まわりみち。【短編小説】
きっかけはマイからの連絡だった。
「久しぶり。春先に高校の同窓会するからさ、みなもも来てよね」
「十年ぶり?」
「そう、いいでしょ」
今年二十八になる。気が付いたら、という表現がぴったりなほど卒業してからの十年間はあっという間に過ぎた。地元である木更津市の高校で過ごした私の青春。
「うん」
当時の思い出を脳内で振り返ることはほとんどない。社会にしがみついていると、日々の生活を優先してしまう。この十年、生きるだけで私なりに精一杯だった。何にも考えずに三流大学へ進学。ほどほどに友達と遊び、ほどほどにアルバイトした。勉強はまったくせずに、単位を取る方法だけを覚えた。あの日々の延長線上に、確かに私はいる。笑える。人間はしょせん昨日生きた結果でしかないのだ。特にやりたいことも見つけられないまま、雑貨店でアルバイトを始めた。瞬く間に五年が経ち、二店舗目が新規オープンする際に、新店へ異動となった。松戸市に単身引っ越す。社員になり店長へ昇格した。給料の手取りはバイトの頃とそんなに変わらない。増えた責任だけがまとわりついて、四月のオープンから胃の痛い日々が続いた。
「ねえ、そういえば宮本と連絡とってる?」
コウちゃん──。宮本という名前に私はどきりとした。
「とってないよ」
同窓会にコウちゃんも来るだろうか。最後に会ったのはいつだっけ。私は暫く開かずにいた思い出の扉の前に立っている。
「マジか、みなもって宮本と仲良かったから知ってるかと思った」
「連絡取れないの?」
私はマイに探ってみたけど、彼女は笑い飛ばす。
「十年も経っているから、そりゃ音信不通も何人かはいるよねー。日時と場所、ちゃんと決まったらラインするね」
マイの通話が切れた。確かに彼女の言う通り。私は、私の高校生活を思い出す時、その風景の中にいつも宮本、コウちゃんは隣にいた。
コウちゃんと連絡を取らなくなったのは、二十二歳の頃。
私はコウちゃんが好きだった。だから、コウちゃんと連絡が取れなくなったのはとても悲しい出来事だった。ヴィヴィットな悲しみは、時間の流れが薄めていってくれたけど、大事な人がいた実感といなくなった実感は、自分の身体の中に今もある。それは、ふとしたきっかけ、例えばマイの一言、例えば懐かしい風景、当時聞いていた音楽、などで開かれていく。そうしたら、もう、私はコウちゃんの事を思い出さずにはいられなかったんだ。
高校三年の冬、コウちゃんがブログを始めた。ウェブ上に書かれている文章は紛れもなくコウちゃん自身の言葉で、消えちゃう会話と違くて、そこにずっと文章があるのが、嬉しかった。自分の考えている事を残しておきたかった、とはじめての投稿には控えめに書かれていた。
私は毎晩、何度も何度もコウちゃんのブログを読んだ。
『もうすぐ卒業。大学生になったり社会人になったり、高校卒業は紛れもなく一つの節目だ。おれはこの先どんな人生を送るのだろう。たまに不安になる。みんなも同じ気持ちなんだろうか』
『卒業した。実感はまだない。泣くかなって思ってたけど、周りのクラスメイトが泣いているのを見たらどこか他人事のように思えてきた。いつも一緒にいるⅯと下校。くだらない話ばかり。でも明日からは違う道だ。違う道を進んでいても、今のような関係でいられるのだろうか。いや、きっと十年後もこの文章をみてバカ笑いするに違いない』
『春。新生活。ブログをはじめて四か月くらい? ホームシックじゃないけど、地元市原を想う。横浜は東京湾を挟んだだけなのに、いろいろと違う。やっぱ都会だ。人のスピードが速くて、流れに流されそう』
当時、私は同じように不安を感じていた。コウちゃんと違う道に進むことを。私は都内の大学へ。コウちゃんは陸上の特待生で神奈川の大学へ進学を決めていた。卒業式の帰り、卒業証書片手に二人で撮ったプリクラ。私はピンクのラメで【一生青春、一生マブダチ】と書いた。
「みなもはさ、住んでいるまちに愛着ってある?」
記憶は文脈もなく溢れ出す。あれは確か、テストが終わって早上がりだった冬の日。電車を待っているとコウちゃんが言った。コウちゃんは黒、私は白。イロチでお揃いのマフラーを巻いていた。
JR内房線の上りホーム。私は木更津に住んでいると言っても、最寄り駅は一つ下った君津駅だった。コウちゃんは五つ上った市原市の五井駅が最寄りだ。進路を決めた私たち二人は、よく千葉駅まで遊びに出かけた。五井から浜野、蘇我、本千葉を越えていくと千葉駅だ。駅ナカがまだ出来ていなかったあの頃。工事中の駅をくぐってファミレス、カラオケ、スタバ、と歩いてだべった。
「木更津? うーんどうだろ。生まれてからずっといるから。それしか知らないって感じ」
「おれはしっくりくるんだよね。今日みたいに千葉まで出て遊んだ日も、学校の帰りも、五井で降りるとホッとする」
「木更津も五井もなーんにもないトコだけどね」
「木更津はキャッツあるじゃん」
「何年前の話よ」
地元が映っているドラマに有名な俳優たちが出ているのは、確かに誇らしく思った。木更津やるじゃんって。地元を出て大人になった現在も、初対面で出身を言う際に何回も助けられた。TⅤの全国放送って根強い。
「市原ってそういうドラマ、物語みたいなのないよね」
「馬鹿にすんな。更科日記があるわ」
「何それ。てかいつの時代よ」
「ちゃんと勉強しろよ。千年前の平安時代、めっちゃクラシック」
「いや、平成の欲しいわ。つーか私のほうが頭いいよね」「いやいや、日本三大日記文学知らないのかよ。てかおれの大学のほうが偏差値高いし」 「コウちゃん陸上推薦でしょうが。話にならねーわ」
声を上げて私たちは笑った。ニシノカナやコウダクミ、カトウミリヤの音楽を口ずさむ。高校生の私たちは、電車に揺られて、お互いのまちにあるものを交互にあげていった。
「海ほたる」「市原ぞうの国」「海」「小湊鉄道」「ヤンキー」「それはどっちもいるじゃん」「強いリーダーシップ」「それはこの国自体にねえし」「アウトレット」「高滝湖、上総国分寺、養老渓谷温泉」「ねえ、ウィキみてるよね」「猫ひろし!」「にゃあ!」
「みなもは潮干狩り、小さい頃から行ってた?」
あさり美味いよな、とコウちゃんが付け足す。
「二回くらいじゃん? 意外と地元のものって食べないんだよね」
何が地元だけで何が関東限定で何がメイドインジャパンなんて、どうでもよかった。高校生の私は好きなものが好きだった。
「じゃあさ、コウちゃんの一番お気に入りの場所は? 私は中の島大橋から見る東京湾!」
「おれは、養老渓谷しか勝たん。疲れた時とかマジ癒されるから」
「やっぱうちら田舎育ちだよね。自然ラブ過ぎ」
「紅葉がベストだけど混むから春もオススメ。みなもも絶対気に入るから一回来てみ」
「うん」
私はコウちゃんが好きだった。コウちゃんは陸上部のエース、人望も厚く校内で人気者。先輩にも後輩にも慕われていた。当然、告白とかアプローチもめっちゃされていたんだけど、恋人を作らなかった。部活も忙しいしめんどくさいというのが、いつも聞かされる理由だった。
「人と付き合うってさ、高校生だとほとんどが結局別れちゃうと思うんだよ。その時間って無駄じゃね? いや、無駄なはずはないって思いたいんだけど。最短をさ、走りたいって思っちゃう。馬鹿なんだよねえ」
だから。友達として私はいつも隣にいた。大人になった今、何を話したとか、どんな風景を一緒に見たとか、コウちゃんといて、現在覚えていることなんて重ねた総時間全体の数パーセントにしか満たないから、結局ほとんどの時間すべてが無駄だったんじゃないかと思う。消えてしまう思い出は記憶の奥底に沈殿していて、それはその気になればいつか思い出せるのかもしれない。でもその気がなかったら? コウちゃんは私の事、たまにでも思い出すのかなあ。
コウちゃんのブログは、二0一五年の十二月で止まっていた。マイと話した後、私はスマホを開いてブックマークの中から暫く開いていなかったブログを探し出した。ワンルームのベランダに出て風に当たる。最後の更新、コウちゃんは養老渓谷に行っていた。何で、ブログを書くことをやめちゃったんだろう。養老渓谷に行ったのがきっかけ? そこで何を思ったんだろう。ずっと胸にしまっていたなぜ? が次々に浮かんで消えていく。冷えてきた身体の内側が火照っている。養老渓谷に行きたい、なぜだかそれは早急じゃないといけない気がした。
クリスマスの翌日、私は休日だった。年末年始は休みなしだ。店長だからという無言の圧で、散々連勤させられる。例年の事とは言え溜息が漏れた。この日しかない。当日、車に乗ってエンジンをかける。松戸から外環に乗って千葉方面を目指す。ベイエフエムから流れるディジェイの笑い声と、少し開けた窓から入り込む乾いた風が心地よかった。高速では下り方面はスムーズに進んだ。流れている。目的地のあるお出かけは良い。養老渓谷に近づいていくナビを見る。人生とはえらい違いだ。
長いバイト時代を経て就職した時、よし私はやっとマシな大人になったぞと少なからず思った。でも、全然そんなことはなかった。ただの雇用形態の違いだったのだ。しかも物語は続く。やれ結婚や出産。マイホームの購入、子育て、諦めないキャリア云々と。何が多様性だよ。親世代が期待しているロールモデルは変わっていない。
千葉からさらに南下して木更津方面へウインカーを出す。実家に足は遠ざかっている。いつでも帰れる距離だからこそ、帰る必要性を感じなくなっている。親の小言を聞くくらいなら、クレーマーを相手にするほうがまだマシかも。クレームはその場限りだから。せっかく市原まで来たんなら顔ぐらい見せなさいよ。母はそう言うだろう。でも今日は止めておこう。休みくらい自由に使わせて。車を運転している時に感じる自由な心は、ここにある。私が邪魔しない限り。途中、市原サービスエリアでひと休みする。車を降りると、内房に帰ってきたなあと思う。緑が多く空気が澄む。千葉県内でも、場所によって本当に違いがあるのだ。館山なんてもっと熱帯っぽい植物が植えてあるし。九十九里の、太平洋が傍にある感じも好き。十一時半。人もまばらなフードコート。私は一軒ずつ覗いていく。日常からの解放感なのかいつもよりも食欲があって、ラーメンの匂いに私はやられた。竹岡式かあ。松戸ではあまり見ない内房のラーメン。久しぶりに食べてみようかな。チャーシューを煮込んだ醤油ダレが黒々として、角切りの玉ねぎの横に大きなチャーシューが数枚、さすがのボリュームで私はラーメンの前で手を合わせる。目を瞑って。
コウちゃんは、もしかしたら、もう生きていないのかもしれない。スマホ一つSNSで簡単に繋がれる世界で私はコウちゃんを見失った。私だけじゃない、みんな連絡が取れなくなるってことは、もう一生会えないってこと? でも。コウちゃんの事を強く想えば、私の中にいつもいるんだ。それは確実で絶対だった。死は魂を運ぶ。
『ラーメンとヒップホップって似てるよな』
私は眼を開ける。湯気が立ち上る。テーブルを挟んだ向かいの席、コウちゃんがテーブルに肘をついて気怠そうに喋る。
『ローカル背負ってやってるところが』
「土地によって味が全然違うもんね」
私が麺をすするのをコウちゃんはにやにやと眺めている。
「うまあ」『相変わらず美味そうに食うよな』「だって本当に美味しいから」『二十八になっても味覚変わってねえなまったく』「変わらない味を食べに戻ってきた」『食べる側が変わっていることだってあるよ』
「ねえ、コウちゃん。本当に死んじゃったの?」
私は食べ終えたどんぶりを返却台に置く。缶コーヒーを買おうと自販機へ向かう。コウちゃんは隣をぶらぶらと歩く。昔から二人の歩幅はぴったりと合うんだ。赤い自販機、ズラッと並ぶ飲料の中、久しぶりに私はマックスコーヒーを見た。
「マッ缶! 懐かしいね」
私はボタンを押す。
『マジ? 甘いべ!』
だって味覚変わってないから。昔からコーヒーは甘いほうが好きなんだ。温もりのある缶を上着のポケットへねじ込んで、お土産売り場を覗くと、市原SA限定でマックスコーヒーのお菓子類が平積みされている。「日本でココだけ!」その言葉には弱いなあ。チョコレート、ケーキ、ジャム。職場用に私は分けやすいクッキーを買った。シートへ戻るとベイエフエムは午後の番組に変わっていた。透き通っていてハキハキとした女性の声。元気が出る。ポケットから缶を取って、プルタブを開ける。マッ缶も変わってない。口の中に広がる甘さを味わいながら、再び車を走らせた。
袖ヶ浦姉崎ICで高速を下りる。狭くなる車幅。古い家屋。収穫を終えた畑。冬のにおい。通り過ぎるいくつもの知らない人たちの家。広すぎる敷地にある保育園。すれ違うトラックや軽自動車。いちご農園ののぼり。激しくなるアップダウンの繰り返しの先にあるのが養老渓谷だ。チーバくんでいうと今どの辺だろ。市原、袖ヶ浦、君津。真ん中かな。のどかな風景が昔を懐かしく思い出させる。だから、ここにも豊かさがちゃんと根付いているのを、体感として私たちは知っている。時間とか距離とか、大人になるって遠いところに行くことなんだって、当たり前のことなんだけど、わかるようになった。カラオケやサイゼから今此処。十年後の今の自分を、当時の自分は肯定できるだろうか。
大学に入ってからもコウちゃんとは定期的に連絡を取り合っていた。ラインと電話。声を聞けばついつい話し込んでしまう。お互い、新しい友達もいたけど。私は高校三年間をほとんどコウちゃんといたから、自分の知らない人が話題にあがるのは、わかっていてもどこかいらついてしまった。安い嫉妬だった。遊ぶときは変わらずに二人だった。
大学二年の夏、コウちゃんは大きな怪我をした。バイク事故だった。バイクの免許を取ったことも中古のビッグスクーターを買ったことも、私は知らなかった。
「部活、やめようと思うんだよね」
怪我は全治三か月という診断だった。コウちゃんの才能と努力なら、絶対すぐ復帰できるのに。
「なんで? また走ったらいいじゃん」
「みなもにはわからないよ。そんな簡単じゃないんだ」
簡単に突っぱねられた。私は返す言葉を失い唖然とした。
「タイムが上がってないんだ。大学入ってからずっとだぜ。もう伸びしろがないんだよ。周りはぐんぐん速くなってる。今辞めて、色々人生について考えたいんだよ」
今思えばそこから、歯車が狂いだしたかのようだった。会話やテンションのすれ違いが重なって、連絡の返事が来ないこともあった。
「陸上やめた」夏の終わりに短いメールが来た。素直に新しい道を応援できない自分に苛立って、私は泣いた。何もわかっていないのに。いつまでも過去の走っている姿を思い返して泣いた。楽しそうに陸上について話す顔。それはもう見られないんだ。変わっていくことが怖かった。環境が私たちを分断していくようで。大人になり切れていない二十歳の自分は、「簡単に辞めないで」と返信を送った。コウちゃんからの返事はなかった。そのまま歳月が過ぎた。
ナビが示す目的地まであと少しだった。大きな旅館。紅葉が終わった時期だから、あまり人気はなくて乾燥した冬の空気にぼんやりとした陽の光が当たって、全体的に淡くまどろんでいた。
「ナビ通り進むなんて簡単だ」
スマホ世界は、迷子をなくした。旅はなくなったのかもしれない。でも人生においては、いまだに迷子だ。それは私だけではないよね。
コウちゃんと連絡を取らなくなってからも私はブログを読んでいた。コウちゃんの日常を盗み見している気もしたけど、公開されているテキストなのだと言い聞かせて、私が生きている世界にコウちゃんも存在していることを確認していた。
『今まで大切にしていたものを手放してみると、ふっと肩が軽くなった。大切にしていたんじゃなくて、それしかなかったから手放せなかっただけなのか。執着していただけなのか』
『普通の大学生をしてみても自分だけが浮いている気がした。今日は学科の同級生とカラオケ。男女4人ずつ。二限の出席だけ出て抜けてきた。だらだらと続く昼下がり。おれは一体何をしているんだろう。今の自分には何もない。楽しいを求めているのに、自分が何を楽しいのかがわからない』
『これ以上大学に通っても無駄な気がする。学費も親に出して貰っているわけだし。陸上がなくなって、きっと期待もされてない。この約二年間は無駄だったわけだ。無駄無駄無駄』
何で、あの時会いに行かなかったんだろう。アクセルとブレーキを同時に踏んだような気持ち。怖かった。傷つくことが。ブログがその人の人生をすべて表しているわけなんてない。バイク免許を取ったことも書かれていない。だからそこに書かれなかったことを知りたくなる。好きな人の知らない一面が怖い。話してもらってないことがあるのが怖い。結局、人を好きになる事が怖い。私は逃げた。
養老渓谷付近、適当な駐車場に車を置いた。入り口に事務所があってそこから、おばちゃんが窓を開けて言う。
「こんな何もねえ時期に来て」
私は苦笑いしながらはいと頷く。
「何もないくらいがちょうどいいですよ」
「若いんだから、もっと面白いところ行きなよ」
「そうなんですかねえ」
おばちゃんは不思議そうに私を見つめて、仕方ないという風に肩を竦め、道案内をしてくれた。
「前の道路沿いをまっすぐ進んで、右に曲がると世にも珍しい二階建てトンネルがあるわ。みんなそこで写真を撮るよ」
へえ。コウちゃんが好きだった場所、良く訪れていた場所。こんな場所だったんだなあ。私は息を大きく吸い込んだ。いや、なんか違う。ふーっと長く、お腹の底から息を吐いた。白い息と外気とが交わる。溶けていくのは私の内面と世界の輪郭だ。吐き切った後に、自然に息が吸える。入ってくる。一面の空気が何もない自分に。
ここには何もない、というのは大抵地元の人の謙遜で。もしくは、その人には何もないように見えていて。つまりあるものが見えていなかったりするのだ。毎日という日常が、美しさへの感受を忘れさせる。私の毎日もそうだ。過去を振り返ると私は幾分も覚えていない。未来は知らないし、確かなのは今しかない。謎かけみたいだ。
二階建てのトンネルは確かに映える。トンネルは別世界へと繋ぐドアのようだ。トンネルの先にある光へ吸い込まれるよう、私は歩みを速めた。眩しさに目を細める。出口、開いた視界の先には養老川が流れていた。曲線を描いて流れる水は静かな冬の景色と歩みを揃えたようで雄大。美しかった。遊歩道を歩く。枯葉を踏みしめて音を鳴らすコンバース。この風景を自身のバッグボーンとして大事にしていたコウちゃんは豊かだ、間違いなく。私は生まれ育った木更津の風景を思い浮かべる。赤い橋から望む東京湾。みんなそれぞれにあるんだ、大事な景色が。
『水面に映る空のほうがリアルな空より鮮やかに見えたんだ。だから何が美しいかなんて重要じゃなくて、世界を見るフィルターが美しいほうがヤバいってことに気付いた』
二〇一五年十二月十八日コウちゃんの最後のブログ。
『地元を出てから、ずっと負けっぱなしだった。陸上に失敗した、学校生活に失敗した、友人関係に失敗した。一度実家に帰ってくればと、母に言われた。地元は好きだったけど、地元にずっといる自分は好きになれるんだろうか。そんな未来見た事なかった。昔から悩んだ時は養老渓谷に来る。自然が、自分の心の汚い所を流してくれるような気がして。前に来てから約二年。色んなものを失った。でも、ここはそのままだった。川の流れはきっとずっと流れていて。おれは色んなことが起きても、ここに帰ってきた。変わっていくけど、変わらないものも確かにある』
私はスマホの画面をスクロールして、文章を嚙みしめるように読む。八年後、二〇二三年十二月二十六日、私は養老渓谷に来た。
養老川は日の光を滑らかな銀色に変えて、不規則な岩の段差に方向を変えながら流れている。水源は大多喜町麻綿原高原に位置し、ここから少し上流にある見どころの粟又の滝を通り、市原市に入り、高滝湖へ注いでいる。川の流れは絶えずして、という当たり前な自然の恵みも、眼前で行われている営みとして触れれば、その水流の大きさは不思議で、自然への畏敬を感じた。私のちっぽけさと対比して、自然は千年以上の時を越えて、今ここにある。変わりつつ変わらない。時折強く吹く冷たい風に、私はダウンジャケットのジップを閉めた。四季がある。流れている。何もないように見えてしまう、私はわたしの中にある、何かを見ようとした。けれど、見えなかった。何もない私が、この場所に感じる美しさは何だろう。訪れないと開かれない感覚の扉みたいなものがあったとしたら。それは紛れもなくコウちゃんが与えてくれたものだった。時間は、十年かかったけれど。ものごとには起きるべくして起きるという、考え方もある。すべては必然だという人もいる。自然は完璧に調和していた。コウちゃん、ありがとう。やっぱりコウちゃんに会いたかった。無駄な気持ちだと閉じ込めていたちっぽけな心に風が吹く。
もう少し先へ行くと粟又の滝を見られるけれど、車に乗った私は引き返した。悩んだ時、前に進めない時、もう一度此処を訪れる理由を残しておきたかった。空気が澄んでいると、空も一段と綺麗に見える。大きなものと向き合うと、人生の不思議さに包まれる。空は果てしない。どこまでもつながっている。人間が一生のうちに見られるものはほんの一握りだ。仕事していたら考えもしないようなことがポンっと浮かんでいく。左側に出世観音と書かれた看板を見た。とっさに心の中で、良い事がありますようにと願った。沈んでいく太陽が影を色濃くつくる。侘寂のように朽ちていく木々の葉の佇まいは、そこに在るだけで訪れる者の感情に訴えてくる。自然な気持ちがハンドルを五井方面に切っていく。アクセルを踏む右足も、ハンドルを握る両手も、私の意思に素直に従った。
五井駅からの道のりは覚えていた。当時は歩いた道だけど。コウちゃんの実家に行けば何かがわかる。本当はもっと早く行くことだって出来たけど。想いが溢れて重い身体がやっと動き出したんだ。言いたいことはぐるぐると回る。
その家は小学校の近くで、淡いブルーの屋根と立派に手入れされた庭が目印だった。しばらくぶりに訪れたけど、すぐにわかった。庭は当時の面影も残しながら、奥にある家の横にもう一つ、新しい家が増築されていたのに私は気が付いた。
どうしよう。私は歩行者の邪魔にならない位置に車を停めた。もうちょっと近くで見よう。お父さんかお母さんがいたら、もしかしたら覚えてくれているかもしれない。意を決して車から出る。五分ほど眺めていたけど人の気配はなかった。むしろそれでよかったのかもしれない。
ちりん。
後ろから自転車のベルが鳴った。
「うちに用ですか?」
低く通る声が、私を呼ぶ。雷に打たれたように動けなかった。
恐る恐る振り返ってみると、コウちゃんの驚いた顔。昔より髪は伸びていて、少し穏やかな顔になっていた。私がコウちゃん、と呟くのと同時に、コウちゃんがみなもと私の名前を呼んだ。
自転車の後部座席には幼い女の子が乗っていた。ピンクのヘルメットをかぶってこちらをじぃっと見つめている。
「ママ、このひとだぁれ」
女の子がコウちゃんに聞く。コウちゃんは娘へ「わたしの大事な友達よ」と言った。やさしい笑みを浮かべて。
「なんだ。ともだちかあ」女の子も笑顔になる。
この子には最初、どう見えていたんだろう。コウちゃんは大事な友達だと言った。どういう意図があるんだろう。私は言葉に隠されてもいない意味を探す。
「旦那と、今は二世帯で住んでる」
コウちゃんは増築された住居を指差すと、「上がっていって。久しぶりなんだし」と、私を家に招こうとしてくれた。
「いや、明日仕事早くて」
「そっか、残念」
「あ、ちょっと待って」
私は車に戻り袋を持ってきてコウちゃんへ渡した。
「お土産。地元のだけど」
コウちゃんはマックスコーヒーのクッキーを見て嬉しそうに、「意外と地元のものって食べないんだよね」と言って笑った。
変わっていなかった。笑い方や言葉の選び方、唇の右端に付いているほくろ。一方でコウちゃんはママになっていた。私の隣にいたコウちゃんはいなくなった。余計な話はしなかったし、コウちゃんも聞かなかった。ライン、聞けば良かったな。バイバイ、と女の子は私の車が動き出すまで手を振ってくれていた。こどもの名前くらい、聞けば良かったな。
帰り道、車内で私は一人きりだった。市原SAでやったようにコウちゃんを召喚することもできなかった。なぜならコウちゃんは実在していたから。
家に帰ろう。帰るまでが旅だ。ナビはなし。ラジオが静寂を切り裂いて、孤独を癒していく。無駄がない道のりは、あったんだろうか、私たちに。私は、たくさんの無駄を過ごして大人になってきた。最短ルートを示してくれるナビがあったら、私たちは人生で出会っていただろうか。無駄。無駄。無駄。無駄な恋なんてない。いや、ある。あったとして私は無駄を愛したい。嗚咽をラジオがかき消していく。車は夕闇を進んでいる。無駄な道を爆走する。あなたが無駄だと言っていた日々も、私は強く抱きしめて、生きる。
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