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カンヅメ!【掌編小説】

 「いいかげんにしてください」
 締切はとっくに過ぎていた。いいかげん、ラップと、自分自身と向き合わなければならない。
 締切という一番重い制約ですら、俺を奮い立たせてくれないのか。二か月前に依頼された歌詞が、現在全く書けていなかった。
 「先方にはあと一日だけ待ってもらえるよう、さんざん謝りましたからね」
 マネージャーの語気は荒い。申し訳ない。
 俺は自らにさらに制約を課すことにした。このまま家にいても作業は捗らない。無駄に散らかったデスクを見て溜息をつく。スマホを手に取りできるだけ人里離れた宿を予約する。誘惑を断ち集中しよう。
 そう、カンヅメだ。
 

 とある旅館。十六時、急いでチェックインをする。翌日の十一時チェックアウトまでの勝負。
 和室十二畳。真ん中にあるえんじ色の卓は光沢を放ち、茶と和菓子の包みが置かれていた。整然とした空間に掛け軸がかかりジャポニズムを感じる。
 しかしまあ今回のクライアントが地獄だった。温泉街のPRソングを、三十秒CⅯで流す用に作ってほしいという依頼だった。
 「現在、インバウンドの需要が高まっていることから、日本文化を見直そうという流れがあると思うんですよね」
 先方が会議でテーマを語る。
 「温泉でしたり、お茶の文化。うつわも美術的にとても関心が高まっています。日本酒は海外でも評価されていますから、それを絡めた旅ということで、また社長からは今回あなたの腕を見込んで、そこに読むこと、書くことというテーマも入れてほしいと」
 え? さっそく俺の思考は止まっていた。
 「つまりテーマは温泉が一つめ。そこにお茶とうつわ、さらに日本酒で四つですね。それを五つ目の旅でまとめて、六、七、読むことと書くことを盛り込む、と」
 「はい」
 「リリックにですか」
 「リリックにです」
 「そんなうまいことできますかねえ」
 
 とりあえずせっかく来たのだからと大浴場に行く。サウナも付いていた。  
 幸せかよ。
 二セットして部屋へ戻る。湯呑に淹れた玉緑茶を啜る。美味い。
 何か、良い事が浮かびそうだった。
 俺は畳に上にダイノジになった。天井を見つめる。
 『温泉行こう、お茶飲もう、うつわに関心、マハトマガンジー』
 うん。
 ダメな気がする。自分の才能のなさに愕然とした。環境を変えただけで書けたら恐ろしいわ。しかし、歴代の文豪たちは、温泉宿でカンヅメになって書くことで外界と距離を置き、内なる物語との対話を深めたと聞く。何が俺に足りないのか。才能か。背中が畳にくっついて離れない。
 視線を窓側に移すと、落ちていく夕日と目が合った。
 オレンジが赤みを帯びて燃えていて、山々や周囲の風景を染めていた。この部屋の俺の頬すらも染めていきそうな勢いだった。
 アイディアが浮かんでくる人が羨ましい。何がクリエイティブだよ。俺はただ待つ。リミットは迫っている。というか過ぎている。そもそもラッパーになれたのだって偶然だった。真似事を遊びであげた動画が何人かの目に留まって、一瞬有名になっただけだ。実力以上の運が出たに過ぎない。そう、実力以上。こうして依頼をしてくれる人もいて応えたいとする気持ちがまた、自分の実力以上のことなのだ。おこがましい。俺はただこの宿に逃げてきただけであった。酒に逃避するのは、いささか罪悪感があったので、緑茶をぐいぐいと煽った。売店で饅頭を買う。甘いものは脳に良い。しかし、せっかくの宿も、十二分に楽しめない気すらしてきた。早いところラップを作ってしまえば、滞在時間を有意義に過ごせるのに。
 だらだらと夜になり、夕食をとり、もう一度風呂に入った。
 身体は健康的にととのっていった。
 俺は何かが生まれる気配を、全身の細胞を敏感にして待っていた。
 切れ切れに浮かんだ言葉は、こんな時に限って何だか全て嘘くさくて、続きを紡げなかった。
 
 無理か。
 じっとしていられなくて宿の外を歩いた。
 トボトボと。
 月はきれいに満ちていて、夜空には無数の星が輝いていた。
 やや温い風は、直にくる春の訪れを現していて、季節の巡りに胸が一杯になった。今日見て感じた風景を誰かに話したくなった。
 身体一つで知らない土地にいることが新鮮に思えた。
 
 部屋に戻って心が赴くままに言葉を書き記した。
 これがラップになるのかCⅯソングに採用されるのかわからない。
 でも書き終わった。眠ってもいいだろうか。いつのまにか敷かれている布団は暖かい。安心して、俺は眼を瞑った。
 諦めなくて、よかった。


 
何にも考えないことをほめよう 無理をしようとする自分を止めよう
そんでいっそ泊まろう 旅館やホテル 温泉に浸かり日常は溶ける
解ける心身で見るうつわすら美しいわ 朝は緑茶 夜は日本酒で乾杯ウララ
津々浦々旅に出る この国に生まれた喜び噛みしめる
ふと心にきみが 今何してる 手紙にしたためる 愛してる
書くのはやっぱり照れくさいな 読むのもきっと えっ うるさいわ
静けさにつつまれる宿 自分との対話 クウネルアソブ 
次来るときは絶対誘う友達や家族

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