見出し画像

転職で気づいたこと

#転職体験記

 私は高校卒業後、公務員試験専門の学校へ入学し、卒業と共に国家公務員となった。
 私が当時、職業として公務員を選んだ理由は簡単で、頑張れば採用してもらうことができて、恐らく安定した将来を得られると単純に思ったからだ。

 とはいえ、その道を最初から選んだわけではなかったし、 

 採用までの道のりは単純ではなかった。

 高校当時、関西では有名な私大へ入学したいと高校1年より考えていた私は、高校2年に進級した春、大学進学の意向を伝えると共に進学のため通塾させて欲しいと両親に願い出た。

 しかしながら、当時、市営住宅に暮らしていた我が家は裕福とは言いがたい状況の上、父の会社は倒産し、その後夜逃げをする事態にも見舞われる状況だった。
 当然ながら、大学進学など望めるはずもなく、塾へ通わせることも難しいと母から泣く泣く断られた。

 当時まだ幼い思考だった私は、断られたことに非常にショックを受けていた。
 元々、私立高校を受験したかったところ、公立高校に行ってくれたら私大に行ってもいいよと約束してもらっていたので、まさか断られると思っていなかったのだ。
 本当に甘えた考えで過ごしていた。

 そんなわけで、私はさっさと働こう! と思ったわけだが、母はなぜか「短大入学」にこだわり、卒業すぐの就職を阻んだ。
 私の通っていた公立高校では、確かにほとんどの生徒が大学の道を選択し、就職者はほとんどいないというものの、一応就職先の斡旋もあったのだ。

 当時、担任の先生から大手企業の紹介もいただき、私はそれでいいのに……と思っていた。
 けれど母の意向は折れることなく、短大には行って欲しいと粘られた。
 4年は無理だけど、2年だけでも通わせたいとなぜか譲らない。

 というのも、「女の子が自由にできる最後の時間は大学にしかない」という考えを母が強く持っていたためである。
 今であれば、もうそんな時代じゃないと言われそうだが、母は本気でそう思っていて、そこまで言うのならと私は2年だけどこかに通うことを検討した。

 ところが、検討すればするほど、2年だけ学校に行って何になるのか? という気持ちが強くなり、そうであれば……と確実に就職に繋がりそうな道を考えた先、公務員専門学校に繋がった。

 公務員試験は基本的に筆記試験であり、美容師になろうなどと考えると技術職になってしまうが、筆記試験であれば自分の努力でどうにかなると思った。
 さらに、学校にかかる費用も試験勉強にかかる「紙代」が大きいため、他の専門的な学校や短大に比べると費用も安く抑えることができた。
 就職先としても堅く、費用が安いのであれば私にはこの道しかないと思って進学先を決定した。

 さらに高校卒業時の成績が一定評価以上あれば、無償で育英会から学費を借りることができた。また、部活動の終わりが近づいた高校2年の後半からバイトを始め、学費のために稼ぐこともできた。

 かくして、育英会から借りた学費とバイト代をつぎ込み、さらには漢検2級を取得することで入学金を免除してもらい、これでもかと学費のために自分にできる事をフル活用して入学した。

 さて、在学中の私はというとそこそこの成績を修め、なんとか試験は通るだろうくらいに頑張ることができた。
 しかし現実は甘くなかった。

 二十歳にして私は、とてつもない屈辱を味わうことになる。


 縁故採用だ。

 正直、あまり芳しい成績ではなさそうだが、1次試験を通過した同級生がいた。
 試験が厳しいかもと聞いていたけど、合格したんだな……くらいに思っていたその子は、その後すぐ、私が第一志望としていた官庁にろくな面接も受けず採用されたと聞いた。

 理由を聞けば「お父さんがそこにいて……」と衝撃の真実を教えてもらうこととなる。

 これまで、努力すればどうにかなると思っていた私は、その官庁から面接の許可すらもらえず歯がゆい思いをしていたのに、世の中には面接を受けることもなく合格できる子がいるのだと絶望した。

 私が人生で一番悔し涙を流したのは、恐らくこの時だ。

 しかし、この後私にも神様の手が差し伸べられることになる。
 何度電話しても面接を断られていた第一志望の官庁から電話があり、同級生の合格を聞いた2日後の最終日、ようやく面接の時間をいただけた。

 さらに面接後の帰宅途中、採用なんて無理だと諦めきっていた私に採用決定の電話がかかってきた。
 今度は嬉しさと報われた喜びで、号泣しながら官庁へUターンした。

 もちろん、縁故採用の同級生と同じ官庁と採用されることになるわけだが、もうそれはそれで考えないように努めた。
 私はここから頑張りを見せればいいんだと気持ちを切替えて……

 と考えていた私は、待たしても甘かった。
 行く先々で○○さんの娘さんとちやほやされる同期となった同級生とは裏腹に、私は声をかけてもらうことも、名前を覚えてもらえるチャンスもなかなかない。
 キラキラに映る彼女とは別に、気持ちが落ち込む私は、ここから頑張って何か変わるのか……と思いつつも、負けてなるものか! と自分を奮い立たせ、私にやれることをやれるだけ全力でやっていこうと決意した。

 そこから17年。
 専門学校で出会った夫と結婚した後、子ども3人に恵まれ、育児休暇を3度取得させていただきつつも、順調に昇給して周囲に存在を認められる程度に成長を遂げた。
 評価も標準以上を取る! と高く目標を持ち続け、良い評価をしてもらう機会も多くいただけた。

 入庁当初は誰一人私のことなんて見てくれないのでは……と卑屈な気持ちを抱えていた私にも、上司や先輩、後輩に恵まれ、慕ってくれる人もたくさんできた。

 公務員になる道を選ぶんだという強い気持ちで学費を準備し、ここに就職するんだと意気込んだ矢先に悔し涙を流し、それでも運良く採用してもらったからこそ、この職場で一生を過ごしていくと私は強く決意していた。

 そもそも、公務員になった人のほとんどが辞めようなんて考えない。

 しかし私は、このまま私の人生をここに捧げ続けて良いのだろうかと苦悩することになる。

 尊敬する上司が、押し並べて上長になったことを喜ばない。
 役職についても、面白くないとぼやく姿を見るようになった。
 加えて私自身も、残業残業の毎日に疲弊していた。

 定時で帰宅できることなんて年に指で数えるほどしかない。
 22時まで残業はよくあることで、酷いときには深夜0時を過ぎることもあった。
 それでも仕事が好きだから、この仕事を続けたいとマインドだけでしがみついていた。
 どれほどの思いで入庁したと想っているのかと、過去の私が囁く。

 来庁する人に、少しでも喜ばれるのであればと尽くしても、公務員という立場からできることに限界も感じるようになってきた。
 私はいったい、誰のために、何のために、この先どうなるために頑張っているんだろうか……

 先が見えなくなってきて、どこか投げやりになっていた頃。
 採用4年目になる後輩Iくんに出会った。
 生き生きと働き、毎日が楽しそうで、私も彼と一緒に働くようになって、エネルギーをもらった。
 しかし良い出会いに感謝していたおり、Iくんから衝撃の告白をされた。

 「僕、近々退職しようと考えています」

 衝撃のあまり言葉を失ったけれど、彼のその言葉を聞いて「あ、私も退職すればいいのか」と突然閃いた。

 「仕事は好きだけれど、自分はもっと他のフィールドで働く方が活きると思うんです」

 そう言う彼の姿に、確かにと頷く自分がいた。
 協調性があり、明るく、仕事ができる彼だが、事務職で採用された職員なのに事務仕事が向いていない(笑)という大きな欠点があり、勿体ないと感じていた。

 そう彼を分析していた私も、ふと自分を振り返ってみて私にも他のフィールドで向いていることがあるんじゃないかと感じた。
 また、場所を変えることで、今の自分の現状が変えられるとも考えた。

 まだ手のかかる子どもたちが寝る前に、帰宅できないお母さんでいいのか。
 別に、会社が変わっても私はどこかで働くことができるんじゃないのか。

 借りていた育英会の学費も全て返済したし、もうこの会社に拘る必要はないんじゃないか。

 突然降って湧いた考えに押され、形を掴めないままどこか朧気に「転職」という選択肢を考えていた私が、明確に転職を考えるようになったのは、Iくんのお陰だった。

 たくさんの想いが重すぎて、どこか振り切れなかった私も、ついに決意することになる。

 入庁後18年目を迎えた春、私は公務員を辞めた。

 前置きが長くなったが、転職を決意するにはたくさんの重い荷物を背負っていて、だからこそ転職を決意することに何倍ものエネルギーが必要だったように感じていた。

 しかし、そんな私が転職へ一歩踏み出す気になれた一番の転機は「コロナ禍」だった。
 突然始まったリモートワークに、官公庁は困惑した。
 リモートでできる仕事など何一つなく、1日おきに出勤を言い渡された私たちは、1日おきに5時間以上の残業をすることでどうにか業務を回していた。

 こんなことがいつまで続くのか……と思っていた時と同じくして、転職という選択肢をIくんからもらった私は、軽い気持ちで転職サイトを開いて驚愕した。

 リモートワークがあちこちに広がっている。

 辞めるのであれば、子どもに寄り添える環境を……と考えていた私にとって、結局のところ出社するという難関はどこにいっても変わらず、少し短い時間で働こうとするとパートしか選択肢が残っていなかった。

 しかし、リモートワークでは、自宅にいながらフルタイムで仕事ができる上、正社員の道が用意されていた。
 こんなに恵まれた環境があっていいのかと、私は感動で転職サイトを開く度にワクワクして止まらなくなった。

 毎日サイトを眺めながら、自分の理想を描いて、この仕事ならできるんじゃないのかと夢を膨らませて就職先を探した。

 以前母から「あなたの仕事は会社を辞めたら役に立つスキルがなさそう」と言われた衝撃から、エクセルの勉強を積極的に続け、内部のeラーニングを受講していたので、スキル欄に書ける内容もそこそこ持っていた。

 勉強してきて良かった、と心底思いながら転職活動を続け、退職日より前に転職先も決めることができた。
 とはいえ、今から3年前。
 まだリモートワーク普及初期の頃、私が見つけられた仕事はテレアポだけだった。

 初めての民間企業、しかもスタートアップ企業に就職した私は、不安もそこそこに、右も左も分からない状態にワクワクしていた。
 普段、厳しすぎる環境で働いていたせいか、転職した当初ココは天国かと思うくらい感動した。

 まず、昼ご飯を12時から食べることができた。
 お昼休みを1時間しっかり確保してもらうことができ、夢のようだと感動した。
 それまで昼休みを1時間取ることはおろか、昼休みに昼ご飯が食べられないこともたくさんあった。
 毎日の昼ご飯が確約されているなんて、こんなに素晴らしい会社があるのかとまた感動。

 自宅にいるから、昼休みにテレビを見ることもできた。
 こんなことできる日が来るなんて、とまた感激。

 定時にはきちんと仕事が終わり、業務中誰に邪魔されることもなく、黙々と仕事をしていれば良いなんて最高だと毎日感謝した。
 しかし、そんな喜びに満ちたこの会社は、2か月続かなかった。

 昼休み以外の離席を極端に嫌う会社だったのだ。
 子どもに「おかえり」と声をかけることも許されなかった。
 ちょっとお腹が痛くて、トイレに入っている時間が3分を超えると呼び出しの電話がかかってきた。

 オンライン画面で、ずっと見張られ続け、同僚と話す機会を一切与えてもらえず、仕事の相談すら許してもらえない環境に、いつからか一人で悩むことが多くなった。

 確かに、家で過ごして子どもたちの帰宅時に家にはいる。
 けれど、これは私の望んだ形だっただろうか?

 せっかくの初めての転職。
 昼休みがパラダイスと喜んだ就職先。
 正社員の道が用意されているけれど……これが一生続けられるのか? と考えたら、何か違うかもと思い始めた。

 夫に相談すると、公務員まで辞めたのだから、納得できる就職先を探した方が良いと助言をくれた。
 よし、そうしよう!
 というわけで、さっさと転職活動をした私が次に採用いただいたのは、オンライン商談のスタイルでSaaS型システムを販売する、フルリモート営業の会社だった。

 ここでは当初、契約社員という形で稼働していたが、成績他の点を考慮いただき半年目に正社員にしてもらうことができた。
 営業のえの字も知らないくせに、そもそもフルリモート営業という新しい仕事をやりこなせる人も少なかったのだろう。
 本当に運良く成果を上げられてホッとした。

 ちょうど、公務員を退職して1年後のことだった。


 退職を伝えた際、先輩や上司が、40歳前の私がどこかに就職できるのかと随分心配してくれた。
 もしかしたら、公務員なんて辞めたら何も役に立たないと思い込んでいるから、お前も難しいんじゃないかと暗に考えていたのではないかと思う。

 しかし私は、雑草魂といっても過言ではない気持ちと勢い、また非常に運にも恵まれて、内定を途切れさせたことはない。
 転職2社目は1年3か月勤めたが、ここもまた退職することになった。
 当初考えていた以上に働きすぎたのだ。

 またしても私の良くない頑張り過ぎが発動し、10時~17時の契約で入った会社で、いつの間にか9時~18時で勤務していた。
 さらに出張にも出る機会が増え、ひと月に1度は泊付き出張に出る始末。
果ては北海道へも飛行機で向かった。

 新しい仕事先でも仕事が面白くなってしまい、ついつい働き過ぎに拍車がかかってきた頃、はたと気づいたらまた公務員時代と変わらないくらい残業していた。

 しかも家にはいるものだから、余計にたちが悪い。
 帰宅はしているのだから、子どもと話そうと思えば話せるし、家事をしようと思えば、多少はできてしまう。

 公務員として勤めていた頃よりもおかしな働き方をしだしたころ、ついに体調不良に見舞われた。

 情けない話であるが、この体調不良を機にまたしても働き方を見つめ直す機会をいただき、退職と共にしばらく休職することを決意した。

 しかし、休職を決意した矢先、ありがたいことに、テレアポとフルリモート営業の間にちょっとだけ働かせてもらった業務委託の会社から戻ってきて欲しいとお声がかかった。
 1日3時間でも良いから、助けて欲しい。
 そう言われると断れない日本人代表の私は、業務委託としてまた働くことになった。

 ところが働き始めてみると、やはりもう一度正社員として働く道がないか探したくなってしまい、再度転職活動を行った。
 40歳という年齢を目前に、正社員を目指すなら最後かもしれないと脳裏によぎった。

 そんなこんなの結果、ありがたいことに秘書兼営業企画、というポジションで正社員採用いただいた。
 ここが最後の就職先になるかも……と意気込んだが、ここもわずか2か月で退職することになる。

 というのも、採用ポジションとは裏腹に、求められた業務が「テレアポ」だったからである。

 リモートワークが普及してきたため、次の転職先ではテレアポなどの営業以外の業務がしたいと考えていた。
 これまでの経歴から考えて、秘書として稼働してみたいと考えた結果の転職だったので、まさかテレアポを依頼されるとは思ってもみなかった。

 そこで業務内容の見直しをお願いしたところ、紆余曲折あり、過度な残業の要求と、社長から罵声を浴びせられる日々が続くこととなり、これはさすがにまずいと判断し、早々に撤退した。

 そんなわけで、結局転職という面では惨敗かのような実績になってしまったが、考えを改める良いきっかけをいただくことになった。

 最後に勤めていた会社の人事担当の人が、「私は3社掛け持ちして、業務委託で働いています」と言うのだ。
 目からうろこだった。
 そんな働き方、考えた事もない。

 けれど、その働き方が非常に良いことに気がついた。
 どこの企業とも、ピンポイントの業務契約なので働きすぎることがない。
 分散して委託を受けているので、どこかの会社がダメになっても別の仕事が残っている。
 これまで1つに寄りかかっていたから、この会社がダメだったら何もかもなくなってしまう考えが強くあった。
 が、3本の柱を用意していれば不安がない。

 そんなわけで私は、自分が好きなように働くことができ、且ついろんな会社に籍を置くことで、収入がなくならない仕組みを作った。

 というより丸パクリした。

 公務員退職後、2年かけて失敗し続けたので、本当に大切にしたいと考えていた家庭を守ることを最優先にできる環境にしようと、扶養の範囲内で働く考えにシフトチェンジした。

 働き過ぎが当たり前になっていた私は、2年かかってようやく、働き過ぎからの脱却を覚悟できたのだ。

 すると不思議なことに、収入はどんどん下がっていくが、家庭の状態は変わらず、むしろ家族の笑顔が増えた。

 私は家のことをしっかりできる時間を確保できるようになり、今は毎日が楽しくて幸せだなと日々感じる。
 忙しいからお金で解決していたことも、時間をかけた食事を用意したり、家事がしっかりできるようになった。

 1日に働く時間は1時間~3時間程度だが、分散して3社と契約している。


 どこかの収入が仮に欠けても、いつでもどうにかなると思えるので気持ちも安定している。

 端から見れば、公務員を辞めてた人間はうまくいかないんだな、と映るかもしれないが私はそうは思っていない。
 3年かけて官庁以外の社会を見て、感じて、学んだことで、今の幸せの着地点を見つけることができた。

 あれだけ就職先がないのではと言われたが、これまで採用されずに困ったことはない。
 確かに不採用通知をもらうこともあるが、どこかには採用されている。
 形にさえ拘らなければ、どうだってなる。

 過去に経験がない仕事でも、全く問題なく採用してもらっている。
 フルリモート営業が良い例で、よく営業経験のない私を採用してくれたなと思ったが、経験は重要じゃない、やる気と姿勢だといってくれて嬉しかった。

 要は、頑張ろうとするメンタルと、努力の姿勢がカギだ。
 収入に困った時は、自分の生き方を変えればいい。
 その切替えさえできれば、案外どうにかなる。

 ちなみに私は現在、3社と契約しているが、どれも過去に経験のない仕事をしている。

 1つはナレーション。
 小学生の時アナウンサーになるのが夢で、せっかくだからと応募したら採用いただけた。
 2つ目は人事関係の仕事。これも未経験である。
 3つ目は、タイムマネジメントの先生的ポジションで、ある方のタスク管理を任せてもらっている。
 ようやくやりたかった秘書の仕事に近い。

 とはいえ、タイムマネジメントの先生としての稼働経験はないが、17年勤めた官庁での職務経歴と業務の遂行状況を伝えてそこを評価してもらった。
 本当にありがたいなと日々感謝しかない。

 そんなわけで、他人から見れば転職は惨敗に見えるかもしれないが、私はとても楽しく、自分がしたかった仕事を今させてもらっている。

 さらにありがたいことに、事業を立ち上げさせてもらえる機会にも恵まれ、今はリユース毛糸のオンラインショップを運営している。

 これも転職活動をする中で、やってみようと思ったことだ。
 1社目に転職したテレアポの会社でできた友人たちが、事業立ち上げたりできる力あるよ! と背中を押してくれた。

 公務員でいた頃、そんなことを言ってくれる人は一人もいなかった。

 公務員は安定してるんだから、そのまま勤めたらいいんじゃないの。
 誰もが口を揃えてそう言う。
 起業してみたいといっても、公務員のあなたが何ができるのと笑われた。

 さて話は長くなったが、私が転職活動を通して思うのは「自分のやる気と努力次第」でどうにかなるということだ。
 そこでポイントなのは、自分がどういう姿勢で仕事をしたいか明確にすることにある。

 私は、どういう風に仕事と付き合っていきたいかがはっきりしていなかったことから、転職した後も随分失敗した。
 働き過ぎの呪いから逃げられず、すぐに働き過ぎるという失敗を繰り返した。

 焦らず、きちんと自分の向かいたい方向、未来の自分の姿を描いてから転職し、仕事をしていたらもう少し失敗は少なくすんだかもしれない。

 もちろん、失敗が全て失敗とも思っていないし、現代は職歴の数だけ評価されることもゼロではない。

 とはいえ、何度も転職活動をするのはパワーが必要なので、多くの人はある程度でまぁいいかと妥協してしまう。
 少し勿体ないと感じる。

 もし今、転職の道を選んだ人がこの長い話を読んでくれたのなら、せっかく転職の道を選んだのだから、ちょっとしんどいけど、ぜひ妥協しないで頑張って欲しいなと思う。

 人生には辛酸を舐める苦い経験をすることもあるが、頑張る先に得られることも多くある。
 ただ、頑張りすぎたときには少し休んで、回復するのを待てば良い。
 いきなり全力を出す必要もないし、いつでもずっと頑張らなくてもいい。

 必要な時に、自分にとって大事なことのためにだけ頑張れば良い。


この記事が参加している募集

はじめての仕事

仕事について話そう

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?