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ベルリン演劇の講義8

慶應義塾大学久保田万太郎記念講座 現代芸術1
第8回授業(6月22日)

1、前回のフィードバック

前回はTheater Thikwaの「Mit Andren. Worten.」を見てもらいました。「障害がある人たちが、主体的に演劇を楽しんでいる」「多様性が重視されている」とレポートに書いてくれた方が多かった。演者が他の演者をサポートしてあげている様子から「他者への思いやり」を連想した方もいたようです。「日本でこういう活動がもっとメジャーになればいいのに」と書いてくれた人も。私も実際に公演を見ている時に、演者があまりにも幸せそうに演じていることに衝撃を受けました。最後のシーンなんか泣けちゃって、大げさですけど、「生きてるって、ただそれだけで、めちゃくちゃ楽しいのかもしれない」なんて言葉すら、頭をよぎりました。日本のプロの現場でも、演者が「何が起こっても大丈夫」って安心して舞台に出られるぐらい、稽古の中できっちり信頼関係を築くのは大変なことなのです。俳優は「主体的」に作品に立ち向かっているように見えたし、作品自体に力があると思いました。「いわゆる良く練られた演出とか俳優のキャリア、障害の有無とかって、一体なんなんだ? 意味あるのか?」って、自分の中の固定観念を壊された思いでした。

障害あるメンバーたちとここまで時間をかけて、丁寧に作品を創るには、チューターの2人の細やかな気配りと努力、保護者の方の多大な協力が必要でしょう。だから、なかなか実現は難しいんですけれど、障害のある人とない人が一緒に創る演劇、「Integration Theater(統合演劇)」こそが、本来の演劇のあるべき姿ではないか? とすら思わずにいられません。「障害者演劇」を別物扱いするのではなく、今まで「正統」だと考えられてきた健常者の演劇の方こそ、Thikwaの提示するような「様々な条件下の人々に対して開かれた」演劇のほうに向かって歩み寄るべきではないかと私は考えてしまいました。皆さんはどう思いますか?

2、観客だってギャラが欲しい!

そんなTheater Thikwaの作品ですが、もちろん障害があるパフォーマーたちが、いつも幸せいっぱいな天使のように周りを和ませる役割を担わされているわけではありません。「Zugabe(カーテンコール)」という作品は、Monster Truckという、今大変注目されている演劇グループが製作し、2019年に Thikwaの劇場で上演されました。Thikwaのプロフェッショナル部門の俳優、Addas Ahmadが1人でパフォーマンスしています。

●上演時間になると暗転し、スクリーンに文字が映る。観客への指示が流れる。「観客の皆さんに、簡単なお仕事を与えます。今日の俳優は、舞台上でカーテンコールのシーンをずっと演じます。1時間ほどの上演時間中、休まずに拍手をし続けた人に、ギャランティーとして50ユーロお支払いします。上演後に報酬をお配りしますので、受け取った方は領収書に住所と名前を書いてください。」
●Addas Ahmadが登場。舞台に出たり入ったりしながら、本当に何度もカーテンコールのシーンを繰り返す。半信半疑で拍手をし続ける観客たち。最後どうなるでしょうか? 本当に50ユーロ(6000円ぐらい)も全員がもらえるの?

→ここ数回、演者と観客の関係性は対等であるべきではないか、「分断をなくす」べきでは? といった話をしました。でも、二者が対等であるとするならば、観客が「チケット代」を払い、俳優が「出演料」をもらうといった構造は、不変でいいのでしょうか?(ちなみにZugabeのチケットは14ユーロでした。)演劇の俳優やスタッフと同じように「芝居を見る」「拍手をする」という観客の行為も、上演の成立に貢献しています。なぜ観客には報酬が与えられないの? 屁理屈みたいだけど考えたら変かも!

Addas Ahmadは、この「問題作」を不敵な?笑みを湛えながら、終始、自信満々に演じているようです。複雑なテーマですが、彼自身はどう考えてやっていたんでしょう? そして私自身はこれを見てどう反応したか、(実はその時のことは後悔している!)来週、お話しします。

3、薔薇をのせた船

Thikwaの障害者演劇からはいったん離れますが、「観客巻き込み型」のパフォーマンス作品として、もう一つ紹介したい作品があります。ブラジル出身の若いアーティスト、Priscila Rezendeの「Nau Frágil」です。

●劇場に入ると、中央にフェンスが張られており、パフォーマーのPrischilaがその中にいる。
●フェンスの下の床には、無数の白い薔薇が敷き詰められている。また、中央に船型の桶があり、そこにもたっぷりと赤い薔薇の花が盛られている。
●観客には席が用意されておらず、観客は黒いリノリウムの床に座って見るか、歩きながら見る。
●Prischilaはフェンスの中を裸足で歩き回っているが、自らフェンスの外に出ようとはしない。敷き詰められた薔薇にはもちろん棘があるので、踏み越えて出るのは痛そうだ。
●開演時間が過ぎ、しばらく経つと、Prischilaは目の合った観客の方に近づき、桶から赤い薔薇の花を一本づつ手にし、フェンスの中から観客に渡す。観客は薔薇を受け取ったり、受け取らなかっりする。
●私の見た公演ではほぼ全員の観客に薔薇が行き渡ったようだった。それ以上、何も起こらないので、帰る観客も現れた。

今回、Prischilaさんにお願いして劇場に頼んでもらったのですが、あいにく、私が見たベルリンのBallhaus Naunynstraße 劇場で行われた公演のビデオは間に合いませんでした。課題の欄にURLリンクを貼ったのは、ポーランドのPoznanという街で行われたFestival Maltaでの野外公演の抜粋映像です。でも何をしているかは、だいたいわかると思います。

Black Lives Matterの運動が世界的な連鎖を起こしている現在ですが、Priscila Rezendeは黒人に対する構造的な人種差別や、黒人への警察の暴力、植民地支配の歴史をテーマに扱ってきたアーティストです。下記インタビューにありますが、18-19世紀、植民地主義時代のヨーロッパでは、ちょうどこの作品のようにケージに黒人女性が見世物として入れられ、白人が見る、といったことが実際に行われていました。(例えば、有名な18-19世紀の黒人奴隷サラ・バートマンについてのwikipediaの記事。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3

皆さんだったらこの舞台にどう反応しますか? 想像してみてください。ベルリン公演で、私がどんなリアクションをしたか、これも来週話します!

Prischila Rezende のプロフィールはこちら。http://priscilarezendeart.com

「Nau Frágilに関する英語のインタビュー。Google翻訳でもいいので読んでみてください!
https://www.berlinartlink.com/2019/12/06/the-european-shipwreck-an-interview-with-priscila-rezende/

●第8回課題

1、「Nau Frágil」Priscila Rezende(festiwal Malta 2019. 9)
https://www.youtube.com/watch?v=y5OcmJLp94o

2、「Zugabe」Theater Thikwa 2019.10
KONZEPT: Monster Truck MIT: Addas Ahmad DRAMATURGIE: Philipp Bergmann REGIEASSISTENZ: Kira Shmyreva PRODUKTIONSLEITUNG: ehrliche arbeit (ノートでは映像なし)

以上2点の映像を見て、気づいたこと、考えたことを書いてみましょう。自分が観客だったらどのようなリアクションを取るかも想像して、教えてください。

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