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こころとつながる手


私の手じゃないとだめなんだ

長女は体調不良で寝込んだとき、私に背中をさすり続けることを所望する。手当てという言葉があるように、手を当てるだけで癒しの力があるのだということを実感する。ほかのことは何もできなくて、「どれくらいさすってたら、ごはんづくりに戻れるだろうか。」とか、今日中にやらなくてはならない仕事のこととか、あれこれ心配になってくるのだけど、そのうち諦めて、また子どもに振り回されることにため息をつきながら、私の元気が注入されないかと背中をさすり続ける。

ようやく夏休みが終わった今月はこんな風に始まった。やっと通常モードに戻れると思ったのに、勘弁してくれと思いながら、看病しつつ、在宅で仕事をしつつの2学期のスタート。私の仕事はほぼ在宅かつ、仕事量も柔軟に調整してもらえるので助かってるけど、そうじゃなかったらどうなってただろうか。長女はもう小2だけど、毎月のようにどこかしら悪くなり、休みがちだ。

今回は運悪く、長女の復活と共に次女が発熱し、私も熱は出なかったものの風邪をうつされて寝込んだ。酷暑と夏休みで疲弊してたところにこたえたのだろう。最後は地元のお祭りで軽い熱中症になり、なんとか生き延びている感覚で9月を過ごしている。

夏休みは自分の健康どころではない

今年は健康を目標の一つにして、ウォーキングやストレッチをゆるく続けていたのだけど、この酷暑。さらに、夏休みに家族のお世話の負担が増すと、一気にそんな余裕はなくなった。やめてみると明らかに身体が重くなって、腰痛や肩こりを感じるようになり、あんなにいい加減な運動でも意味があったのだなと実感していたものの、そんなことより体を動かすのが億劫でどうでもよい気持ちになっていた。

自分の身体に向き合ってくれる人

運動とあわせて始めたのが定期的な身体のメンテナンス。数カ月前から月1でリンパドレナージュに通い始めたのだ。やさしくなでられているような感覚の手技。行くと毎回寝てしまう。通い始めたきっかけは、緑内障が発覚したり、胃腸の調子に波があったり、肌荒れがずっと治らなかったり、大小さまざまな「あれ?」と思うことがあって、これは体質改善しないと、という思いがあったこと。それぞれに病院にはかかっているけれど、トータルで見てくれる人がいたらと思ったからだった。

そんなときに、以前一緒に働いていた知人がリンパドレナージュのサロンを開いたことを知って、相談してみることにした。施術を受けて、その時々の身体の様子をフィードバックしてもらったり、食事療法や自分でできる簡単なマッサージなんかを教えてもらって帰ってくる。

今までも食事に気を遣っている方だと思っていたけど、アドバイスをもらって少し変えてみると、乱れがちだった胃腸の調子が安定してきたり、肌荒れも落ち着いたりして、身体の不調って繋がってるよね、という話をしたりした。どこをつつけばいいか分からなかったのが、ビリヤードのように1つの玉が他の玉に当たって、効果が広がっていく。ビリヤードのように速攻でとはいかず、じわじわとではあるけど、その分、身体の声に耳を傾けている感じがして、以前より体調の変化にも敏感になった。夏休みは行けなかったのだが、ようやく今日行くことができたのでここから体調も良くなっていくと信じたい。

手が感じるのは体調だけじゃない

身体の健康面以外にも実感しているのが、私自身が人の手にケアしてもらうことの大切さ。娘が私の手を求めるように、私も誰かの手に癒されることを求めてる。それは誰の手でもいいわけではなくて、安心して心を預けられる人でないといけない。身体に触れることで、その人のいろんなことを読み取れてしまうから。

一緒にはたらいていた彼女から語られる、過去の私の印象と今の身体から感じるギャップや、私の内面を慮って発せられる言葉が、自分の新たな一面を気づかせてくれる。通い始めるときには意識していなかったけど、身体を預けるということは心を預けるということなのだと気づいた。

娘の背中をさすり続けるのも難儀するけれど、いつまでも、そしていつでも、心を寄せてくれる存在であれたらと思う。とはいえ寝込む前に、もっと手当てをしてあげる必要があるのかもしれないなぁ。

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