《ものおもい日記》0919*プライドを持たない私は、何度も私を殺せる。
お久しぶりです。
noteの更新をあと飛ばしにしてしまうくらい、忙しかったです。
近況をお話しますと、
ほぼ日でヒカリテラスの仲間を獲得するための面談をおこない、ヒカリテラスの事業の進捗具合を確認し、つい最近は2日間の短期インターンに行ってました。
正直、しんどかったです。笑
自分の醜いスタンスを見せしめられた感じがしました。
「自分の人生を生きる中で、私の美学を大切にしたい」
この言葉は、2日間の短期インターンの最終選考で面接をしていただいた社員さんに話した言葉です。
私は、自分の人生をどう生きるのかを大切に生きていると思います。
自分の持つ想いや感情に忠実に生きたい。
どんな人のどんな想いも尊重できる人でありたい。
自分が、自分として生きている価値を探して、「死なないで良かった」と思える瞬間を探したい。
この話を聞いただけでは、私は頑固な人間だと思うと思います。
いや正直、私は頑固です。
小手先では、従順なフリをして、根っこのどうしても覆したくない部分は触らせない。意地汚い頑固な人間です。
そうなんです、私は綺麗な人間では無いんです。
しかし、私は目的のためなら、自分を作り直し、殺せる側面もあります。
目的というのは、私が意地でも曲げたくない美学の部分や、人生を生きていく中で達成したいライフミッションにあたります。
その意地汚い部分を何度も感じたのが、最近だったと思います。
例えば、私はコミュニケーションの場においても、私なりの美学があります。
それは「伝わらない言葉は、言葉の意味がない。」ということ。
恐らく、短期インターンでおこなうグループディスカッションでは、難しい横文字や漢字ばかりの単語が行き交うことでしょう。
しかし、難しい横文字や漢字ばかりの言葉は、一見まともなことを話しているように聞こえても、言葉の意味の理解が様々なため、齟齬が生じやすく、話し合いや意見をまとめる上では不適格です。
また、発表や伝えるという面では、自分たちと同じ学力や知力の人達しか居ないという場なんて有り得ません。
ならば、誰でもわかりやすい言葉やコミュニケーションの仕方を考える必要があります。
それを正面で伝えると、グループ内ではギスギスしてしまう。ならば、私が学力や知力のないフリをすることが適切だろう。
分からない人に対して、噛み砕いて説明をすることで、齟齬が生じないコミュニケーションを作ることができるのではないか、というちょっとした期待できた。
分からないフリ、理解できないフリをする。
そんなことをしていました。
私は意地汚いのです。
ただ、私は目的を達成するためなら、自分のプライドを殺すことがいとも簡単にできてしまうんだなぁと感じた瞬間でした。
きっと、昔からプライドを持ち合わせてないのかもしれませんが。
「私はリーダーをやっていない」それすらもフリなのか。
私はかれこれ、ヒカリテラスという団体を4年間引っ張り続けて、なんやかんや代表をやっています。
昔から何度も「リーダーに向いてないよね」と言われ続けて、なんなら今も、というか昨日も、「リーダーの割に〇〇ですよね」なんて言われるくらいです。
私自身も、代表はしているけど、リーダーをやっているとはあまり思えてません。良い意味でも悪い意味でも。
みんなを引っ張っていくリーダーには、私はなれなかった。と言えば、それも正しいのですが。
私が目指すコミュニティには、みんなを引っ張っていくリーダーは悪目立ちしてしまうので、要らなかった、というのも正しかったりします。
よく「ふわふわしているね」「あんまりしっかりしてないね」「本当にゆるいね」と言われますが、
それは、半分私の素の姿で、半分は計算です。
計算なのは気付いてくれなくていいですが、素の姿だと思ってくれると、やっぱり嬉しいです。
敢えて、弱い部分をさらけ出しているので。
弱い部分を見せると、肩肘張らずに関わりあえたり、安心できたりすると思うし、
こちら側が引っ張らない代わりに、相手のやりたいことを引き出したり、チャレンジを支えられるサポーターであれるので。
自分の想いや生き方と同じように、相手の想いや生き方を大切にする、という美学を大切にしようとした身の振り方なんだと思います。
私は自分の弱い部分を見せること、ダメな部分や汚い部分をさらけ出すことは、日常茶飯事の出来事です。私にとっては当たり前なことです。
だからこそインターンに参加して、一切弱さを出さない、いつでも出来る自分を出しっぱである人ばかりなのに、びっくりしました。
みんなはプライドがあるんだ、と少し羨ましくもありました。
私にはプライドがないから、私を何度も殺せるのか。
私は初日、チームのある子が話した「絶対1位を取りたい」という言葉が全然理解できませんでした。
これは昔からそうでした。
自分が1位を取ることや賞を取ることに興味が無いどころか、嫌悪感を抱く人間でした。
だって取ったところで、何も変わらないじゃん。自分の欲が満たされるだけじゃん。そんな風に思っていたんです。
もちろん、1位に興味が無いから、力を抜くとかは無いんですけど。
全ては、私にプライドというものが無いから、自分が優秀であることを証明することに、関心がないんだろうと思うようになりました。
なんだか人間として欠落した気持ちになりました。
正直、ショックでした。
どんな人もモチベーションをもって行動をしてもらうには、まずは競わせようという心理になると思います。
だから私自身、20年間生きている中で、ランキングで競わされたり、賞を取ることを目標にされたり、といった競争に参加してきましたが、なんだか心地好くありませんでした。
じゃあ私は何にモチベーションを持って行動するのか、考えてみました。
昔も今もモチベーション高く取り組み続けていることは、やはりヒカリテラスの活動です。
モチベーションの種は、生きづらさとは何かを探究し、生きづらさを解決、緩和する策を社会に持っていくこと。
また、社会に持っていくことで、生きづらさを抱えた仲間たちの役に立てること。
もっと先には、社会の誰かの役に立てることで、私が生きる価値になり、私が生きててもいい理由になること。
私は自分勝手に生きる中でも、誰かの何かに依存しなければ生きる価値がないのだと思っているのかもしれません。
だから、自分の欲が満たされることにはあまり関心がないんだろうと考えました。
結局、私にはプライドがない、という事実に行き着きますが。
……なんか、悲しくなっちゃったな。笑
でも、ひとつ言えるのは、
もっともっと人生経験を積み重ね、私に守るべきものが増えたり、大きくなっていくに連れて、後天的にプライドが身についていくのかもしれないな。という期待だけはあるということです。
何度も何度も、私はピエロになり、弱さを見せびらかし、私を殺し、私を作り変えていっていますが、
私が叶えたいライフミッションも、大切にしたい美学も、一切曲げてはいません。
それらの存在が、もっと大きく、強くなっていけばなるほど、私は生きる上で、私という人間としてのプライドを身につけることができるんだろうと信じて、
今は生きようと思いました。
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