オペラ:ベッリーニ作曲《夢遊病の女》、7月3日、ミュンヘン・ゲルトナープラッツテアター、Gärtnerplatztheater
7月3日、ミュンヘンのゲルトナープラッツテアターでヴィンチェンツォ・ベッリーニ作曲《夢遊病の女》を観ました。プレミエは15年10月8日、これが18回目の公演でした。
私が『夢遊病』という言葉を知ったのは、《アルプスの少女ハイジ》でした。
フランクフルトに連れて行かれたハイジが、アルプスの自然とおじいさんに会えず、夢遊病になってさまようという場面でした。
先日『ハイジ村』に行ったばかりだったのですが、特に夢遊病を意識していたわけではなく、まったくの偶然です。→
《夢遊病の女》の舞台はこれまた、スイス、アルプスの村です。
1831年初頭、ベッリーニと彼の台本作家フェリーチェ・ロマーニは新作オペラの依頼を受けました。いろいろあったのですが、結局1831年3月6日、ミラノで世界初演されました(ものすごい早書きです!)。
センセーショナルな大成功を受け、多くの劇場が取り上げ、1835年にはもうニューヨークで初演されています。
『ベルカント・オペラ』の代表的作品として、とても有名ですし、歌だけでも、もちろん極上の楽しみです。
しかし、当たり前のことですが、この作品の時代的背景を知ることにより、そして演出家の知識と教養、演出力で、作品の受け止め方と理解が大きく変わってきます。
ざっと説明すると・・・
『啓蒙の世紀』の終わりに、崇高な理念を掲げたフランス革命が起こりますが(1789年)、あまりに残虐なことが続き、内戦状態になり人々は呆然としてしまいます。
フランス国内だけではなく、ヨーロッパが大混乱になり、ナポレオンが登場し、ヨーロッパは戦場になります。
ナポレオン後、ヨーロッパの秩序回復を目指したウィーン会議は時代錯誤的な復古主義で、民族主義、ナショナリズムが高揚します(19世紀のイタリアはリソルジメント)。
《夢遊病の女》が作られたのはこの時代でした。
作曲家としては、ベルカントの代表ロッシー二は1829年《ウィリアム・テル》を作曲、これが彼のオペラ作品の最後でした。
パリでは『グランドオペラ』のマイヤーベーアが大人気でした。
しかし、ヴェルディやワーグナーは共にまだ若い(2人とも1813年生まれ)。
この時代に、平和を保っているように見えるスイスの村を舞台に、(おバカな)恋人エルヴィーノに疑われ、裏切られる清純無垢なアミーナ。彼女を救うのは、村に突然現れたよそ者の、理知的で教養のあるロドルフォ(実はロドルフォは村で子供時代を過ごした貴族)。ロドルフォは、『夜な夜な現れるのは幽霊ではなく、アミーナであり、それは病気のせいだ』ということを、素朴で学がなく、迷信深い人たちに説明し、アミーナを救うわけです。
単純な話のようですが、しかけがいろいろあります。
たとえば、ロドルフォは実はアミーナの父ではないか、という示唆もあるし、そもそも貴族のロドルフォが、なぜスイスの片田舎で育ち、出奔し、また帰ってきたのか・・・
それにしても、エルヴィーノのような、しょうもない男がよくモテるんですよね。アミーナとリーザから恋焦がれられるエルヴィーノは金持ちとはいえ、スイスの田舎の村のことだし、知性とは遠い。嫉妬深いし、アミーナを捨てて、以前の恋人リーザとすぐよりを戻す。ま、現代の現実社会でも同様なことはあります。
プログラム。
それにベッリーニは《夢遊病の女》と相前後して、《ノルマ》を作曲。
ノルマも愛する男性に裏切られ、彼女を取り巻く社会の圧力はとてつもなく強力で残酷ですが、ノルマはアミーナと真逆の女性です。
しかもこの2作品を作曲した時、まだ30歳で、その4年後には亡くなってしまいます。
それにフロイトが出てくる約70年前です。
こんなことを考えながら上演を観ていたのですが、演出と美術は多くの人、特に日本人が嫌う「読み替え」ではなく、普通に受け入れられるものでした。
満場の客は、大きな拍手で歌手を讃えていました。特にアミーナ役は声もぴったりで歌唱技術も素晴らしい。
FOTO:(c)Kishi
以下は劇場提供の写真です。
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