
渚は
休憩室で何かを飲むことを諦め、
経理グループへと重い足取りで帰っていきました。
 
 
―☆―
 
熊田リーダー:『佐藤さん、ちょっと』

渚:『……っ、はい』
 
部屋へ帰って早々、
渚は熊田リーダーに再び呼ばれました。
 
彼女のきりりとした表情を見るのが怖くて、
渚は
出来得る限り、
目線を下へ落とします。
 
熊田リーダー:『今日は早退でいいわ。……いえ、早退しなさい』

渚:『えっ、でも、まだやらなければならない仕事が山積みで……』

熊田リーダー:『急ぎの案件はわたしと本郷君でやるから。あなたはちょっと家で頭を冷やした方がいいと思うのよ』
 
これ以上、
ミスを起こされたくないから?
 
渚の心がずきりと痛みます。
 
熊田リーダー:『……いい? 佐藤さん。急ぎの案件とか、心配な案件とか、とりあえず本郷君に渡してしまって、今すぐに早退しなさい? わかった?』
 
はっと
顔を上げた渚と
 
熊田リーダーの目が
交差します。
 
そのきりりとした目から
何かを感じます。
 
けれど、
 
それが分かるのが怖くて
渚はすぐに下を向きました。
 
渚:『……本当に、申し訳ありませんでした』
 
その後、
 
渚は
精いっぱいの謝罪をして
部屋を退出したのでした。
 
―☆―
 
本郷君:『……何というか、言い方が相変わらずお上手なことで』

熊田リーダー:『そこ、うるさいわよ! 文句あるなら、あなたの日頃の態度をどうにかしてから、言いなさいよね?』

本郷君:『さぁ、何のことか分かりかねますね』

熊田リーダー:『……はぁ、もう』
 
熊田リーダーは
携帯の画面とにらめっこをしながら、
 
渚の机を見て、
 
再び
携帯の画面に目線を落としたのでした。
 

―☆―
 
アパートの扉をあけた瞬間、
渚の目から涙があふれだした。
 
何とか
ぼやける視界で
 
扉の鍵を閉めた後。
 
 
渚は
部屋に通勤かばんを投げ出し、
 
ベッドへと直行した。
 
まくらに顔をうずめ、
そのまま声を上げて泣き出した。
 
 
何だか、
既視感がある光景。
 
自分は
あのときから何にも変わっていなかったのだと
 
自分で証明した
今日という日。
 
 
う~たんに教わったことも
実践できず、
 
自分のありのままなんて
どうやって突き通すのかなんて
分からない。
 
 
ただ分かるのは、
自分は何の成長もせず、
 
結局
楽な方に流れただけ。
 
 
その事実に
打ちのめされながら、
 
渚は
ふと思い出します。
 
 
渚:『(そういえば、あれから夢でう~たんに全然会えないんだよね……。どうしているのかな? ……あ、でも、わたしのことなんて、もうきっと忘れているよね)』
 
そう思ったら
妙に泣けてきて、
 
渚は
 
疲れ果てるまで
泣きじゃくり続けました。
 
―☆―
 
〇〇〇〇:『……ぎ、…ぎ! もう、なぎってば!』

渚:『……ん?』

〇〇〇〇:『も~~う、なぎって何回も呼んでるのに、何で全然聞いてくれないのぉ?』

渚:『!』
 
渚は
ぱっと目を覚ましました。
 
目の前には
真ん丸な目をした、
 
会いたいと思っていたう~たんが
頬を膨らませて腕を組んでいました。
 
う~たん:『もう、やっとこっちを見たね? ずっとあれから呼びかけても、なぎってば、全然こっちを見てくれないんだもん。もう、僕のことなんて忘れちゃったのかと思っちゃったじゃない!』
 
のんきなう~たんの印象が強かったのですが、
今日の彼はどこか不機嫌のよう。
 
渚:『え? でも、わたしがう~たんに会ったのはあの1回きりで、それからは会ってないと思うよ?』
 
渚が首を傾げると、
う~たんは頬をもっと膨らませました。
 
う~たん:『そんなことないもん! 僕はあれから何度も夢の中でなぎを見つけて、今さっきみたいに呼んでるのに。なぎは僕の方なんてちっとも見てくれないで、熊さんと絵本さんがどうのこうのって、ぶつぶつ言ってるだけだったの!』
 
そういうと、
う~たんはその場にあぐらをかいて
座り込んでしまいました。
 
渚:『……そうなの? 最近は忙しくて、寝ても爆睡で、夢なんて見てなかった気がするんだけどなぁ』

う~たん:『本当なのに! もう、……なぎなんて、知らないもん!』
 
そう言いながらも、
う~たんは渚の袖を掴んで離しません。
 
夢の中が暗いのは
いつものことなのでしょうが、
 
う~たんと渚のいる場所だけが
淡く光っています。
 
渚:『ごめんね、う~たん。う~たんのことを無視したんじゃなくて、わたし、仕事が変わって、毎日忙しくしてて、周りのことが見えなくなってたんだと思うんだ』
 
渚は
そう言いながら、
 
う~たんの頭を
優しく撫でます。
 
すると、
う~たんは
その黒い瞳で渚を見返します。
 
そして、
 
しばらく
頬を膨らませていましたが、
 
一人納得したように
口を開きながら頷きます。
 
う~たん:『そうだよね。なぎは頑張り屋さんだったのを忘れてた。……でも、今度したら、僕、本当に怒るからね?』

渚:『うん、うん。ごめんね?』
 
もう既に怒っていたように思いますが、
まぁ、いいでしょう。
 
う~たんの機嫌が直ったところで、
渚は彼の隣に腰を下ろしました。
 
う~たん:『それで? なぎは、その熊さんと絵本さんと今度はどういうふうに過ごしていたの?』

渚:『えっと、その“熊さん”と“絵本さん”って、一体誰のことなの?』

う~たん:『だから、なぎが僕のことを無視して、“熊さんの目が鋭くて怖い”とか、“絵本さんはため息が多い”とか。熊さんは目が鋭いのは当たり前だし、絵本さんはため息つくのかな? 僕は見たことないけど』

渚:『…………』
 
今の言葉を聞いて、
渚は合点がいきました。
 
おそらく、
 
“熊さん”とは熊田リーダーのこと、
“絵本さん”とは本郷君のことでしょう。
 
そういえば、
前に仕事の話をしたとき、
 
う~たんが
 
多古田部長のことを“タコさん”、
河野部長のことを“コウノトリさん”、
九条琴音のことを“クジャクさん”
 
と呼んでいたのを
思い出したのです。
 
人間の名前に馴染みのない
彼は
 
その名前を
あたまの中にある動物へと
置き換えているのだと
 
分かったのです。
 
 
渚:『えっとね。“熊さん”はわたしの仕事の上司で、“絵本さん”はわたしの同僚なの』

う~たん:『じょうし? どうりょう?』

渚:『上司はボス、親分? で分かるかな? 同僚は……そうだね。仲間、かな』

う~たん:『それなら分かる』

渚:『毎日仕事が上手くいかなくて、自分が情けなくなって。その上、2人に迷惑かけちゃって。今日はそれで大泣きしちゃったんだ』
 
冷静に振り返ると、
もう一度涙が出てきそうです。
 
う~たん:『それって、…………』
 
う~たんが何かを言いかけた、
そのときです。
 
○○○:『~~~~~~~いやぁ~~~~~~』

う~たん&渚:『……ん?』
 
う~たんと渚が
声のする方を見上げると、
 
空から
何かが落ちてくるようです。
 
う~たん:『えっ? りりぃ??』
 
う~たんは目を大きく見開くと、
見たこともない俊敏な動きでジャンプします。
 


 
○○○:『もう、お願いしたのはあたしだけど、もうちょっと安全な方法はないのかしら……』

う~たん:『りりぃ、大丈夫?』

○○○:『えぇ、大丈夫よ。ありがとう、う~たん』
 
う~たんは
空から落っこちてきたシマリスさんと
知り合いのようです。
 
渚が
1羽と1匹の方を見ると、
 
う~たんの腕から降り立った りりぃが
渚のところにかけてきます。
 
○○○:『あなた! 何があったっていうの??』

渚:『…………???』
 
シマリスさんから
鋭い視線を受けているのですが、
 
一体
どうしたというのでしょうか?
 
○○○:『あなた、こんな格好で外に出たらダメでしょう? 人間界には身だしなみというものが存在しないわけ?!』

渚:『…………あ』
 
そういえば、
 
昨日、
渚はメイクも落とさなければ髪も梳かさず
凪じゃくっていました。
 
鏡で
身なりを確認してはいませんが、
 
おそらく
ひどい状態なのは
納得がいきます。
 
その後、
シマリスさんは
どこからともなく出した櫛などのグッズで、
渚の身だしなみを整えていきます。
 
もはや
強制的と言ってもよいでしょう。
 
その脇で、
 
う~たんは
嬉しそうに特大苺をほおばっています。
 
……前にも思いましたが、
 
この動物さんたちは
どこからこれらのものを出しているのでしょうか……?
 
答えてくれる人は
どこにもいなさそうなので、
 
永遠の謎に
なりそうです。
 
りりぃ:『それで? なぎは周りの人に迷惑かけているのが嫌で、泣いちゃったってわけなの?』

渚:『そう、だね』
 
シマリスのりりぃは
渚の手を離しました。
 
さっきまで
『手荒れが酷すぎる!!』
 
と渚の手に
保湿クリームを塗り込みまくっていたので。
 
りりぃ:『ねぇ、なぎ』

渚:『なに? りりぃ』

りりぃ:『その人たちは本当に怖い人たちなの? なぎのことを本当に迷惑だと思っているの?』

渚:『怖いっていうか、話しかけづらいというか。わたしを迷惑だと思っているかは直接聞いてはいないけど』
 
そう渚が言い終わるや否や、
りりぃは、もこもこの小さな指を立てました。
 
りりぃ:『そこよ! なぎが陥っている落とし穴は!!』

渚:『……どこ?』

りりぃ:『“熊さん”と“絵本さん”が話しかけづらいと思っているということと、その人たちがなぎを迷惑だと思っていることが、よ』

渚:『それのどこが落とし穴なの?』

りりぃ:『なぎはその人たちに直接迷惑だって言われたことはないんでしょう?』

渚:『うん、そうだね』

りりぃ:『それに、“あたしたちに話しかけないでよ”と言われたわけでもないんでしょ?』

渚:『うん。そう、だね。でも、それがどうしたの?』
 
渚には
りりぃの言っていることが良く分かりません。
 
確かに
熊田リーダーや本郷君に
“忙しいから話しかけないで”と言われたことはありません。
 
二人から
“あまりにも仕事ができなさ過ぎて迷惑だ”と
言われたこともありません。
 
 
ですが、
 
それが
どうしたというのでしょう。
 
 
二人の雰囲気から
渚を歓迎していないのは
聞かなくても分かることです。
 
熊田リーダーはいつも忙しそうですし、
本郷君は人に話しかけられるのが嫌そうです。
 
仕事のできる二人にとって、
仕事でミスをしたり、書類の処理に時間がかかったりする渚が
お荷物で迷惑なことも間違いない事実。
 
それなのに、
そこにどんな落とし穴が
隠されているのでしょう。
 
 
首を傾げる渚に
りりぃがその黒くてビーズ玉のような瞳を
輝かせました。
 
りりぃ:『なぎは自分の思い込みで自分の首をしめているのよ。だからこそ、前の仕事でも、今の仕事でも泣きたくなっちゃったんじゃないかしら』

渚:『……思い込み……? でも、二人は本当にはなしかけづらいし、私を迷惑だと思っていることは聞かなくても分かることで……』

りりぃ:『なぎ』

渚:『何?』

りりぃ:『あたしが今思っていることを当ててみて』
 
渚は
りりぃを見つめます。
 
勝気そうに眉の上がった
今のりりぃの表情からは
 
渚のことを
呆れているのが伝わってきます。
 
渚:『仕事で泣き言をいう わたしに呆れてる?』

りりぃ:『全然違うわ』

渚:『えっ』

りりぃ:『あたしが今、一番思っていることは……』
 
りりぃは
くるりと向きを変えて、
 
背後で
いちごをむさぼっていたう~たんに
視線を向けます。
 
そして。
 
りりぃ:『あなたはいつまでいちごを食べていれば気が済むのよ! いい加減、なぎの困りごとを一緒に考えてあげる優しさはないわけ?!』

う~たん:『えぇ~、でもさぁ。りりぃは僕が周りからごちゃごちゃ言うの、好きじゃないでしょう? だったら、りりぃの気がすむまで、なぎのお話を聞いてあげたらいいかなって思ったんだよねぇ』

りりぃ:『あっそ。……はぁ。もう、しょうがないなぁ』
 
りりぃは
ため息をついて、
 
渚に
向き直りました。
 
りりぃ:『ほら、ね? 必ずしも、なぎの思っていることが合っているとは限らないでしょう?』

渚:『……』

りりぃ:『う~たんはマイペースでのんびり屋だけど、実は運動はすごくできるし。大雑把で誰かのすべてを受け入れているようで、実はこだわりが強くて妙に意固地になることもあるし』
 
りりぃは
渚の手を握り直します。
 
りりぃ:『人の話をすぐ忘れちゃったかと思えば、ちゃんと自分なりに考えて、次はどうしたらいいかなって考えているときもあるの。それって、その人に聞いてみないと、分からないことだと思わない?』
 
渚は
りりぃの優しい微笑みに
こころがほどけているのを
感じました。
 
りりぃ:『勿論、なぎが言っていることが間違っていると言いたいわけじゃないの。ただ、その人のことをよく知らないで勝手に決めつけている、その思い込みで、自分を苦しめなくてもいいのよ? 結局のところ、どこまでいっても、相手を知り尽くせるなんてこと、ないんだもの』
 
りりぃは
そう言いながら、
 
う~たんの方を
振り返りました。
 
りりぃ:『話しかけづらい、と思ってびくびくしてくる人に対して、あたしはイライラしちゃうと思うわ。“あたしはそんなに怖くないわよ!”って思うし。それに、あたしは結構言葉がきついから、あえて距離を取ろうとするときもあるの。事情は人の数ほどあると思うわ』
 
りりぃは
渚に頷いてみせます。
 
りりぃ:『だから、相手をまずは知ることから始めてみない? その人たちに対して、もう少し優しい見方をした方がなぎ自身にも優しいと思うの。それに、なぎが思っているより、酷い人たちじゃないのかもしれないわよ?』

渚:『……そう、だね』

りりぃ:『もし、なぎのいうとおり酷い人たちなら、あたしがとっておきのどんぐりをお見舞いするわ!』

渚:『えっと……それはちょっと』

りりぃ:『そう? それがだめなら、夢の中でいくらでもなぎの話を聞いてあげるわよ。……そうだ! 今度はおかめさんも連れてくるわ』

渚:『おかめさん?』

りりぃ:『オカメインコのおかめさん。とっても優しいインコだから、なぎもすぐに好きになると思うわよ?』

渚:『ありがとう。……じゃあ、楽しみにしとくね』

りりぃ:『えぇ、そうして?』
 
渚とりりぃがほほ笑み合う中、
 
う~たんは
一人満足そうにいちごをほおばり続けるのでした。
 


 
-☆-
 
なぎは
久しぶりに街に出かけていました。
 
今日は
会社が休みの土曜日。
 
なぎが
ミスをした日が
ちょうど金曜日。
 
夢で
う~たんたちに出会い、
 
元気づけられた
勢いで、
 
気分転換を
しにいこうと思ったのでした。
 
 
街を
ふらふらしていたとき、
 
1つのカフェが
目に入りました。
 
そのカフェの
マスコットキャラクターが
 
う~たんに
そっくりなのです。
 
 
何となく
渚の足がそちらの方へ向かい、
 
店員に導かれるまま、
奥の方の席に案内されました。
 
渚:『あの、ケーキセットのケーキがチーズケーキで、ドリンクがココアでお願いします。あと、……』
 
○○○○○○:『ねぇ、聞いてよ! わたしの部署にすごくかわいい子が配属されたの!!』
 
カフェ店員:『ケーキセットのケーキがチーズケーキ、ドリンクがココアですね。あと、……他のご注文がおありでしょうか?』

渚:『いえ、大丈夫です』

カフェ店員:『かしこまりました。少々お待ちください』
 
本当は
別のメニューも気になったのですが、
 
後ろから聞こえた声が
気になります。
 
その声を聞いて、
渚の身体がびくりと震えました。
 
『部署』という言葉が
会社のことを思い出されたから、
 
というのもあり、
 
同時に、
 
嫌な予感が
渚の頭を過ぎったからです。
 
 
●●●:『ま~た、出た。奈那の“かわいい”発言。奈那、その子とちゃんと上手くやれてるの?』

○○○○○○:『やってるわよ! もう、失礼ね。わたしを誰だと思っているの? ちゃんと仕事もしているし、この前もその子の仕事のフォローをちゃんとしたんだから』

●●●:『まぁ、それならいいけどさ。奈那って、プライベートは“かわいい”ものオタクだけど、仕事のときの奈那って目から光線が出てそうだもん』

○○○○○○:『何よ、それ! わたしはそんなものを目から出した覚えは一度だってあ・り・ま・せ・ん! ……まぁ、その、本当のことを言うと、新しく来た子はわたしに遠慮があるみたいで、目を合わせてはくれないんだけどさ』
 
渚の背中に
ひんやりとした汗が伝います。
 
カフェ店員:『こちら、ご注文のケーキセットとドリンクでございます』

渚:『……ありがとうございます』
 
隣に聞こえないように
小さくお礼を言うと、
 
渚は
チーズケーキを
すばやく食べ始めました。
 
渚の予感が
何だか当たりそうで、
 
当たった場合には
即座にここを去る必要があります。
 
 
それを思うと、
手に持ったフォークが
震えます。
 
 
●●●:『ほ~ら、見てごらんなさいよ。奈那ってば、仕事となると、鬼のような形相になるからさ。その新人ちゃんも距離感つかめなくて、困ってると思うわ』

○○○○○○:『うっ、でもさ。“遠慮せずに言っていいのよ”って、昨日、ミスした なぎちゃんに伝えたんだけど……』
 
 
『なぎちゃん』。
 
その言葉に
渚の喉がごくりと鳴りました。
 
飲み込んだ
チーズケーキが
胃の中で冷たく沈んでいく気がします。
 
●●●:『奈那の言い方だと、あんまりプラスに取られないんじゃない? あなたの言い方って、良くも悪くも事務的だからさ』
 
渚は
 
残りのチーズケーキを
一心不乱に喉へと流し込みます。
 
ココアが
暑いのが裏目に出て、
 
すぐには
ケーキが喉を流れていきません。
 
渚:『(アイスココアを頼んでおけばよかった!)』
 
昨日の今日で
再び泣きそうになっている渚の後ろで、
 
後ろの席の女性が
いきなり立ち上がります。
 
○○○○○○:『それは大変だわ! 今すぐ、河野君に連絡をして、なぎちゃんの誤解を解かないと……って』
 
 
渚の椅子に
後ろの席の女性の椅子が
思いきりぶつかりました。
 
○○○○○○:『……あの、すみませんでした。大丈夫でした…………か?』
 
後ろの女性が
渚に謝罪をするために
 
こちらを
覗き込みます。
 
渚:『………………』

○○○○○○:『………………』
 
2人は見つめ合い、
そして、
黙り込みました。
 
●●●:『奈那? どうしたの?』
 
他の女性も
渚の方へとやってきました。
 
渚は
改めて2人を見ました。
 
 
1人は
予想通りの熊田リーダー。
 

渚のちょうど後ろの席だったようです。
 
そして、
 
もう1人は
海外部門1の営業グループ
のサブリーダーの女性。
 
どちらも
渚の会社の社員さんでした。
 
 
……というか、
この偶然……をどうしましょうか?
 
渚が固まっていると、
営業グループの女性が
 
熊田リーダーの肩を
ぽんと叩きました。
 
営業グループ女性:『良かったじゃない、奈那。誤解を解く絶好のチャンスよ。結果は月曜日でいいから』
 
そういうと、
彼女はテーブルにお代を置いて、
さっそうとその場を去って行きました。
 
 
後には、
お互いに真っ白になった
 
渚と熊田リーダーが
残されたのでした。
 


 
渚:『……』

熊田リーダー:『……』
 
取り残された
2人ですが、
 
店員さんが
気を聞かせてくれたのか、
 
テーブルを
同じにセッティングし直して
くれました。
 
そのおかげで、
2人は向き合わざるを得ない状況に
より一層なったのでした。
 
渚:『……』

熊田リーダー:『……』
 
渚の喉が
ごくりと鳴りました。
 
こういうときは
何と取り繕えばいいのでしょうか。
 
故意ではないとはいえ、
熊田リーダーのプライベートトークを
聞いてしまったのです。
 
 
りりぃ:『相手をまずは知ることから始めてみない? 案外、なぎが思っているより、酷い人たちじゃないのかもしれないわよ?』
 
 
りりぃの言葉が
ふいに渚の耳に蘇ります。
 
ここで、
何事もなかったかのように
取り繕うこともできます。
 
けれど、
それでは何も変わりません。
 
ならば……。
 
渚:『あの、熊田リーダ……』

熊田リーダー:『今はプライベートだから、奈那って呼んで』

渚:『はい、……あの、奈那……さん』

熊田リーダー:『何?』
 
渚は
今度はしっかりと熊田リーダーを
見ます。
 
こちらが圧倒されるほどの美人さん
なのは変わりませんが、
 
今日の彼女からは
いつものひんやりとした印象を
受けません。
 
渚:『わたし、奈那さんや本郷君が忙しそうで、声をかけづらかったのは本当なんです。わたしに時間を割いてもらうのは、なんだか申し訳なくて』
 
そう。
話かけづらい、というのが
 
渚の本当の気持ちだったとしても、
 
その気持ちの裏には
 
自分が話しかけると
相手の時間を奪ってしまう、
 
という
渚の思い込みがありました。
 
 
相手に
遠慮をしている、
 
といえば
聞こえはいいでしょう。
 
けれど、
昨日の熊田リーダーの言う通り、
仕事上で確認すべきことは
 
きちんと
確認するべきことだったのです。
 
 
熊田リーダー:『まぁ、そうよね。わたしの仕事のときの顔って、相当怖いって、なぎちゃんの前の子も、その前の子も、その前の子も、そう言っていたらしいから』

渚:『……はぁ、そうなんですね』

熊田リーダー:『そうなのよ。その、この怖い見た目でビビらせて、すぐに異動届を出した子は何人もいるから。そこは気をつけないと、となぎちゃんが来るまでは思ってたんだけど……』

渚:『……そう、なんですか』
 
そういえば、
海外部門自体が
 
とても
人気の部署なのです。
 
海外との取引ができる
華のある部門ということで、
 
異動希望を出す人も
多いと聞きます。
 
しかし、
 
そういえば、
渚の配属された経理グループは
 
この2年で
3人ほど人の異動があった
はず。
 
……原因は
定かではありませんが、
 
熊田リーダーとしては
ちょっと気にしている部分では
あったようです。
 
熊田リーダー:『なぎちゃんを見た瞬間、これは仕事できないなって思って……』

渚:『す、すみません。その、わたしが鈍くさいからお役に立てず……』

熊田リーダー:『……ん? 違うわよ! なぎちゃんが仕事できないって言ってるわけじゃなくて、あたしが仕事できなくなりそうって話』

渚:『……?』

熊田リーダー:『あ~、え~と。……はぁ、もういいかぁ。バレるのも時間の問題だし。いや、さっきの話を聞かれた時点でバレてるわよね』

渚:『…………????』
 
熊田リーダーは
すぅっと深呼吸をした後、
 
渚の方を
じっと見つめて口を開きました。
 
熊田リーダー:『わたし、かわいい人や物がだいっすきなの!!』

渚:『……はぁ、そうなんですね』
 
それが
どうしたのだろうか。
 
渚が
首を傾げていると、
 
熊田リーダーは
じれったそうに
両手をぶんぶん上下に振り始めました。
 
熊田リーダー:『もう、そんなかわいい顔して、意外に反応が薄いわねぇ。まぁ、そこもかわいいと思うんだけど』

渚:『……えっと、ありがとうございます?』

熊田リーダー:『なぎちゃんはわたしが好きな韓国系のアイドルに似ててね。かわいいもの好きなわたしにとっては、そこが気になって、仕事に集中できなくなりそうって、そういう意味だったのよ』

渚:『……はぁ』
 
熊田リーダーは
その後も、
 
そのアイドルたちの話を
交えながら、
(かなり長かったです……)
 
渚に
事の次第を話してくれました。
 
どうやら、
渚が熊田リーダーの推しのアイドルに似ていて、
仕事ができなくなりそうだと思った彼女は、
 
渚の前では
より一層顔を引き締めて接していたらしいのです。
 
 
それが
より一層“話しかけづらさ”を
促したのは
 
事実でしょう。
 
 
渚に引かれないため、
 
そして、
 
渚に異動届を出されないために、
 
あえて
距離を置いて接していたという、
 
ただ
それだけの話だったそうなのです。
 
 
熊田リーダー:『あと、本郷君だけど。あの子、最初はとっつきにくく感じるかもしれないけれど、本当は寂しがり屋のかまってちゃんだから』

渚:『……そうは見えませんけど……、って、あ、すみません』
 
つい本音が出た渚に
熊田リーダーは微笑み返します。
 
熊田リーダー:『それでいいのよ。なぎちゃんのことは同期の河野君から聞いていて。結構、冷静に物事を処理する能力に長けてる子っていうのは聞いていたから。むしろ、今の方がしっくりくるわ。あなたらしい、っていうの?』

渚:『そうなんですね。ありがとうございます』

熊田リーダー:『昨日のこと以外にも、河野君には相談に乗ってもらうことも多いから。あなたのことも事前に聞いていたのよね』
 
熊田リーダーは
渚にウィンクを投げてよこしました。
 
後で
聞いた話ですが、
 
熊田リーダーは
海外生活が長く、
ジェスチャーが
海外の方と同様なんだとか。
 
 
そういえば、
 
河野部長から
やたら連絡があったのは
 
熊田リーダーから
渚の様子を聞いていたからなのかも
しれません。
 
 
熊田リーダー:『今日のことは事故みたいなものだったけど、これからはもうちょっとお互いに知り合う機会を増やしましょうか』

渚:『そうですね。本郷君は飲み会が好きじゃなさそうですから、みんなでランチに行く、とかでも良さそうですね』

熊田リーダー:『いいじゃない! さっそく、知り合いの多国籍料理の店を予約しとかないと』
 
熊田リーダーは
うきうきとスマートフォンを
取り出します。
 
何だか、
話してみるまでは怖かったのですが、
 
一歩踏み出した先には
渚が思った以上の世界が
 
待っていたのでした。
 
カフェ店員:『……お客様、お水のおかわりはいかがでしょうか?』
 
ちょうど
店員さんが水を持って来てくれました。
 
渚:『あ、そうだ。……あの、これなんですけど』
 
渚は
思い出したように
 
口を開きました。
 
 
―☆―
 
渚:『先週は助けてくれてありがとう。あの、ちょっとだけ分からないところを聞いてもいいかな?』
 
金曜日にミスをし、
翌日土曜日に熊田リーダーと劇的な和解? をした
 
週明けの月曜日。
 
渚は
本郷君に勇気をもって
話しかけました。
 
本当は
分からないことが山積みだったのに、
 
彼に話しかける勇気が出ず、
 
かといって、
過去の書類から答えを導き出す時間もない
 
と悟った渚。
 
ここは
熊田リーダーの言葉を信じ、
 
勇気を出して
彼に話しかけたのでした。
 
本郷君は
メガネ越しから
渚を観察し、
 
そして、
 
本郷君:『……えぇ、いいですよ』
 
と短く
そう答えました。
 
渚:『えっ、いいの!』
 
今までは
『……はぁ』と
必ずため息をついていた彼なのに、
 
今日は
あっさりOKをもらえたのが
意外でした。
 
本郷君:『困っている人を放っておくほど、僕は非常な人間じゃないので』

渚:『ありがとう!』
 
渚が
声を明るくしたのを
 
熊田リーダーが
暖かく見守っていました。
 
本郷君:『僕に何か言いたそうですね、リーダー』

熊田リーダー:『いやいや、ツンデレ君も、さすがにバリヤをはり過ぎたことへの反省をしたんだなぁって思って』

本郷君:『猫を被って相手を怖がらせている人に言われたくありませんけどね』

熊田リーダー:『はいはい、相変わらず素直じゃないんだから』

渚:『?』
 
2人の間で
どういう話があったのかは
分かりませんが、
 
渚のミスで
グループ内の冷たい雰囲気が
意外にも一掃されたようです。
 
渚:『そうだ! もしよかったら、これ』

本郷君:『……こ、これは!』

渚:『たまたま土曜日に行ったカフェ限定のお菓子なの。人気商品でなかなか買えないものらしいんだけど、最後の一個が残ってて。先週のお礼だよ』

本郷君:『いいんですか!』
 
本郷君は
食い気味にそう答えました。
 
……。
どうしたのでしょうか?
 
いつものクールな本郷君とは
うって変わって、
何かに興奮しています。
 
熊田リーダー:『ちなみに、わたしは土曜日になぎちゃんと一緒にそのカフェでお茶したんだから、遠慮せずにお菓子をいただきなさいな』

本郷君:『変な対抗心を燃やさないでください。うっとおしい』

熊田リーダー:『あらあら、甘いもの好きな誰かさんなら、そのお菓子を喜ぶわよって、なぎちゃんに教えてあげたのは、このわたしなんだけど?』

本郷君:『……!』
 
そうなのです。
 
渚は
あのカフェ限定のお菓子についてくる、
 
う~たんそっくりなうさぎのストラップが
ほしくて、
 
店員に
お菓子の在庫を確認したのでした。
 
そのとき、
熊田リーダーから、
 
『ストラップだけがほしいだけなら、そのお菓子を本郷君にあげたら、かなり喜ぶと思うわよ?』と
助言をもらったのです。
 
半信半疑でしたが、
どうやらその助言は
 
正しいものだったよう。
 
本郷君の表情は見えませんが、
口元が自然とほころんでいます。
 
熊田リーダー:『はぁ。あのさ。なぎちゃんは、あんたが心配しているほど現金じゃないんだから、いい加減、その伊達メガネを外しなさいな!』
 
熊田リーダーは
本郷君に近づくと、
 
彼のメガネを
さっと奪い取ります。
 
本郷君:『……ちょっ、返してください!』
 
熊田リーダーは
女性にしては背の高い人です。
 
それに対し、
 
本郷君は
男性にしては少し背が低いのです。
 
そのため、
 
彼がどんなに背伸びをしても、
熊田リーダーが高く掲げるメガネには
 
一切
届きません。
 
 
熊田リーダー:『ほ~ら、ほら。取れるもんなら、取ってみなさい』 

本郷君:『ちょっ、あなたは小学生ですか! これは立派なパワハラですよ!』

熊田リーダー:『ほほほほ、何とでもお言いなさい』
 
2人が
わちゃわちゃしている中で、
 
渚は
改めて
メガネなしの本郷君を見ます。
 
中性的な顔立ちもさることながら、
左右が違うオッドアイの瞳が
 
彼の容姿を引き立てています。
 
そういえば、
 
彼は日本とイギリスのハーフ。
 
その容姿を
気にして、
 
メガネをかけていたのかもしれません。
 
女子に
モテそうですしね。
 
渚:『……本郷君って』

本郷君:『……は、ストップ! 容姿の感想は一切受け付け…』

渚:『絵に描きたいと思えるほど、ファンタジーな人だったんだね。……絵の題材にしたいなぁ』

本郷君:『…………は?』
 
 
渚は
実は絵を描くことが趣味です。
 
しかも、
 
見たものをそのまま精密に描く
写生画ではなく、
 
ファンタジーなどの
現実から離れた絵が好き
 
なのです。
 
 
だからこそ、
 
本郷君の見た目は
ファンタジーの中の住人に
ぴったり。
 
ぜひとも、
本郷君を元に
 
何かしらのキャラクターが
描けそうだと、
 
そう思ったのです。
 
 
渚:『……あ、ごめん。えっと、今の忘れて!!』
 
渚は
普段、あまり自分が絵を描くことを
周りに言ってきませんでした。
 
正直、
『いい大人になのに、ちまちま絵を描いているなんて……』
と呆れられるのが怖くて。
 
まぁ、
渚の母がよく言う言葉ですが。
 
しかし、
 
本郷君は目を丸くした後。
 
本郷君:『…………ははっ、あはははははっ』
 
と、笑い出しました。
 
本郷君:『……僕の見た目を見て、その感想……。はは、……ふ、あははははっ。あな、……はは、あなたの頭の方がよほどファンタジー……あはははっ』
 
あっけにとられていると、
熊田リーダーが助け舟を出します。
 
熊田リーダー:『本郷君、実は一度笑うと止まらない子なのよ。……まぁ、害はないから、放っておいていいわ』

渚:『そうなんですか? すごく腹筋が鍛えられそうですよね』

本郷君:『ふ、……腹筋って、ふふ、…………あはははは』

熊田リーダー:『もうこうなったら、何言っても笑うから、解決策は気にしないことよ。この子に聞きたかったことはわたしが教えるから。こっちにいらっしゃい、なぎちゃん』

渚:『……はぁ』
 
1人笑いが止まらない
本郷君を残して、
 
渚は
熊田リーダーの机に
向かいます。
 
笑い声が響く部屋の中で、
渚は不思議な気持ちになります。
 
先週までは
冷たい空間だったのに、
 
今は
暖かい空気が辺りを満たしています。
 
 
ちらりと
視線を自分の机に向けると、
 
カバンについている
う~たん似のストラップが
 
にこりと
笑った気がしました。
 

 
河野部長:『とりあえず、問題が解決してよかったな』

熊田リーダー:『まぁ、遠慮さえなければ、なぎちゃんは優秀な社員だからね』
 
熊田リーダーは
携帯をかけながら、
 
渚の書類の確認を
しています。
 
渚も本郷君も
今日は既に帰社済みです。
 
河野部長:『そもそも、海外部門にいって、大抵のものが躓くのが言語の壁だ。それなのに、佐藤さんはそれを難なくクリアした後の、人間関係』
熊田リーダー:『あの子、自己評価、すごく低いわよね? 自分のできる範囲は大したことないって思ってるんじゃないの?』
 

先週のミスは
焦り過ぎたからの凡ミス。
 
それ以外の仕事は
自分や本郷君に聞いた後から
 
処理スピードも
格段に上がりました。
 
この書類も
少し手直しをすれば
良いほどの出来になりました。
 
熊田リーダー:『まぁ、それもおいおい対応していくわ』

河野部長:『……あぁ、よろしく頼む』

熊田リーダー:『……ふふ』

河野部長:『……何だ、気持ちの悪い』

熊田リーダー:『いいえ。鉄仮面も人の血が通ってたのねぇって話』

河野部長:『……切るぞ』
 
一方的に切れた電話に、
熊田リーダーは喉を鳴らして笑うのでした。
 
 
―☆―
 
おかめさん:『あら、ハリィ。今日は1人なの? めずらしいわね』
 
オカメインコのおかめさんは
ハリネズミのハリィに声をかけます。
 
 
ゆるゆる島の生き物たちは
全員が知り合い同士。
 
ハリィは
う~たんとりりぃと仲がよく、
 
よく一緒に
島の中を歩き回っています。
 
 
ハリィ:『う~たんもりりぃも人間に会いに行ったんだ。おいらだけを残して』
 
ハリィが
ぽそりとつぶやきます。
 
パンダのパンさんとも
仲がいいハリィですが、
 
パンさんは
基本的にはいつもお昼寝中。
 
う~たんたちと
行動をともにすることが多いハリィは
 
う~たんやりりぃがいないと
1匹ぼっちです。
 
おかめさん:『あぁ、“なぎ”ちゃんだったかしら。いいわねぇ。新しいおともだちと一緒なんて』
 
おかめさんが
ふんわりほほ笑む中、
 
ハリィは
目を細めて空を見上げます。
 
 
ハリィ:『おいらだって、一緒に遊びに行きたかったのに……』
 
 
ハリィのつぶやきは
島に吹く風とともに
 
その場を
通り過ぎていきました。
 
 
―☆―
 
夢の中で喜び合う
渚とう~たんとりりぃを
 
かみさまは
水晶越しに見つめます。
 
 

かみさま:『ふぅん。なるほど。う~たんだけでなく、ゆるゆる島の生き物たちも、大切なものを人へ教えてくれる、いいアドバイザーになりそうですね……ふふふふ。いいですね、いいですね』

天使:『…………(絶対に悪だくみをしてそう)』
 
 
かみさまが
あくどい笑みを浮かべる中、
 
天使たちは
少しだけ心配そうな顔をして
水晶を見つめるのでした。
 

2.あとがき


2話が終了しましたが、
いかがだったでしょうか?

話は
ぶわ~っと湧き上がってくるも、

それを
ざざっと書き留めて、

何とか
お話しの形にする作業

毎回
時間がかかります 笑。

まぁ、
その間がすごく楽しいので、

わたしとしては
毎回満足なのですが^ ^

日常生活の中に

知らず知らずに
出来上がった『思い込み』って

ありませんか?

もはや

自分の一部なので、
その『思い込み』の存在に気づかず、

自動的に
分や相手を判断していることって

案外
多いことだと思うのです。

それだからこそ、

省エネルギーで
毎日が送れている事実

確かにある
でしょう。

けれど、

時として

自分や相手を縛っている重荷にも
なり得ます。

だからこそ、

苦しくなったときは

自分にも相手にも
優しい選択の1つ
として

その『思い込み』を
手放してみること

必要なことかな
と感じます。

けれど、

その『思い込み』は
『悪者』では決してありません。

自分が傷つかないため、
相手を傷つけないため

優しさからくる『思い込み』でもある

思います。

だから、

『今までありがとうね』

って

笑顔で送り出せればいいのかな

と。

いやいや、

あたしは、オレは
この思い込みとともに生きていく!

という方は
無理に手放す必要はありません。

ただ、

もし
今苦しくて

それが
『思い込み』によるもので、

自分でも
この『思い込み』を手放せれば楽かなぁ

と思うのであれば、

『えいや!』

手放すのも1つの方法です。

それで、

『やっぱり違かったわ!!』

と思ったら、

拾い直せば
ソレでヨシ! 笑笑。

ではでは、

結びに、

あなたの心が
ゆるゆるとゆるまっていきますように……。

3.0、1話、番外編へのリンク(R5.6.27追記)


以前の話は
以下のリンクから。

1話には
主なキャラクター紹介
しています^ ^


【0話】


【日本語朗読版】(R5.5.21追記)

【英語版】

【フランス語版】


【1話】


【番外編】


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