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CDライナーノーツ、指揮者インタヴューの全文転載:ローター・ツァグロゼク指揮、読売日本交響楽団、ブルックナー作曲《交響曲第7番》

このたび、ローター・ツァグロゼク指揮読売日本交響楽団、ブルックナー作曲《交響曲第7番》の2019年2月22日サントリーホールでのコンサートのライブ録音のCDが発売されます。(上記写真:©読売日本交響楽団 撮影=青柳聡)


この時のコンサートは1回だけでした。ちなみに複数回のコンサートの場合は可能な修正等もできず、全くのライブ録音です。
私もサントリーホールで聴いていたのですが、これは名演でした。
オーケストラが引いた後もマエストロが単身、拍手で呼び出されるという喝采を受けました。

これについては多くの方がブログなどで書いていらっしゃいますが、ここに音楽評論家の東条碩夫さんのブログを紹介しておきます。


さて、このCDのライナーノーツは、私がマエストロにインタビューをして構成・執筆しました。
このライナーノーツのうち、私が執筆した分をCD制作者のALTUS MUSICの齋藤啓介さんの承認を得て、ここに全文掲載します。約8000字に及ぶ、ライナーノーツとしてはかなりの長文です。
ただ、ライナーノーツとフォームが違うので、字間や形式に見にくい部分があるかもしれませんが、そこはどうぞご容赦ください。

以下をご一読いただき、ぜひこのCDを購入してお聴きいただければ幸いです。

★★★

「ブルックナーはライトモチーフで交響曲を構築するという、 稀有な仕事をしているのです」
ローター・ツァグロゼクが語るブルックナー《交響曲第7番》

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2019 年2月 22 日、ローター・ツァグロゼクが読売日本交響楽団を客演指揮した。プログラムはリーム《インス・オッフェネ》とブルックナー《交響曲第7番》。こ のうち、ブルックナー《交響曲第7番》が CD化されることになった。もちろんライブ・レコーディング、しかも1回限りのコンサートだ。
このコンサートから4年以上が経過した。4年の間にパンデミックとロシアによるウクライナへの軍事侵攻が起き、世界中が混乱し、激変した。『それ以前』の音楽体験をいま、耳にすると、この間に起きた様々なことが脳裏に浮かび、独特の感慨を覚える。
このコンサートを聴いた方は『あのとき』に思いを馳せながら、そして、聴くことができなかった方は、過去との新しい出会いの喜びを胸に聴いていただければと思う。
ここでは当時のコンサート、そしてブルックナー《交響曲第7番》について、ツァグロゼクに語ってもらった。 インタヴューは2023 年7月13 日、電話で行った。

インタヴュー・翻訳・構成:来住千保美 (Chihomi Kishi)

***で区切った註は来住によるもの。 (Z:ツァグロゼク、K:来住)


K:まず、このCD 制作に至った経緯です。きっかけは20年ほど前に遡ります。CD の制作者であるアルトゥス・ミュージックの斎藤啓介さんが、あなたが当時、音楽総監督をつとめていたシュトゥットガルト・オペラのワーグナー《ニーベルングの指環》のチクルス上演をシュトゥットガルトで観たそうです。その折、あなたの音楽づくりと指揮に深い感銘を受け、是非あなたが指揮するシンフォニー・コンサートも聴きたいと思い、シュ トゥットガルトを再訪したそうです。そのときのプロ グラムがブルックナー《交響曲第7番》。あなたの音楽解釈とオーケストラの演奏に深く感動し、機会があれば、あなたの指揮するブルックナーの《交響曲第7番》 をぜひ記録に残したいと思い続けていたそうです。 2019 年2月22 日、読売日本交響楽団(以下、読響) でのブルックナー《交響曲第7番》の客演指揮が実現しました。東京サントリーホールでした。
齋藤さんは20年越しの思いがやっと叶い、コンサートのライヴ録音をしたのですが、いまや CD が売れない時代になっています。加えてパンデミックとロシアの ウクライナ侵攻、エネルギー危機、環境問題、経済の混乱で音楽環境も大きな影響を受けています。しかし、厳しい状況の中、齋藤さんの熱意と読響の多大なる協力でCD 制作と発売にこぎつけました。

Z:齋藤さんの強い意志と20 年にわたる粘り強さ、そして勇気には感服すると共に関係者の皆さんに心から感謝します。もちろん読響の素晴らしい演奏がなけれ ば、録音を世に出すことに対し、私自身も簡単に承諾できなかったと思います。

K:コンサートから4年以上が経ちましたが、当時の印象や思い出をお聞かせください。

Z:2019 年のコンサート以前に私が読響を指揮したのは1回だけでした。2016年3月、二つのプログラムで3 回のコンサートでした。プログラムはベートーヴェン
《交響曲第3番》、ブラームス《悲劇的序曲》と《交響曲第1番》、R. シュトラス《メタモルフォーゼン》、コダーイ《ハーリ・ヤーノシュ組曲》、ベンジャミン《ダンス・フィギュア 》(日本初演) でした 。つまり19世紀から21 世紀まで、時代の違う様々な作曲家の作品を指揮したのですが、そのとき、読響はそれぞれの様式に適った演奏スタイルをつくる能力が高いと思いました。とりわけ、響きの構築力が素晴らしかったのです。周知のように、ブルックナーはワーグナーから大きな影響を受けました。特にその響きです。ブルックナーの交響曲を演奏するにあたり、特に難しいのは響きの作り方で す。オーケストラのメンバーの方たちは大変フレキシブルで集中度が高く、このとき、読響ならブルックナーを一緒に演奏できると確信しました。
齋藤さんがお聴きになったシュトゥットガルト・オペラのオーケストラとは《ニーベルングの指環》をはじめ、素晴らしいワーグナー演奏をすることができました。オーケストラとの大きな信頼関係を構築し、響きを作り上げることができ、その結果ブルックナーをとり上げることにしたのです。

K:読響はオペラ劇場専属のオーケストラではありませ ん。それに、あなた自身、それまで読響でワーグナー作品指揮をしたことがないのに、ブルックナー作品指揮を、しかも2回目の客演で指揮するというのは大きな挑戦ではありませんでしたか?

Z:繰り返しますが、読響とブルックナー演奏をしたいと思った決め手は読響の演奏スタイルを作る能力と響きの構築力の高さです。リハーサルではとてもリアクションがよく、こちらが 望んだことを真摯にすぐ実現してくれました。これはリハーサル時間が短い場合、とても重要なことです。また言われたことをすぐ実現でき個々の演奏能力のレベルが高いだけではなく、加えてメンバーの創造力が高い。「ブルックナーを」という私の希望を叶えていただいた読響にとても感謝しています。

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「短いリハーサル時間」について説明を加えておこう。 2019 年読響でのブルックナー《第7番》のリハーサルは4日間、ホールでのサウンド・チェックを含め、合計 約9時間だった。ブルックナー指揮者として知られる ギュンター・ヴァント(1912 ー 2002)が 2000 年前後、それまで何度も指揮をしていたベルリン・フィルや自身が首席指揮者だった北ドイツ放送交響楽団(現 NDR エルプフィルハルモニー管弦楽団)でのブルックナーの交響曲のリハーサルに5日間、20時間近く(これには全曲を通すゲネプロを含まない)を要していた ことに鑑みると格段に短い。
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K:では、ブルックナーの交響曲の中で、なぜ《第7番》を希望されたのですか?

Z:《第7番》は、鍵となる作品だからです。《第7番》を最初に指揮したのはもう 40 年ほど前にな ると思います。これまで首席指揮者を務めたオーケストラでは必ず《第7番》を指揮しました。ブルックナーはワーグナーをたいへん尊敬していま した。大きな影響を受けました。加えて《第7番》は特別な意味があります。というのも《第7番》の作曲中にワーグナーが亡くなったからです。

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ブルックナーは1883 年1月 22 日、第2楽章のスケッチを終えている。この時期、ブルックナーは崇拝するワーグナーの健康状態を気にしていた。2月13 日、 ワーグナーが亡くなった。ブルックナーは第2楽章の仕上げにかかっていたが、終結部分はまだだった。そ こで2番目のコーダとして楽譜記号『X』以降を〈ワーグナーへの哀悼〉とした。第2楽章が完成したのは同年4月 21 日だった。
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Z:ブルックナーは第2楽章と第4楽章でワーグナー・テューバを使っています。第2楽章の最後、『葬送の音楽』をワーグナー・テューバに演奏させています。しかしこれは第2楽章の冒頭4小節と同じです。このモチーフは『死のライトモチーフ』であり、作品全体の重要かつ本質的なライトモチーフです。ライトモチーフという とワーグナー《ニーベルングの指環》を思われると思いますが、しかしブルックナーはワーグナーの単なるイミテーションではありません。 また、ブルックナー作品指揮にあたり、ワーグナー作品への理解なしには指揮は不可能だと思います。

K:1884年ライプツィヒで《第7番》の世界初演指揮し たアルトゥール・ニキシュ、その後《第7番》を「ベートーヴェン亡き後の最高傑作」としてミュンヘンで指揮したヘルマン・レヴィは二人ともワーグナー指揮者でし たね。

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《第7番》のミュンヘン初演の翌日、ブルックナーは王立オペラでの《ワルキューレ》公演に足を運んだ。このとき、レヴィはブルックナーを《第7番》第2楽章 の葬送曲で迎えたという。ちなみに《第7番》第2楽章の葬送曲と《ワルキューレ》第2幕の〈死の告知〉との関連性も記しておこう。
そしてこのとき、レヴィの勧めで、《第7番》はバイエルン王ルートヴィヒ2世に献呈された。ノイシュヴァンシュタイン城などの建設で有名なルートヴィヒ2世 はワーグナーの大パトロンだった。
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Z:ブルックナーは《第7番》で初めて大成功しました。 これにはミュンヘン初演を指揮したヘルマン・レヴィの力が大きかったと思います。レヴィはその後、各地で
《第7番》を紹介し、1886 年にはボストン、ニューヨーク、シカゴでも演奏されています。それまで田舎者だったブルックナーが一躍、世界の音楽シーンの中心に躍り出たのです。

K:ただ、《第7番》は「各楽章のバランスが悪い。つまり第1楽章と第2楽章の充実ぶりに第3楽章と第4 楽章が及ばない」という批判もありますね。

Z:それは大きな誤解です。「3楽章と4楽章が落ちる」 というのは理由が分かりませんし、ブルックナーの交響曲の作り方に対する無理解と言えるでしょう。
《第7番》では音楽的なゴールが大変明確です。ゴールに向かう意識もとても鮮明です。簡単に説明しましょう。最終楽章最後の9小節では第1楽章の最初のモチーフが採用されています。第2楽章と第4楽章の開始も同様です。冒頭チェロとホルンで提示されるこのモチーフは、スケルツォ楽章は例外的ですが、全ての楽章に頻出します。このモチーフとテーマは非常によく仕事を施されて展開します。対位法や和声、転調、リズム、管弦楽法など音楽、作曲技法を駆使し、手をかえ品をかえて出現します。 こうしてベールに包み、違う服を着せたものが、最後にはっきりと堂々と姿を顕すのです。これは優秀な職人の壮大な仕事です。《第7番》の仕事の質的内容、つま り作曲技法、意味付けとそのバランスは交響曲というジャンルの中で、記念碑的なものだと思います。先ほども少し触れましたが、ブルックナーはライトモチーフで交響曲を構築するという、稀有な仕事をしています。

K:調性についてお尋ねします。《第7番》はホ長調ー 嬰ハ短調ーイ短調ーホ長調という構成です。ブルックナーの交響曲でホ長調が使われているのは《第7番》以外では《第9番》の最終楽章しかありません。

Z:そこでまず思うのはベートーヴェンです。ブルックナーはベートーヴェンを神のように崇拝していました。 そのベートーヴェンは交響曲に1回もホ長調を採用し ていません。ブルックナーも《第7番》までホ長調を使っていません。尊敬していた師が採用していない調性をここで初めて使用したことにはやはり大きな意味が あると思います。

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交響曲におけるホ長調の採用はとても少ない。マーラーも《交響曲第4番》の最終楽章で1回使っているだけだ。そしてここではソプラノが『天上の楽しさ』を歌う。
ブルックナーの《第7番》第2楽章『ワーグナーの葬送』は嬰ハ短調。つまりホ長調に続く近親調だ。マーラーは《第4番》に続く《第5番》つまりトランペッ トの葬送で始まる《第5番》に嬰ハ短調を採用してい る。天上的なホ長調と死の嬰ハ短調とは隣り合わせだ。
ちなみに 19 世紀に作曲された『葬送曲』として、ベー トーヴェン《交響曲第3番》第2楽章とワーグナー 《神々の黄昏》の〈ジークフリートの葬送〉、そしてブ ルックナー《第7番》第2楽章が『三大葬送曲』とされるが、ベートーヴェンとワーグナーは共にハ短調を採用している。
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K:ブルックナーの交響曲における宗教性、特にキリスト教、カトリックについてはいかがでしょう?

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ブルックナーはザンクト・フローリアン修道院の聖歌隊員であり、リンツ大聖堂のオルガニストだった。ブルックナーはカトリックの道徳規範に忠実で敬虔だっが、ブラームスはそんなブルックナーのことを『ザ ンクト・フローリアンの貧しい狂った坊主』と嘲笑し た。ブルックナーは「私は、神が私に与えた能力に対し私 自身がなすべきことを知っている」と記している。
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Z:ブルックナーはスピリチュアルな背景を持っていました。それがブルックナーを何か神秘的なものの表現に導いたと思います。ブルックナーは神秘的な存在に近づこうとし、おそらくその存在と内的なコンタクトができたのだと思いま す。音楽はそのための方法だったし、ブルックナーは音楽にその力があることを信じていたと思います。 ベートーヴェンの話に戻りますが、ベートーヴェンの交響曲が弁証法であることに対し、ブルックナーはひたすら語り続けます。弁証法にほとんど興味がないとすら言えます。ベートーヴェンは交響曲を人間のドラマの舞 台としましたが、ブルックナーにとって交響曲は叙事詩を語る場所なのです。 ベートーヴェンとブルックナーの交響曲は全く違う世界です。先ほどの《第7番》の第3楽章と第4楽章に 対する批判もひょっとしたら、ベートーヴェンの交響曲的見地に基づいているのかもしれません。しかし、ブルックナーの交響曲はベートーヴェンの交響曲という『ものさし』でははかれません。

K:ブルックナーの実生活と作曲活動を直接結びつけ、その影響について云々するには確かに注意が必要だと思いますが、あえていうと、例えばブルックナーの女性に対する態度、関係についてはいかがでしょう? 音楽学者たちもまだその点について十分な研究をしていません。

Z:ブルックナーが純粋なカトリック的禁欲さを持った僧侶のようだったかというと、それは違うでしょう。

K:9回プロポーズをしていますね。

Z:いや実はもっとでしょう。しかも求婚相手が全て若い女性です。中には10 代もいて、女性の親が心配のあまりブルックナーに接触禁止を申し渡したこともあります。 ブルックナーは様々な、そして強い憧憬を持っていました。女性に対する思いもその憧憬の一つですし、作曲家としての成功に対する憧憬ももちろんその一つでした。ブルックナーは《第7番》以前の作品を繰り返し改訂していますが、それも成功への憧憬の顕れでしょう。

K:つまり《第7番》は初演後、すぐに認められたので、 いまでいう『承認欲求』が満たされたということでしょうか。

Z:もちろんそうでしょうね。《第7番》がほとんど改 訂されていない理由は、初演直後から大成功したので、 改訂の必要がなかった。そして世界初演直後からボスト ン、ニューヨーク、シカゴと海を越えて次々に演奏され 大成功したので、改訂する時間がなかったし、できなかった。

K:改訂といえば、《第7番》でほとんど唯一の改訂と言われる箇所、問題とされる第2楽章のシンバルについてはいかがでしょう? 例えばヴァントはシンバルを採用していません。

Z:ここではシンバル、トライアングル、ティンパニが 一緒に演奏されます。楽譜記号[W]ですね。周囲の意見を聞き入れたといわれていますが、いずれにしてもブルックナー自身の手による改訂なので、私は採用しています。でも1回きりです。この8小節後には楽譜記号[X]つまりワーグナーの死に対する哀悼が続くので、 シンバルは当然この1回しか使えません。

K:さて、ブルックナーの交響曲の中で何がベストだと思われますか? あるいはどれが一番お好きですか?

Z:《第9番》です。質的、内容的に円熟の境地に達した最高峰だからです。 第3楽章までしかなく未完だと言われていますが、それは表面的なことです。作曲技法の全てを自家薬籠中のものとして、その使用の仕方は完璧です。

K:ヴァントは「ブルックナーは《第9番》の4楽章をつくる時間があったのに、つくらなかった。それ以上はできなかったし、必要もなかった」と言っていましたが 同じ意味ですね。他の交響曲についてはいかがですか?

Z:《第7番》と《第8番》は交響曲史上、記念碑的な壮大な作品です。《第9番》はその壮大さに立脚した上で、その円熟ぶりと充実ぶりはそれまでの作品を凌駕しています。 それから《第5番》。《第5番》はブルックナーの交響曲の一里塚としての特別な意味があります。 《第7番》、《第8番》と指揮をしたら次は《第9番》 ですね。そして《第5番》。それに続き、《第4番》と《第6番》です。

K:ブルックナーを指揮するには歳を重ねる必要がある、歳をとった指揮者しかできない、という意見がありますが。

Z:ブルックナー自身も歳をとってから作曲を始めました。確かに経験を積むことで、作品への理解がより深まり集中度も精度が高くなるかと思います。だからと言って年齢が決定的だとは思いません。歳は関係なく、若い指揮者も勉強を重ねれば十分素晴らしい指揮ができると思います。

K:以前、クルト・ザンデルリンク(1912 ー 2011)が「ブルックナーを指揮するときはオーケストラに任せていれば音楽が流れるので、ハイドンやモーツァルトより
楽なんだよ」とおっしゃったことがあります。

Z:ブルックナーの交響曲はまずスケールが違います。 ハイドンやモーツァルトの時代の作品は 19 世紀後半以降の作品と大きく違い、難しさが違います。19 世紀後 半以降のオーケストラという大きくて複雑な機構、組織をコントロールするのは並大抵ではありません。演奏時間も長く、壮大な作品を最後まで緊張感を持たせるのは大変なことです。一瞬たりとも気を抜くことができず、 とてつもなく深く、研ぎ澄まされた集中力が必要です。

K:集中力については聴く方も同じですね。日本の聴衆についてはいかがですか?

Z:日本の聴衆の音楽を聴くときの集中力は素晴らしい。コンサート中の音楽的情報についてとても敏感で、理解力に優れ、まず受け留めてくれることに感動します。指揮していても背中で感じます。そして音楽に感動する力が大きく、それをストレートに表出してくれます。このときの《第7番》では特にその感じを受けました。
コンサート直後サイン会がありましたが、それに約1時間半かかった記憶があります。たくさんの人が言葉をかけてくれて、周囲の人も事務的に急かすことがなく、あのときのことは忘れられません。 演奏については微細な傷もあったかと思いますし、それもCD で耳にするかと思いますが、傷があってもそれが生のコンサートというものです。このときの音楽体験の深さは、そのような瑕疵をはるかに超越、凌駕してい ると思います。

K:1954年7月、レオポルト・ノヴァークは《第7番》のことを「自然素朴な《第6番》と深くドラマティックな《第8番》の間にあって《第7番》は快活だが、しか し人生の重さを知っている」と評しています。 敬愛するワーグナーの死というライトモチーフに特徴づけられた《第7番》ですが、一方で明るく、喜びに通じる音楽でもあります。死と向き合い、だからこそ死と表裏一体である生の意味が鮮明になり、同時に生の喜びを確認できる・・・

Z:《第7番》は、肯定的な世界観を持っていると思います。それがブルックナーが初めて《第7番》で成功した理由ではないかと思います。

K:今から約 140 年前の世界初演当時のライプツィヒ、 それに続くミュンヘンやアメリカの聴衆も、そして現代の東京の聴衆も同じようにその肯定的な世界観を受け取ったのでしょう。時空を超えて私たちに何かを与え、前進させ、そして救済に導いてくれる・・・

Z:それがブルックナーの交響曲の、そして音楽の力だと思います。

(了)


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代表:来住 千保美(Chihomi Kishi)
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