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『ドライヤー』



そろそろ人間にも自動洗浄機能が備わってくれたらいいのにと、狭いユニットバスでシャンプーを洗い流すたびに思う。
ガソリンスタンドなんかに行くと、車を少し前に進めるだけで洗剤からなんから出てきてきづいたら洗い終わってておまけに乾燥までしてくれる、なんて超絶神がかったシステムがある。あれが銭湯とかにあればいいのに。もしかしたらあたしが知らんだけで、世界のどこかにはあるんかな。大人になっても世の中は知らないことのほうが多いから、本当はどっかに存在してるんかもしれん。
それでも、ガソリンスタンドみたいにたくさんはないしメジャーではない。メジャーでないことはまるで世の中に存在せんことにされるから、やっぱり人間の自動洗浄機能が早く出来てほしいなってところで頭を流し終えた。
こっからまたリンスしてそれ流して、拭きあげてドライヤーするっていう工程がめんどくさい。
でもあたしの世界に自動洗浄機はないからひとつひとつ地道にやっていくしかない。
こんなめんどくさいこと毎日毎日やらなきゃいけんなんて風呂に入っても全然リラックスできひん。毎日何回も風呂に入るしずかちゃんの気持ちがようわからんから私は女友達と少ないんやと納得したところであたしは風呂場の栓を抜く。


使い古したバスタオルは水をよく吸うけれど、デカすぎて顔が拭きにくい。昔よりはるかに脂肪のついた腰回りには水滴がまだ残っているけど、あたしは構わず浴室を出る。
まだ脂肪がついてなかった時代、脱衣所がないうちの部屋を馬鹿にして笑った男は今頃どこでどうしてるだろう。
化石になりかけた元カレとの思い出(とも言えない、そう、これはただの過去の記憶)を、輪郭をはっきりさせないままにして湯気と共に換気する。あっとゆうまに吸い込まれていく記憶は、やっぱり思い出なんかじゃなくてほっとした。

湿った裸のまま、濡れたバスタオルの置き場も定まらんまま、1DKの、Dのほうをウロウロする。あれから10年は経つというのに、相変わらず脱衣所はない。
「化粧水つけるか、ドライヤーするか、いつも迷うんよね」
誰に向かって言うわけでもないその台詞を、あたしは無駄に抑揚をつけて口にする。明るい声の方が、換気扇によく吸い込まれていきそうな気がするから。
肌は後からいくらでもリカバリーできるけど、濡れたままにした髪は翌日うねりやらパサつきやら寝癖やら広がりやら、とにかくいろんなもんを連れてくる。
やっぱ先にドライヤーをかけようと洗濯機の上にある、手作りの棚に手を伸ばす。棚といってもつっぱり棒2本を使って作っただけ。正確には彰が作ってくれたもの。


あたしはここまできてようやく、そうだ、彰はもうおらんのやったということに気付いた。


昔からのなんでもかんでも、気付くのが遅すぎる子どもやった気がするけどそんなことは今言うてもしゃあないか。

彰はあたしが風呂から上がると、ドライヤーをコンセントに挿して、折りたたんでいた本体を「く」の字にして用意してくれていた。
優しい男とはこれまでたくさん付き合ってきたけど、彰と付き合ってから、それまでの優しい男はただの優柔不断なだけやったとわかった。
特に東京の男は「なよなよ」を通り越してなんか「しなしな」してて、みんな茹でた小松菜みたい。今どき出身地で男のタイプを分けるなんてナンセンスなんやろうけど、それでも関西から出てきたあたしが言うんやから間違いない。東京の男はほんまに甘ちゃんが多すぎて苛々する。
そういえば、うちに脱衣所がないことを笑った男も、ばりばりの東京男やったな。愛の告白で標準語しゃべるんが、なんかめっちゃ違和感やったけどあの違和感は言葉だけの問題じゃなかったんやな。今になって思えばやけど。

で、あたしは、どちらかといえば関西方面出身の彰の、口調は強いし汚いしなところに妙に安心感をもって、次第にそれは心地よさとなって恋愛感情を持つようになったわけやけど。

その彰は、もうここにはおらんのやった。

いつもドライヤーを用意してくれとったけど、あたしが「髪も乾かしてよ」と言うと、「女の髪なんて乾かしてられん!」と一度も乾かしてくれたことなんてなかった、って思ってしまったあたしは高望みしすぎ? それはわかってるよ。
まぁあたしの髪の毛なんてチリチリで、シャンプーやドライヤーのCMに出てくるような意味わからんくらいツヤツヤした髪なんて一生無理やから、あんま触られても恥ずかしさが先に来るんやろうけど、一度くらいは乾かしてみてほしかったなといなくなった今になれば思うな。
東京の男たちにはそんなことしてほしいなんて考えたこともなかったのに、不思議。
「東京」のうち一人、あたしが風呂から出ると「乾かそうか?」と頼んでもないのにドライヤー持って待ち構えてるやつがおって、全力で断ったもんな。だいたい美容師でもない男に女の繊細な髪の毛乾かされたところで、変なふうになりそうやん。自分で乾かしたが早いしな(当然、その男は美容師ではなかった。もう職業も覚えてないけど)。
それが、なんでやろな。
彰。
あんたがおらんくなって、あんたにだけは、
「あー、髪の毛、一回でいいから乾かしてほしかったなぁ」って、ちょっと思ってしまうんよ、未だに。
なんやろあたし、女々しい女やな。まぁ、いいか。あたしは女なんやし。

今、どこで何してるん? まぁ、元気でいてくれたらいいわ。
今頃、新しい女の人を好きになって、それでもいいわ。幸せになっててくれればな。あんたは優しい男やから、今でもドライヤー、用意してあげてるかな。それともなんとなく気ぃ変わって、髪の毛乾かしてあげたりも挑戦してるんやろか。ちょっと笑えるし、ちょっと寂しいな。ウケるわ。
そうこう考えているうちに、あたしは髪の毛を乾かし終えた。自分で乾かしたって、大した髪型にはならへん。でも、あたしはあれからも、髪を乾かしてほしいと思う男には、出会っとらんよ。
近頃のあたしは、ドライヤー使うだけで、勝手にあんたのことを思い出す。あぁ、ほんまにほしいわ、自動洗浄機。勝手にぽんぽんぽんぽん浮かぶあたしの脳みそや心ん中、めちゃめちゃに強いシャワーで洗い流してほしい。
そんで、きれいに乾かしてよ誰か。


ドライヤーのスイッチを切って、「く」の字から「つ」の字に折りたたむ。今、このドライヤーを触ってるんは、あたしだけ。
いつか、他の男が触ることもあるんやろうかって考えると、少し泣きそうになるんはなんで?
コードを抜いたら彰との思い出も一緒に抜けて換気扇の中に吸い込まれていきそうな気がして、あたしはそれがちょっと怖い。だからあれから、コンセントに挿しっぱ。あたしが風呂に入っていないときでも、いつでもドライヤーは、抜かずにセットされたまま。


あたしはまだ、あんたを好きなまま。



そのまま。








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