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ベルリン演劇の講義7

慶應義塾大学久保田万太郎記念講座 現代芸術1
第7回授業(2020年6月15日)

1、前回のフィードバック

コンテンポラリー・ダンス、やっぱり難しかったでしょうか? Meg Stuartの「Until Our Hearts Stop」について、「ありのままの肉体を見せるダンス」「動物のように自然な動きをする」と書かれたレポートが多かったですが、前回の講義で解説した通り、たとえ裸になって汗を流していたからと言って、その人間の身体を「ありのままの自然の姿」と断言できるかというと、今や難しいかも。ダンサーの身体は長く複雑な、身体表現芸術の歴史を引きずって、そこにあるのです。

今回の講義全体のテーマとも関係あるので、さらに説明を加えておきます。
前回の教材もご参照ください。Meg Stuartの作品も、前回紹介したヨーロッパのコンテンポラリーダンスの系譜に連なるものです。20世紀以前のバレエは、主に絶対王政の時代に(=王や貴族の鑑賞を前提に)発展した芸術であり、民主主義以前の権力関係に依拠するものでした。そこでは手足の長い、白人の若い肉体を模した、キリスト教の天使みたいな地面から浮かんだような動きが正統な美と扱われたわけです。そこに疑問を提示し、近代的な人間の身体のあり方について捉え直しながら発展していったのが、現代のコンテンポラリーダンスと言えます。今までの授業で扱ってきた他の舞台芸術と同様、ダンスの歴史も世界の政治や社会の変化と切っても切り離せない関係にあるわけです! (これを言いたかった....)

20世紀初頭の「モダン・ダンス」は、ビデオを見てもらえるとわかる通り、バレエのメソッドを否定しながらもなかなかに崇高で美しいものですが、20世紀後半の「ポスト・モダン・ダンス」のアーティストたちは、ダンスする身体を、より現代人の日常の身体のあり方に近い、不確実で多様な存在へと、さらに引きずり下ろしました。ここで言われる「身体」には、非白人、老いた人、キリスト教的理念を持たない人の体も含まれます。もちろんアジア人、日本人も。

21世紀に生きる私たちは、昔のバレエダンサーみたいに爪先で立って、指先までピンと伸ばして王様に美しさを見せつけたりはしません。それでもちゃんと踊れますよね。コロナ禍に一人で家で音楽かけて踊る人もいるでしょう。ダンス教室だけじゃなく、クラブやライブハウスや学校の廊下で、自分の身体の感覚を確かめながら、ある意味昔の人よりも自由に、テキトーにめちゃくちゃに踊ることができる。そして、いざ踊り出してみると体が勝手に動いて、「体って面白いな。頭で考えているよりもずっと爆発的なパワーを秘めているな」と感じたりすることがあるんじゃないでしょうか。現代のコンテンポラリーダンスのアーティストたちは、そんな個々人の身体感覚と、身体にまとわりついた気の遠くなるほど長い歴史の両方に向き合って、作品を作っているわけです。大変そうだけど、面白そうな仕事です。(さらにMeg Stuartは、自らのカンパニーに「Damaged Goods(破損品)」というグループ名をつけるぐらいですから、人間身体は不完全であるという理念があるのかもしれません。)

ま、今回ピンと来なくても、アートって数をこなして見ていくうちに分かることが色々あるので、なんとなく記憶に残しておいてくれたら嬉しいです!今わからなくてもOK。


それから、裸体のシーンについて面白い意見がありました。「フェミニズム的な演出だとわかっても『じゃあ男ももっと脱げよ!』と思ってしまいます」。確かに「Until Our Hearts Stop」の中では男性ダンサーも裸になっていましたが、女性ダンサーの裸体シーンの方が多い。しかし、別に女性の方が長時間、振付家に「脱がされている」わけではないと思います。振付家のメグ・スチュアートが、おそらく女性のパフォーマーが裸体になる演出をより多く使うことに意味を感じたのでしょう。そして女性ダンサー2人とも多分ディスカッションを重ね、彼女らは自らの意思に従って主体的に踊っているはず(だと思うけど)。

(ちなみにフェミニズムを個々の男性と女性の「戦い・争い」と捉えてしまうと理解が難しくなります。ジェンダー学やフェミニズムが主に問題にしているのは長い歴史が作り上げてしまった私たちの社会の構造です。今もある家父長制度、男性に権力が集中した社会が歴史の中でどうできあがり、どうやって解体されうるかを考えていくわけです。権力のある者に無理やり従わされる社会は、男性女性に限らず辛いですね....。)

前回言ったように、ベルリンでは男性に女性に限らずパフォーマーが裸体になる舞台をよく見るのですが、どうも自らの意志で嬉々として裸になる人が多い印象です。これは、第3回講義の課題「ドレス」の劇中で、遠藤留奈さん演じる日本の女優が映画監督に「脱がされて」いた状況とは大きく違いますね。俳優の労働環境について「パワハラ・セクハラがあったり、ギャランティが言われた額と違ったり、ブラックな現場がたくさんある」とも第5回目の講義で、江本純子さんがお話しされていました。日本に限らず、お金のためにとか、演出家に強く言われたから仕方なくとかいう理由で舞台に上がる俳優は世界中に大勢いるでしょう。

王様や貴族の時代ならいざ知らず、現代舞台芸術のパフォーマーは、自らの意思で主体性を持って舞台に上るべきです。本人がやりたくない行為はやるべきじゃない。でも舞台ってライブだから、「あの時は脱いでいいと思ったけど、後でやっぱり嫌だと思った!」ということだって起こります。私も演出を始めたばかりの頃、俳優に「稽古で本当はやりたくなかったことをやらされた。その時はみんな笑ってくれたから良いかと思ったけど、後で思い出して嫌でした」と言われてしまって、後悔したことがあります。稽古場での演出家やスタッフとの信頼関係が必要ですし、俳優が「主体性を持って舞台に上がっている」という状態を作り上げるのは実はとても難しいことです。

でも、もしかしたら次に紹介する「Theater Thikwa」から学べることがあるかもしれません。

2、Theater Thikwa 〜障害者とともに作る芸術

今日紹介するのは「Theater Thikwa」というベルリンの演劇組織です。Thikwaの作品を見て、私はその自由さと芸術性の高さに魅了され、他の公共劇場以上に気に入って通っていました。Thikwaの作品は障害者演劇の賞だけでなく、ドイツの重要な演劇賞をも受賞しています。

●「Theater Thikwa」(http://www.thikwa.de/index.html
1990年に設立。Webサイトにはこのような紹介があります。
Thikwa ist ein künstlerisches Experiment mit behinderten und nichtbehinderten Künstlern. Es ist allerdings auch ein gelungenes soziales Experiment.「Thikwaは障害者と非障害者の芸術家による芸術実験です。それも、成功している社会実験です。」

まずThikwa Werkstatt für Theater und Kunst という、日本でいう福祉作業所のような施設があって、これは障害者がアートと演劇のトレーニングができる場所。お給料も出るそうです。ここに通っている人たちと舞台を作って公演するのが「Theater Thikwa」。定期公演があり、俳優に出演料も出るプロフェッショナルのグループと自由参加の青少年グループがあります。今回見るビデオは青少年グループの作品。

*別紙1(ディレクターへのインタビュー)
*別紙2(通常稽古でどんなワークを行なっているか?)

を読んでください。チューターのBenteさんとFranziskaさんが、メンバーの主体性にこだわって作品づくりに携わっていることが、よくわかると思います。決定権を最後まで本人に委ね、信頼関係の下で、舞台を上演する。「障害のある人たちが主体性を持って芸術に参加することができるのか?」って本当に難しい問題だけれど、彼らは挑戦しています!

インタビュー中にある通り、障害者と非障害者が一緒に作る演劇はIntegrationstheater(統合演劇)と言われて、今とても注目されています。見ていても新たな発見がありますし、私が参加したThikwaの通常稽古も、BenteさんとFranziskaさんの素晴らしいサポートのおかげもあって、とても楽しかったのです。

ベルリンにはもう一つ、Ramba Zambaという障害者のための劇場もあります。Ramba Zambaの公演ポスターは、街やバス停などに、よく大きく貼られています。デザインも大胆で洒落ている。主演俳優の写真がバンと載っていたりして、日本と比べると、だいぶ障害者の存在が可視化されています。ベルリンの電車やバスで、たとえば車椅子の乗客を見かける頻度も、東京に比べてかなり多いです。数が多いのかな?と最初は思ったけれど、堂々と外に出かけていく方が多いってことかもしれません。(ちなみに第一回講義で見てもらった「Grundgesetz」にも障害者の女の子が出ていたけれど、あの舞台はRamba Zambaとのコラボ作品です。)

ドイツのテレビで紹介されたRamba Zambaの活動
https://www.youtube.com/watch?v=nugxQhKXsSs


第7回課題
「Mit.Anderen.Worten.」JUGENDTHEATERGRUPPE THIKWA
Von und mit: Julia Glaubitz, Saskia Hachmann, Caspar Hottenrott, Selina Jadi, Ferdinand Kuner, Victor Leonhardt, Flora Limani, Teresa Mann, Leopold Menzel, Kanon Uchihashi
Regie und Konzeption der Wiederaufnahme: Bente Schmidt, Franziska Scheuermann
(noteでは映像リンクなし)


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