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仕事と私:2


 飲食店を辞めたあと、自宅からほど近くのコンビニでのアルバイトを始めた。高校2~3年の頃のことで、卒業するまでと決めていた。主な業務はレジや商品の前出し。土日の日中は積極的な声出しを要求され
「本日肉まんがお買い得でーす!いかがでしょうかー!」
などとスタッフの声が響き渡り、活気があった。逆に、平日の学校終わりから夜までのシフトでは、レジでただぼうっと待機していることが多く、比較的静かだった。接客業務は好きだったし、特にキツいと感じることもなく、楽しい仕事だった。

 ひとつ年下の別の高校生アルバイトが、商品発注の一部を担当していた。同じチェーンの別の店舗で発注業務を経験していたから、という理由だった。何か月かやっていれば、私にも担当が回ってくるのだろうと勝手に思っていた。しかし、その後発注を任されることはなく、なんとなく劣等感を抱いていた。反対に、自信がついたこともあった。時期によって強化される注文商品のPOPをつくると、パートの方がいつも褒めてくれて、目の前でその商品が注文されるだけで何だか嬉しかった。この経験は後に、他の仕事でも活きてくるのである。

 全国にあるコンビニのほとんどはフランチャイズ経営であることを、この時期に知った。社会経験2つ目だった私にとって、働き始めたときは“オーナー”と“店長”がそれぞれいることに違和感があった。オーナーは少し年配で、怒ると恐かった。店長はゆるりとした態度でとても優しかった。私がシフトに入る時間帯は、店長が居ることが多かったので、ギリギリの時刻に出勤しても特段何も言われなかった。当時おそらく大学生だったオーナーの息子さんもアルバイトとして勤務していて、彼もまた遅刻ギリギリ常習犯であった。出退勤の際、タイムカードの役割をするのは、バックヤードにあるPCに制服の胸ポケットにつけた名札のバーコードを読みこむ方法だった。その日、本当に遅刻しそうなギリギリだった私は、ロッカーから制服を手に取り、着ずにそのままPCに一目散し名札をスキャン、ギリギリセーフ。数日前にオーナーの息子さんがそうしていたのを思い出し、真似したのだ。顔を上げると、そこにいたのは店長ではなくオーナーだった。出勤準備ができていないのに打刻するなんて何事だ、と叱られた。
(いやお宅の息子さんがやってましたけどぉーーー!?)
と言い返したい気持ちを必死で抑え、平謝りして制服を着た。きっと彼は、オーナーがいるときにそんなことはしないのだろう。そういえば店長も、オーナーの前では私たちアルバイトに何か指導するような素振りを見せていたかもしれない。ただ真面目に仕事をするだけではなく、“うまくやること”も、社会人として生き抜いていく上で大事だと学んだ。


 高校卒業後の進路を決めなければならない時期。私は、自分が何をしたいのか分析できていなかった。母親に相談すると、
「学びたい分野があるなら、無理してでも学費を工面してあげる。特にないなら、就職して家にお金を入れてくれると助かるなあ。」
と言われ、考えた。周りの友達のほとんどが進学すると決めている中、それほど裕福な家庭ではなかったのだ。残念ながら当時勉強自体が嫌いだったからか、特別学びたい分野は頭に浮かんでこなかった。それならば、早く社会に出て人の役に立つことができるのではないかと思い、決断した。高校生で就活する場合、少なくとも当時は、学校で就職先を紹介してもらい、応募する形だった。ちょうどリーマンショックが起きた年だった。


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