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世界を知る?

結局、何も知らなかったのだと思う。

高校の時にオーストラリアに3か月留学
20代の時、アイルランドに1年間暮らした
30代で、海外で40日近く歩く旅もした

きっとそれは特別で、自分は世界を見てきたかのような感覚にすらなっていたように思う。

海外で真新しい文化に触れることは面白い。
価値観が覆るようなことが起こりえる。
日本にいてはそうそう出会えない「当たり前」に触れることができる。

けれど、だからと言ってそのために自分が何者かになったということにはならない。その経験故に誇れる自分になるわけでもない。世界の真理を知るわけでもない。

確かに、海外に行くというのは、知らない価値観に出会うのには一番手っ取り早い方法ではある。日本という同じ国の中では、方言の違いはあれど大体は同じニュアンスで言語的な発想を共有し、「日本人」という共通アイデンティティの中で暮らすことになる。
その点で、海外に行けば、常識と思っていたことが常識ではない、思考の片隅にもなかったアイディアが当然のごとく存在している、そういうことがわかりやすく体験できる。
好奇心が旺盛な自分にとって、新たな価値観、知らない生き方に、まだ見ぬ風景に触れることこはこの上なく楽しいことであることは確かだ。

けれど、一つ勘違いをしていたのは、そこにまるで自分の人生があって日本にはない、とでも主張したいかのようなしがみつきだった。別に、私にとってどちらがいいかという話ではない。ただ当時の自分は、外側の環境を自分に合わせようとしていたのだ。今にしてみれば至極傲慢な見方だが、日本社会は自分に合わないというふてくされたような感覚をずっと持っていた。

それは社会への疎外感、ひいては親に対して感じる疎外感。自分という存在を理解してもらえない、何やら無視をされている、そんな無価値観からくるものだったと思う。

「海外に行く」は、自分がこれまで目指したことの中で、お金さえ自分でどうにかすれば、親に迷惑がかからなければ、頭ごなしの反対にあわない珍しいことだった。認めてくれるという感覚を少しは得られることだった。その上、多少の興味も持ってもらえることだった。
海外は自分の"領分"だったのだ。

けれど結局は、人の助けを求める方法がわからない、器用にも振舞えない私は、親や知り合いのサポートを受けながら海外で生活している友人たちに嫉妬をすることになった。「私は一人でこんなに頑張っているのに!」「親に助けなんて求めるわけにいかないのに!求めたら厳しい言葉を浴びせられるのに!」世の中は不平等・不公平なものであることなど、到底受け入れられなかった。

そんな状態ではお金も工面できず、20代終わり以降自分という存在自体の不安定さも抱えきれず無気力になり、海外に暮らすということはかなっていない。ただ、念願かなってたとえ海外に今住んでいたとしても、その無意識に眠る不安や承認欲求が基盤を支えている限り、どこかで虚無の感情を持ち続けたのかもしれない。いや、そもそも心の奥底から"海外に暮らすこと”を望んでいたのかもわからない。

自分のやることを「そんなの無理だ、非現実的だ、世の中そんなに甘くない、金はどうするのだ」と否定から入らずに、頑張って、とただ励ましてもらいたかったのだ。金銭的な補助があることよりも、応援してもらえること、話を聞いてもらえることがうらやましかったのだ。そこにまだ希望を持てそうなのが、海外での生活だったのじゃないだろうか。

自分が持っていた世界観が破壊しつくされて4年を経た今になり、ようやく少しだけ以前より広い世界が見えるようになったと思う。それがどういうものかは、またの機会に少しずつ触れていくとして、未知の土地へ足を運ばずとも、ほとんど実家に引きこもっているたったこの2-3か月で広がった何かを確かに感じる。

海外に傾倒していた約20年や日本中を飛び回っていた去年の一年間でずっと探し続けていたようなことが、実は足元に最初からあったことにようやく目を向けたみたいな、そんな感覚。

きっと今海外に行ったら、以前の数倍楽しいだろうな。

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